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(写真 八木伸司 / 文 中島良平)

リオデジャネイロ・オリンピックで羽根田卓也が銅メダルに輝き、カヌースラロームという競技の認知度は飛躍的に高まった。高校3年生で日本選手権を制した羽根田は、「世界一のカヌー選手になりたい」という目標に向けて高校卒業後すぐに単身でカヌー強豪国のスロバキアに渡った。それから10年を経て、アジア人初の五輪カヌー競技でのメダル獲得という快挙を成し遂げた。

カヌーとの出会い、三度のオリンピック出場とメダル獲得に至るまで、そして4年後の東京オリンピックへの思いを帰国後の多忙な中、丁寧に語ってくれた。

激流に対する恐怖心の克服

父が元々カヌーの選手で、兄もカヌーをやっていました。小学3年でカヌーを始めたころは、もちろん楽しいこともありましたが、父は本格的に競技としてやらせたかったので、寒い冬にもカヌーに乗らされたり、小学生にとっては辛いことも多くてイヤでイヤで仕方なかった。何よりも激流の中で行う競技なので、そこへの恐怖が大きかったです。

それを克服したのが、中学2年で日本屈指の激流で合宿したときのことです。今も毎年全国大会が行われる富山県の井田川という川です。父や兄に無理やり何度も水に入らされたのですが、カヌーを漕いでどうにかするしかなかったんで徐々に慣れていき、その恐怖を克服できました。そこで怖さを克服してからはこの競技のことが好きになって、のめり込んでいきました。

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カヌースラロームは、カヌーの中では正座した姿勢で片方のパドルを漕ぎ、20ゲートから25ゲートが設置された激流のコースでタイムを競う競技です。オリンピックや世界選手権などの大きな大会は、人工コースに激流を生み出して行われます。カヌーをやる前は器械体操をやっていたのですが、今考えると器械体操の経験もカヌーにかなり生きているなと思います。正座しながらもいろんな体勢のパドリングがあって、器械体勢もいろんな体勢から技を生み出す競技なので、そういう柔らかさやバランス感覚が共通しているからです。

スロバキアで得た新たなトレーニング環境

日本では高校時代に、ジュニアではなくシニアの大会に出場していました。当時目標としていたのは、国内でしっかり勝って、高校3年の最後にジュニアの世界選手権で結果を出すことでした。予選は1位で終えたのですが、最終的な結果は6位だったかな。それまでの日本人選手としては考えられないような結果を出せはしましたが、非常に悔しい思いをしましたのも事実です。自分でもやっていけるかもしれないという手応えを感じつつ、日本で練習を続けても世界に通用するレベルに達してそれをキープするのは難しいことも痛感しました。

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最初は日本から外に出たいと考えていて、スロバキアにこだわりがあったわけではないですが、強豪国ですし、ミハル・マルティカンという僕の尊敬する選手の出身国でもあるスロバキアを選びました。トレーニングにつきたいコーチに、スロバキアに行ってトレーニングに参加させてほしいとメールをして、そのコーチが受け持つクラブチームの選手たちに合流させてもらいました。もう日本とは環境が全く違った。日本にはカヌースラロームの人工コースはありませんが、スロバキアでは常に人工コースで練習していますし、コーチもいれば競争相手もいる環境ですから。

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3度のオリンピックで自分に課したノルマ

最初のオリンピックは2008年の北京で、当時21歳でした。出場することが大目標だったので、今考えると決まった瞬間に自分の中でオリンピックが終わってしまっていた。結局本番でも予選敗退だったんですが、いざメダルを取ろう、トップ10を目指そう、と言える実力を伴っていなかったので、大会に出られて万々歳。ふわふわした状態で臨み、現地に入っても初めてのオリンピックムードに飲まれてしまいました。

次のロンドン・オリンピックでは、最低でも決勝の8人に残るというノルマを自分に課しました。本大会の予選は2本漕いでタイムのいい方で競うのですが、1本目でミスをしたものの2本目でいいタイムを出して、準決勝で6位、決勝ではミスをして7位になりました。順調にノルマを達成したものの、ちょっとメダルには届かないんじゃないかという意識もあって、その気の緩みが決勝の大きなミスに繋がってしまったのかと思っています。

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そして今年のリオ。当然、前回より上を目指すノルマということで、メダルです。周りの評価でもダークホース的な位置付けだったと思うんですが、自分の力を出せれば戦えると思っていたので、どうにかメダルを取りたいという意識でした。決勝の2本目を終えてゴールした瞬間は、正直なところ無理かなと思ったんです。自分の中では失敗がありましたし、タイムも暫定一位の選手から結構差があってまだ漕者は5人残っていたんで、その差の中に3人ぐらい入ってきてしまうんじゃないかと。

しかし、なかなか僕のタイムを上回る選手が出てこなくて、「もしかしたら」っていう気持ちも出てきながら、自分の心臓がドキドキなっているのがわかって気持ちも悪くなってきて、あとはもう祈るだけです。本当に長い時間でした。最後に自分が3位になると決まった瞬間、今までの努力や周りへの感謝からこみ上げるものがあって、弾けてしまいましたね。高校の時から一人でトレーニングをしてきて、一人でスロバキアに来て、なかなかの道のりだったんで、自分なりに一つの形として実を結べたのは嬉しかったです。

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集大成に位置づける2020年東京五輪

カヌーの魅力というのは、激流の中でうまく流れをつかんだ瞬間の気持ちよさだったり、ゲートをギリギリに攻めて通れた時の達成感だったり、水の流れを支配した時の快感というのが大きいです。本当に激しい流れで何が命取りになるかわからないので、どんな精神状態でも失敗する時は失敗してしまう。だけど、やっぱりリラックスした状態というよりも、気持ち悪くなるぐらいのプレッシャーがある状況の方がいい意味での緊張感があって、うまい漕ぎができる空気ができている気がします。

今年やっと大学院を卒業したんですが、今までは朝起きて、大学院の授業の時間を考えて午前中に1〜2時間練習をして、午後も授業と1〜2時間の練習があって、1日の最後に陸トレ、というプログラムを続けてきました。週1日のオフも外で遊びたいという気力も出ませんし、なるべく部屋で体を休めて、次の1週間のトレーニングに備える、というサイクルで生活を送っています。

そのキツさでカヌーを止めたくなったことはないかとよく聞かれますが、世界で活躍したい、オリンピックでメダルを取りたい、世界一になりたい、という目標があるので、自分で無理な理由づけをしなくても一生懸命続けられます。来年の頭から始まるワールドカップや世界選手権などでも優勝を目指して、2020年の東京オリンピックでは今回のメダルよりもいい色のメダルを取って自分の集大成にしたいと思っています。

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羽根田卓也(はねだたくや)
1987年、愛知県出身。高校3年生で日本選手権を制すると、高校卒業後、カヌー強豪国であるスロバキアに単身渡る。2006年のワールドカップ8位、アジア選手権優勝を皮切りに世界で活躍。北京オリンピック14位、ロンドンオリンピック7位、そしてついに2016年のリオデジャネイロ・オリンピックで銅メダルに輝く。日本人のみではなく、アジア人として五輪カヌー競技でのメダル獲得は史上初の快挙コメニウス大学大学院を2016年に修了し、現在もスロバキアを拠点に選手活動を続けている。ミキハウス所属。