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女性だけによるマラソン大会として世界記録の参加人数となった「名古屋ウィメンズマラソン2012」。これに合わせ、オフィシャルスポンサーNIKEのスペシャルゲストとして、女子マラソンの世界的レジェンドが来日していました。ジョーン・ベノイト・サミュエルソン、54歳。1984年のロス五輪にて、女子マラソンの記念すべき初代金メダリストとなり、今なお現役で走り続けるジョーンにとって、走るとはどのような意味を持つのでしょうか。大会前日の名古屋でお話を伺いました。

ロードを走ることが恥ずかしくて
花を摘むふりをしていました。

「私には2人の兄がいて、子どもの頃は常に走り回っているような生活でした。彼らに追いかけられて走るか、彼らの元に助けを求めて走るかのどちらからで、そこから私のランナー人生がスタートしたんです。でも10代の頃は、ロードを走ることがとにかく恥ずかしくて、人目につかない駐屯地などを選んで走っていました。そのうち気にしなくはなりましたが、やはり車が横を通った時は、とっさに花を摘むふりをしていましたね」。

今では考えられないことですが、当時、マラソンは女性の身体に負担が重すぎるという考え方が一般的で、1972年にアメリカの法律が改正されるまで、女性はマラソン大会に正式に参加することすらできませんでした。

「その頃は女性がスポーツをすると言ったら、レクリエーションや趣味程度のスキーやテニスくらいだったんですよ。

でも私はとにかくスポーツが大好きで、最初はスキーでオリンピックに出たいと思って練習していました。でも高校生の時に足の骨を折ってしまって、リハビリのためにランニングを始めたんです。そうしたらランニングは季節を選ばずできるし、特別なギアも要らないし、ドアを開けたらすぐに始められるしで、すっかり夢中になってしまって。それからは距離を伸ばしていかに速く走るかというチャレンジを続けてきたんです」。

ランニングに対して
恩返しがしたいのです。

1979年、22歳の時に参加したボストンマラソンで優勝、1983年の同大会では、女性として初めて2時間25分を切る2時間22分43秒の世界記録で優勝します。そうして迎えた1984年のロス五輪。女子マラソンが公式競技として認定された初めてのオリンピックで、ジョーンは鮮やかな独走を見せ、女子マラソン初めての金メダルに輝きます。

「フィニッシュラインに向かう会場の入り口前に暗いトンネルがあったのですが、このトンネルの向こう側には、歴史的な瞬間が待っているということを自分でも感じながら走っていました。この瞬間に自分が立てたことはすごく光栄でしたし、同時にそれまで無名だった人間がいきなりスポットライトを浴びることにもなり、大きな責任を背負うようになったとも感じました。その時、ランニングの世界に対して、何か自分のできる恩返しをしていきたいと思ったのです。そして、それは今でもずっと思い続けていることです」。

大会前日の「名古屋ウィメンズマラソンEXPO 2012」で行われたトークイベントでは、ランニングへの恩返しとして、次世代を担う大切な子どもたちに、ランニングを始めとしたスポーツの機会を作っていく活動を続けていきたいと語っていたジョーン。私生活においても、ロス五輪後に結婚し、男女2人の子どもを育てる一方、ランナーとしての挑戦を続けていきます。

「ランナーであることと家庭生活の両立は難しかったですね。子どもが小さい頃は少し罪な意識も感じていましたし、できるだけバランスを取ろうと努力していました。1日2回やっていた練習を1回にもしました。1日1回、朝の時間を使って、今日1日の予定を頭の中で組み立てながら走るんです。以前はランニング中心の生活でしたが、子どもができてからは、ランニングを生活の中の一部として組み込むように発想を変えたんです」。

ライフスタイルの一部としてランニングを捉えることで、無理してランニングと向き合うのではなく、自然と走り続けることができたというジョーン。1996年には、アトランタ五輪の代表選考レースに12年ぶりに参加。2時間36分54秒で13位になって以降、2000年のシドニー五輪(2時間39分59秒の9位)、2008年の北京五輪にも挑戦。北京五輪選考レースの記録、2時間49分08秒は、50歳代のアメリカ記録となりました。

1つの大きな波の始まりを感じています。

「今でも週に100kmの練習をこなしています。実は最近、靭帯をケガしてしまってランニングを休まなければいけなかったんです。24年前に子どもが生まれてから、初めての長期的な休みでした。お医者さんにはもっと時間がかかると言われたのですが、自分に言い聞かせて努力をして、半分の時間に短縮しました。3週間ぶりに走れた時は、もちろん自分も嬉しかったですし、夫や周りの友だちも喜んでくれましたね」。

©kentaro matsumoto

「主人も子どもたちもすごく活発で、走ることも大好きなんです。昨年のボストンマラソンは、24歳になる娘も一緒に出場しました。その時は一緒に並んでは走らなかったのですが、2年前のNIKEウィメンズマラソン(サンフランシスコ大会)では、娘と一緒に走ったんですよ。彼女も長距離が得意なようです」。

名古屋ウィメンズマラソンでは、ハーフ部門に出場する予定だったジョーンですが、来日後に予定を変更してフルマラソンに出場、ケガの影響も見せずに、3時間27分33秒で完走しました。

「今、日本でこれだけ多くの女性がランニングをしていることをとても嬉しく思います。私が走り始めた頃は女性ランナーは本当に少なかったのですが、今は1つの大きな波の始まりなんじゃないかと感じています。私は“夢を追いかけ続け、自分の心が伝える通りに人生を生きなさい”というメッセージをいつも発しているのですが、私の夢はずっとランニングを続けることです。今は環境問題や経済問題など、世界的にいろいろなハードルがありますが、ランニングはとてもナチュラルで、自然を感じながら走ることができるものです。それを楽しみながら皆さんも、もっともっと走り続けて欲しいと思います」

ジョーン・ベノイト・サミュエルソン/Joan Benoit Samuelson
1957年5月16日アメリカ・メイン州生まれ。1984年ロス五輪にて女子マラソン初代金メダリストとなる。自己ベストは1985年シカゴマラソンの2時間21分21秒。結婚、出産後も現役ランナーとして走り続け、ランニングを通した社会貢献や環境活動への取り組みも熱心に行っている。

(写真 松本昇大 /文 小矢島一江)