(映像 上原源太/ 写真 コテツ/文 小林朋寛)
普段は学習塾を経営する会社で働く女性会社員という立場でありながら、2011年5月にエベレスト登頂を果たした川崎久美子さん。そして、自身もエベレスト登頂7回を誇り、2004年からはエベレスト公募登山隊を組織、川崎さんがチャレンジした際も過酷な状況のもとで彼女を導いた国際山岳ガイドの近藤謙司さん。そんなふたりが北アルプスの唐松岳で再び足並みを揃えることになった。
立場は違えど、ともに世界最高峰に到達したふたりが山に出会ったきっかけはどのようなものだったのだろうか。そして、自分自身と山との関係性をどのように捉えているのだろうか。
山との出会い、自分との関係性
川崎 もともとスノーボードをやっていて、バックカントリーに興味を持つようになり、登山をはじめました。自分にとって山は学びの場所。どうしたらうまく登れるか? どうやったら楽に登れるか? さらに装備のことを考えながら山に入ります。今では楽しいというよりもいろんなことを教わる場所に変わってきました。それから、私が山に入るのは人とのつながりを求めている感覚も強いです。景色とか感動を誰かと共有したいからです。同じ思いをできれば、山はもっと楽しくなるという実感があります。ひととのつながりが色んなカタチの登山につながると思います。
近藤 生まれ育った東京にはない自然を求めて山に入ったのがきっかけだね。高校時代から一緒に登ってきた仲間たちがいたからこそ続けられている。自分自身がクライマーになって登るというより、登山者を連れて行く監督、コーチ、演出家のような立場だと認識しています。山はそんな自分を表現できる一番いい舞台だね。そして、厳しい自然の中に入れば入るほど、人間の温かさを感じることができる。自然と人間の素晴らしさ、その両面に気がついてほしいですね。
山との出会いを懐かしむように語りながら、ふたりとも口を揃えるのは一緒に山を登る仲間の存在だ。極限高地でピークを目指していく登山にはどこか孤独な印象もあったが、その本質は仲間との強固な絆にあることがふたりの発言からにじみ出てくる。そして、まさに川崎さんがエベレストを目指そうという思いに駆られたのはガイドである近藤さんをはじめとした仲間との出会いにあったようだ。
エベレストへの挑戦とその導き
近藤 昔からヒマラヤは特別な人のものっていう印象があった。だから簡単にヒマラヤに登りたいとか、エベレストに登りたいとかいう考えを持ってはいけないんだっていう先入観があったよね。そういうものを取り除いていくことで、私も行けるんじゃないか、僕も行けるんじゃないかって思い立つ人を増やしたい。いつかエベレストに登りたいという夢をよりリアルな方向に持っていきたいんだよね。
川崎 富士山に登ったあとに日本にはもうこれ以上高い山がないんだなあと寂しい気持ちになったんです。そんな中、近藤さんに出会って、一般の人でも高所登山ができる、日本以外の海外の山を歩くことができるということを初めて知りました。最初は自分がエベレストに挑戦できるとは全く思ってなかったです。近藤さんやその仲間がエベレストをはじめとした高い山にチャレンジしていて、すごい刺激を受けましたね。そんな中、サポートがあれば、自分もできるんじゃないかなあと思うようになりました。
近藤さんやその仲間と出会うことでエベレストに挑戦する意志を固めた川崎さんに対し、近藤さんは「最初は本気にしてなかったの」と笑う。
近藤 エベレストに登るためには別の8,000mに登らなければいけない、別の8,000mに登るためにはその前に6,000mの山に登らなければいけないという前提がある。さらにヒマラヤというのはモンスーンの前に登るか、後に登るかという2回のチャンスしかないんです。だから、すごく時間がかかるんですよ。久美ちゃんに『登れるかな?』って言われたのが2010年の春だったんだけど、すぐに6,000mに登らないと翌年にエベレストに登頂することは無理だった。彼女が質問した10日後に僕はエベレストに行く予定だったんですけど、その間に彼女も準備をしなければいけなかった。そうしたら、3日後に会社の休みが取れましたって(笑)。びっくりしたよね。その時に、この子は本気だと思いました。それからは、まず6,000mの山に20日間で登り、その年の秋にマナスルっていう8,000mの山に一ヶ月以上かけて登って。そして、翌年の春にエベレストだからね。すごいなと感心しましたよ。
山に順応していくこと、登る前と登った後の変化
川崎 高所登山で面白いのは人間の体が高所に順応していく過程。普通に歩いていると高山病になって動けなくところを、ガイドさんのサポートだったり、アドバイスを受けて歩いて行くと、自分が順応していくのがわかる。どこまで高いところに登れるんだろうという興味が湧いてきたのも、エベレスト登頂を目指すようになったきっかけですね。あの標高まで順応できたんだという実感を自分自身の身体で経験できる感覚がすごく楽しい。そしてそれが自分のモチベーションになるので。
高所登山だからこそ、高山病はつねにつきまとう。酸素が薄くなると動きが鈍くなったり、頭が痛くなったり、夜は眠れなくなることもある。そういった危険性を仲間のサポートを受けながら、徐々に克服することで山の環境に順応していくのだ。
「登ったらなにか変われるかな?」
エベレストへのピークアタック直前、川崎さんが近藤さんに問いかけた一言だ。
近藤 『登ろうと思っている時に変わってる』って答えました。チャレンジしたいと思った段階でその人は変わってるんだよね。そこが重要。結果が出てから変わるというものじゃない。オリンピックに出るようなアスリートも金メダルを獲ったら変わるのではなくて、金メダルを獲るために努力していることで変化している。山も同じで、結果はどうあれ、山に登ってみようと思った瞬間から、その人は変わっている。そんな気がしますね。
山に登ることは少なからずその人の人生に変化をもたらす。そして、それはチャレンジしようと思い立ったところから始まっているのだ。
さらに変化という意味においては、ひとりの人生における“会社員として働く自分”と“仲間とともに山に登る自分”の間に何かしらの移り変わりはないのだろうか。一般的には仕事=オン、余暇を楽しむ登山=オフということになるのかもしれない。しかし、さすがにエベレストをはじめとする難易度の高い山にチャレンジすることを文字通りオフと捉えているわけではないようだ。
川崎 人生とか生活をオンとオフという2つの状況で区切るのが難しいと思います。仕事もやりがいがあって楽しい、趣味の登山も好奇心を満たしてくれたり、チャレンジできるのが楽しい。それぞれで楽しさを得ることができるという意味では両方ともオンですね。
輝かしい表情で語る川崎さんの姿を眺めながら近藤さんはこう繋いだ。
近藤 仕事をしながらオリンピックに出たり、レースに出ている人はいる。そういう人もアスリートの時の自分はオフではないと思うんですよね。仕事は仕事としてあって、登山は趣味を超えるまた別のもの。趣味を超越したものを、彼女は見つけたんじゃないかな。
登山は装備のすべてに助けられる、だからこそ機能性が重要
高所登山において、装備は身体を守るもの、安全性を高めるものとして、高い機能性が求められる。動きやすさを確保するために軽量で丈夫であったり、時に命にも関わる低体温症を防ぐために汗を発散しやすいものなどを重要視して選ぶというふたり。
今回は高所登山にも対応したコロンビアのジャケット&シューズ&ザックを着用しての登山ということで、それぞれの印象を聞いてみた。
●Columbia Mountain Jacket
●Columbia Footwear
●Columbia Equipment
近藤謙司(こんどう・けんじ)
1962年東京都生まれ。国際山岳ガイド連盟公認ガイド。アドベンチャーガイズ代表。エベレスト登頂7回、チョモランマ冬季北壁最高地点到達などの記録を持つ。国内及び世界各地での山岳ガイドのみならず、映画・テレビ・CMの出演やコーディネート、講演会や登山商品開発などでも精力的に活動中。コロンビア登山学校「win the summit academy」では学長として、海外の高峰登頂を目標とした登山技術の講習会を開いている。著書に「エベレスト、登れます」(産業編集センター)、「ぼくは冒険案内人」(山と渓谷社)などがある。
川崎久美子(かわさき・くみこ)
東京都内の企業に勤める会社員。2010年春、近藤謙司率いる公募登山隊がエベレストに挑戦することを知り、自らも志願。2011年5月にエベレスト登頂を果たす。
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コロンビアスポーツウェアカンパニーはオレゴン州ポートランドで1938年に設立されました。設立当初は、家族経営の小さな帽子問屋でしたが、今では世界最大規模のアウトドアウェアブランドに成長しています。コロンビアはアウトドアスピリットを持った多くの人のために、アウトドアブランドのパイオニアとして最高の製品を提供します。アウトドアを心から楽しむすべての人を応援します。
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