(文 倉石綾子 / 写真 石川弘樹)
従来の山歩き、あるいはトレイルランニングとは異なる視点でトレイルを楽しめるファストパッキング。ミニマルな装備を担ぎ、ランを取り入れたスピーディな行動で長距離山行を楽しむ。縦走登山よりも装備を軽量化することで行動範囲はぐんと広がり、山中で夜を明かすことにより日帰りのトレイルランニングより大自然の奥深さを味わうことができる。
「次なる旅のスタイル」としてトレッカーやトレイルランナーの間で話題のファストパッキングは、従来の山歩き、あるいはトレイルランニングとはまったく異なる視点でトレイルを楽しめるという点で、onyourmarkも大いに注目するアクティヴィティの一つだ。
グレゴリーのアンバサダーでトレイルランナーの石川弘樹さんは、ファストパッキングという言葉が生まれる前から、そんなアウトドア・アクティヴィティを実践してきた先駆者。彼自身は自らのライフスタイルにおけるトレイルランニングとファストパッキングの違いを、次のように考えている。
「安全に管理されたトレイルを走るレースは、言うなれば『遊び』。ものすごくストイックな遊びです。一方、ファストパッキングと呼ばれるものは現地の情報を集めて天候を予測し、自らルートプランニングを行い、地図を読みながらソロで大自然の中に分け入る。山の中で悪天候や思わぬ事故に遭遇することはしばしばですが、その際にも自分の責任において自らの行動の決定を下さなくてはならない。そうした局面で感じる難しさを含めて、アウトドア・アクティヴィティの魅力なんですよね」
そんな石川さんをナビゲーターに、ファストパッキングの魅力を全三回でお届けする連載企画、第一回は石川さんのパタゴニア冒険譚をご紹介しよう。
いざ、南米・パタゴニアのトレイルへ
先日、南米最高峰のアコンカグア登山へ挑戦した後に単身、パタゴニアへ渡った。パイネ国立公園内にあるパイネ・サーキットを踏破するためだ。トレイルランナーなら誰しも、一度は走ってみたいと願う憧れのトレイル。石川さんなら一日で走れる約130kmを、「あえて数日かけてファストパッキンで」と思い至ったのは、数年前に挑戦したジョン・ミューア・トレイル(以下JMT)での経験がきっかけだという。
「2005年、まだファストパッキングという言葉が現れる前のことですが、ハイカーの憧れ、JMTを走りに行きました。通常なら10日間くらいかけて歩くトレイルですが、その頃すでにアメリカのランナーが3日間でスルーハイクしていて、それが当時のコースレコードだったんです。彼にはサポートがついていましたが僕はソロですから、山中で野営するための装備を持つことを考え、340kmを5日間で走破する計画を立てました。一日70km進める程度に軽量化しつつ、かつ山中での安全面に配慮した装備を考えなくてはならない。まだウルトラライトなギアなんてそうそう出回っていなくて、UTMBで出会ったアドベンチャーレーサーの装備を参考にパラグライダー・メーカーが作ったパラグライダー生地の軽量テントや何かを揃えた記憶があります。いま考えると、あれがファストパッキングの走りだった」
その時は嵐の接近に伴い、およそ140km時点でレンジャーに下山させられてしまったそうだが、レースではなく自分のペースで山を『旅する』感覚に魅せられた。重いザックを担ぎ一週間や10日かけて歩く行程も、ランを主体にすることでより気軽に楽しむことができる。さらに、たとえば山の中に設営したテントで夜を明かしたり、空の下でゆっくり食事をとったりなど、トレイルランニングではなかなか楽しめない「旅」らしい要素を味わうことだってできる。以降、装備に工夫を凝らして長距離を素早く移動する、ファストパッキング的な旅に強く思いを馳せるようになった。
予測不能、極限のコンディション
そして9年後。念願かなって実現したパタゴニア、ファストパッキングの旅だったが、初っ端からトラブルに見舞われてしまう。
「1日で走破できる行程だったけれど、写真を撮ったりテントを張ったり、道中をのんびり楽しみたかったのであえて3日間という予定をたてたんです。それなのに、アクシデントで初日に腰を痛めてしまって」
1日目でまさかの停滞。その日はおよそ30kmを進むはずだったが、翌日に10km強を持ち越した。痛む腰を抱えて、それでも下山する決心がつかず、一晩を山中のテントで過ごす。翌日、なんとか歩けたので続行を決意したものの、予定より長丁場となる50数キロを進まなくてはならない。
「それなのに、Paso John Garrerという峠で予想外の悪天候に見舞われてしまった。立っていられないほどの強風に、激しい雨による視界不良。南極に近い場所ですから夏とはいえ残雪もあるし、数十メートル先には強風による落石まで。何とも言えない不安に苛まれた瞬間でしたね」
「確かに不安で、この先、次のポイントまで数十キロ行けるのかってぎりぎりの判断だった。でも、不安だからこそ、そこを乗り越えたら数十倍の楽しみが待っていることを知っている。まだまだ歩ける、防寒着も食べるものもある。峠の先の空だって、心なしか明るくなっているように見える。そんな状況を整理してみたら、自分はこのコンディションを楽しむことができる、そう判断できたんです」
危機的な状況に直面し、続けるか撤退するかの判断を自ら下せる。それがアウトドア・アクティヴィティの魅力である。そして不測の事態を想定して心身・スキル・ギアを備えることも、歓びの一つなのだ。いまさらながら、そんなことを実感した。
「確かに無駄なものを全て削ぎ落としてしまったら、ものすごくスピーディに行動できるんですよ。でも、全てを省くことでテントの中で凍えるとか、非常時に対応する余裕がなくなるのは、僕が考える旅のスタイルではない。今回のようにネガティブな問題が生じても旅を続けられたのは、充分な装備がある、まだ自分をコントロールできる、行程を楽しめる、そういった部分で心に余裕があったからなんです」
自然からいかに安全に帰還するかについて、アウトドアでの装備について、そして大自然を舞台にした旅のスタイルについて。あらためて考えることができたことは大きな収穫だったと語る石川さん。それぞれの身の丈にあったファストパッキングは石川さんしかり、山野で行動するすべての旅人たちに、自由とわくわくするような冒険のひとときをもたらしてくれる。
【装備について】
ミウォック34(女性モデルはマヤ32)
M 容量: 34 L 重量: 1.10 KG TORSO: 46-51 CM
L 容量: 36 L 重量: 1.20 KG TORSO: 51-56 CM
価格:¥18,000+税(レインカバー付属)
http://jp.gregorypacks.com/ja-JP/GM74522.html
グレゴリーのアンバサダーを務めて14年になる石川さん。トレイルランニングに、本格登山に、石川さんの山行にはグレゴリーのザックが欠かせない。今回、パタゴニアのファストパッキング旅のお伴をしたのはグレゴリー「ミウォック34」である。
「ファストパッキングには軽くてミニマルなザックが合いますが、そんななかでも僕は背負い心地を重視します。無駄を削ぎ落としすぎたペラペラなザックは、僕にとって快適ではない。ある程度の軽量性をかなえつつも、山に持っていて安心できるタフさがあり、なによりも背負っていて快適。そんなザックが理想です」
山小屋とテント泊を想定した今回の旅には、テントやマット、シュラフなどの装備と、日本の11月ごろの気候を想定した防寒着、調理道具と4泊分の食料を用意しておよそ10kgの装備。ファストパッキングにしては重装備だが……。
「旅の道具というのはいつ、どこへ、何日かけて、何を目的とするかでまったく変わってきますよね。物理的な重量よりも必要なのは、身の丈に合った装備。その点、この『ミウォック』は、今回の僕の旅のスペックぴったりはまって、道中をサポートしてくれたと思います」
【プロフィール】
石川弘樹(いしかわ・ひろき)
1975年神奈川県生まれ。2001年、アドベンチャーレーサーからプロ・トレイルランナーに転身、世界各地のレースに参戦する。山岳レースに欧米のスタイルを持ち込み、日本にトレイルランニングを普及させた。現在は日本各地でレースのプロデュースも行っている。http://www.hirokiishikawa.com/