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(写真 八木伸司 / 文 井上英樹)

飛騨御嶽高原トレーニングセンター周辺には小雨が降り始めていた。標高1700メートル地点は、真夏だというのに上着がいるほどの涼しさだった。トレーニングエリアの標高は1200メートル~2200メートル。サンモリッツ(スイス)の標高が1775メートル、ボルダー(アメリカ)が1650メートルなので、彼の地と遜色ない高地トレーニングが可能だ。

夏期合宿の高校生や大学生たちがグラウンドを走っている。グラウンド外周に設置されたウッドチップコースを淡々と走るグループがいた。雨で湿ったチップが単調な音を立てる。学生たちが立てる音と比べて速く軽やかな音が聞こえる。世界陸上北京大会に向けて最終調整をするナイキ・オレゴンプロジェクトの選手たちだ。

大迫傑選手がマシュー・セントロウィッツ選手と並び走って行く。しばらくすると、キャメロン・レビンズ選手とモハメド・ファラー選手も合流した。昨日、トレセン入りしたゲーレン・ラップ選手が練習風景を見つめている。

大迫選手は1時間ほど汗を流し、練習を切り上げた。「宿舎に車で送っていこうか?」と言う関係者に、「いえ、走って帰ります」と答え、宿舎の方へと走り去っていった。

昼食前の短い空き時間に大迫選手から話を聞くことができた。1年前の夏、千葉県の陸上競技場で会ったときと比べ、肌が褐色に焼けてたくましく見える。体のラインはだいぶ絞り込まれているように思えた。ほかに外見で変わったところといえば、以前は軽く染めていた髪の毛が黒く戻り、鋭いまなざしが増したくらいだろうか。

しかし、彼を取り巻く環境や期待は大きく変わりつつあった。所属していた日清食品グループ陸上部を2015年3月に退部。日清当時から練習に参加していたナイキ・オレゴンプロジェクトに所属するプロのアスリートになっていた。その数ヶ月後の7月中旬、ベルギーのヒュースデンゾルダーで行われた陸上のナイト・オブ・アスレティックスでは5000メートルを13分8秒40で走り6位。そのタイムは日本新記録を樹立した。国内では追う立場から、追われる立場になったのだ。しかし、本人は特に日本記録を気にしている様子はない。

「世界選手権の最低条件(13分23秒)が取れたらいいと思っていました。(6位だったが)あれはあれで、次につながるレースになった。負けたことは悔しいけど、自分の中では納得しています。日本記録を狙っていたわけではないです。13分23秒が大切だったので、そこに意識を置きました。ラスト1000メートルで切れるなと。……日本記録はそんなに驚くほどのタイムではないと思っていて、練習の結果が出たという認識です。今の力からしたら、『それくらいかな』という感じですね」

日本記録が「それくらい」なら、世界との距離感はどう感じたのだろうか。「世界との距離感」を訊ねると「あまり、タイムでどうのこうのはないんですけれど、僕自身が日々成長できているなと感じられたので、世界との距離は縮まっているなと思う」と、静かなトーンではあるが、力強く答えてくれた。

大迫選手が履くナイキ エア ズーム エリート8は、ズーム トレーニング シューズの中でも最軽量。ズーム エアが前足部に搭載され、蹴りだし時の反発リターンは最大化される。スピードトレーニングやレースでさらなる速さを求めるシーンに最適だ。

着実に一歩一歩、前に進んでいる。競技だけではなく、生活も同時に安定してきているようだ。オレゴンプロジェクト参加当初は日常会話さえも不安だと言っていたが、この1年でアメリカでの環境にはずいぶん慣れたという。練習中もマシュー選手と談笑する姿をよく見かけた。ホテル暮らしも終わり、家を借り、家族と共にオレゴンで過ごしている。家族の存在は大きいという。

「家族といると安心する。癒やしになるというか。……いいかなって思いますね」

オレゴンプロジェクトに所属して大迫選手のなにが変わったのだろうか。しかし、大迫選手から出てきたのは「変わらない」という答えだった。

「意識は変わっていない。実業団にいたときから、今と同じ意識でやっていたし、なにが変わったかというと『所属』が変わっただけ。(走りについても)どの部分がというわけではなくて、トータル的な部分でそれぞれの能力が少しずつ上がっているのではないかと思う」
メンタル部分もですかと訊ねると、「それも変わらない」と言い切る。

「オレゴンプロジェクト前からも、目標は高く持っていたし、それは今も変わらないです。ただ、オレゴンプロジェクトの選手たちは、いい練習パートナーであり目標なのでモチベーションにはつながっています」

前回の取材で、トップアスリートが所属するオレゴンプロジェクトにいる状態は「高校時代に近い感覚」と大迫選手は言った。高校時代は、早稲田大学や実業団にいた頃の「皆を引っ張るトップ選手」ではなく、全く結果が出ずに悩み抜いた時代だった。その話をすると「今もそうなんです」と言う。すごい選手たちばかりですものねと、言うと大迫選手はほんの少し首をかしげた。

「……すごいんです。けれど、ただすごいと言うと誤解されてしまいますね。海外の選手たちが日本人選手と比べてすごいわけではなくて、練習して、一緒に走って、いつか同じ舞台で戦いあえるという意味での尊敬なんです。単なる『ああ、すごい』ではないんです。そういう意識ですね。今、彼らの近くにいるかはわからないですけれど、僕としてはそういう(近くにいるという)感じ方をしないと、一緒にいる意味はないと思います」

最後に、北京の陸上選手権について訊ねた。

「目標にしているのは決勝進出というのがあるので、それは、取りにいきたい」という短い返事だった。大迫選手は饒舌で多くを語るタイプの選手ではない。考え抜き、言葉を選ぶ。その言葉は短いが、力強くぶれることはない。

小雨はインタビュー中に本降りになり、話し終える頃に上がった。雨は霧となり、道や森を覆った。霧の中に大迫選手が立つと、彼の孤独がより際立って見えた。もちろん、彼には家族や仲間やスタッフがいる。だが、やはりランナーは1人で走るのだ。

後日、陸上選手権5000メートルの結果が北京から届いた。
13分45秒82で7着。予選敗退。
決勝進出と言った目標は果たすことはできなかった。

この敗退を糧に、大迫選手は今後どのような走りを見せるのか。
どんな選手になっていくのか。
私たちになにを見せてくれるのだろうか。
神話になるのか。

先は見えない。答えはまだ、霧の中だ

大迫傑(おおさこ・すぐる)
1991年5月23日生まれ、東京都出身。早稲田大学スポーツ科学部卒業。

自己記録 5000m:13分08秒40(日本新記録)
     10000m:27分38秒31
     ハーフマラソン:61分47秒