ナイキ・オレゴンプロジェクトに所属する大迫傑。
2月某日、日本でのレースを終え、
オレゴンに戻ってきた大迫選手にポートランドでの暮らしと、
そして初めて挑むフルマラソンへの意気込みについてを聞いた。
(写真 松本昇大 / 文 井上英樹)
オレゴンの空の下からボストンへ。
街ゆく人を見れば、その地がどのような場所かがわかる。
ここはスポーツを愛する人が多い場所だ。
アメリカ西海岸の街・オレゴン州ポートランドを歩くと、アウトドアやスポーツウェアに身を包んだ人をよく見かける。自然と都市との距離が近く、トレッキング、トレイルランニング、ラン、ロードバイク、スキー、カヤックなどが盛んだ。リベラルな風土で街は安全、公共交通機関も発達しており、アメリカでも人気の街なのだという。
ポートランドのダウンタウンから車で30分ほどの場所に、ナイキ・キャンパスがある。広大な敷地には、トラック、クロスカントリーコース、ジム、バスケットコート、サッカーフィールド、クライミングウォールなどの運動設備が揃う。ここではナイキのデザイナー、開発者たちがナイキ製品を考え、作り続けている。ナイキ・キャンパスは、いわばナイキの頭脳のような場所だ。
そのナイキ・キャンパスの南西に、世界陸上で8個、オリンピックで4個の金メダルを獲得した英雄の名を付けた〈マイケル・ジョンソン・トラック〉がある。
コースの脇に柔軟体操をする大迫傑選手がいた。
ナイキ・オレゴンプロジェクトに所属する彼は、この地を拠点にトレーニングをしている。プロジェクトの指揮を執るのはニューヨークシティマラソン、ボストンマラソンなどで優勝経験のあるアルベルト・サラザール氏。
プロジェクトに参加するのはモハメド・ファラー選手(イギリス)やゲーレン・ラップ選手(アメリカ)など、スター選手たち。彼らの目的はひとつ。誰よりも速く走ることだ。
もちろん、大迫選手もだ。
ウォーミングアップを終えた大迫選手が我々を見つけて近づいてきた。『丸亀ハーフマラソン 2017』(香川県)を終え、つかの間のオフを日本で過ごしたそうだが、オフの間にレーシック(角膜屈折矯正)手術をしたという。目の調子を訊ねると、「手術後に少し涙が出たけど、すごく調子がいい。メガネが煩わしかったので楽ですね」と、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。だが、その笑みはすぐに消え、競技者の顔に戻った。
針葉樹の森の中を走る。日々、ひとり黙々と。
「ここ(トラック)をしばらく走って、トレイルに行きます」と言い残し、大迫選手はトラックへ向かう。大迫選手が軽く足で地面を蹴り、体が前に移動する。速い。その動きは彼の周りだけ時間が違って流れているかのような錯覚を感じた。あの細い体のどこにそんなパワーがあるのだろう。トラックの傍らに立つマイケル・ジョンソンの彫像はおそらく等身大だ。そのがっしりとした体躯を見ながら思った。
トラックで体を温めた大迫選手は、休む間もなく慌ただしくシューズを履き替え、キャンパスの外にあるホリスタートレイルへと向かった。
ナイキ・キャンパスの敷地を出て、サウスウェスト・ジェンキンス・ロードを渡ると針葉樹の森が現れた。この森の中に1周1.5マイル(2400メートル)のトレイルコースが敷設されている。草木を刈り、石などを排除しただけの簡素なトレイルだが、長距離を走る選手にとって堅いアスファルトよりも足の負担を軽減できる。オレゴンプロジェクトではアスファルトのロードを走ることはほとんどないそうだ。
昨日までの雨でトレイルはぬかるんでいた。そもそも湿気の多い場所のようで、トレイル脇の岩や木々はコケで覆われている。軽快な足音が森の奥から聞こえ、目の前を大迫選手が走り抜けていく。見通しの悪いトレイルなので、すぐに姿が見えなくなる。すると、また足音が聞こえてくる。1週7分ほどのペースで大迫選手は走っていく。その走りはまるで野生動物だ。野生動物と違うのは、腕時計でラップを常に気にしていることくらいだ。
トレイルでの走りを終え、道路を渡るときも動きを止めない。走りへの渇望から、わずかな信号待ちの時間にさえ少し苛立っているように見えた。帰国後の調整というわけではなく、もう普段のトレーニングに戻っているのだ。私たちはスポットライトの当たる場でアスリートを見ることが多いが、実際の日々の練習は地味なものだ。強さはその果てしなく続く練習から生みだされる。
onyourmarkではこれまでに数度、大迫選手にインタビューをしているが、練習中やレース後といった緊張感のある中での取材が多かった。彼は饒舌な選手ではない。今回は大迫選手の「ホーム」であるオレゴンでの取材なので、少しは緊張感のない表情が見られるかと思ったが、いつもにましてピリピリとした緊張感が伝わってきた。
先ほどのトラックに戻ると大迫選手がクールダウンをしていた。トータルで何キロ走ったかを聞くと、90分で約30キロという答えが返ってきた。
「毎日、だいたいこんな感じです」
つい2日前にオレゴンに戻ったばかりなのにと驚くと、昨日も走ったと言う。息も切らさず言い放つ大迫選手に世界を相手に闘うアスリートの凄味を見た。
オレゴンでの日常、そして次なる挑戦。
キャンパス内のカフェテリアで少し話を聞くことにした。
練習が終わったこともあるのだろう、大迫選手は幾分リラックスしているように見えた。“ホーム”にいるからだろうか。
「いや、ここはあまりホームって感じでもないんですよ。街にもそんなに行きませんし。……ダウンタウンから車で30分ほど離れたところに住んでいるので、あまり街で遊ぶこともないんです」
それでも、日本から親戚や友人が訪ねてくると、ダウンタウンや近郊のワイナリーに案内するという。アメリカに拠点を移し2年以上が経過した。当初、心配していた言葉にも順応しているようだ。
「コーチとのコミュニケーションはやりやすくなりました。自分の意見も言えるし、以前よりプランが明確になりましたね。最初の1年は、ただやってみるだけだったから。だけど、日常会話になると途端にわからない(笑)」
丸亀ハーフの疲れを訊ねると、レースはきつかったが、疲れはそれほどないと言う。事実、オレゴン到着の日にも彼はトレーニングをしている。
「疲れを取るというよりも、常に自分を非日常に置くことの方が大事だなと思う。僕は(環境の)ギャップの切り替えができる方だと思う。日本に帰って遊ぶときは遊ぶし、こっちの普段の生活に、遊びはない。まあ、ダウンタウンに僕の求めているものはないし。求めているもの? まあ、25歳の男子ですし、……そんなとこです(笑)。だけど、結局練習との往復ですね。……遊びはYouTubeで日本のお笑いを見るくらいかな」
日々、ひとりで黙々と走る。25歳の大迫選手はそれを繰り返している。彼にとっての楽しみは、誰よりも速く走られるようになることなのだろう。しかし、「長距離ランナーの孤独」は感じられない。彼の笑顔から、ポートランドでの暮らしやトレーニングが充実していることが読み取れる。
以前から「東京オリンピックではトラックかマラソンのどちらを走るかわからない」とマラソンへの挑戦を示唆していた大迫選手。丸亀でのハーフマラソンを終え、フルマラソンの挑戦を近々するつもりはあるのかと訊ねると、一瞬なにかを言いよどんだ。
「……まだ、わからないです。コーチと話し合って決めたいと思います」
私たちが帰国して数日後、大迫選手がTwitterで「大迫、ボストンマラソン走るってよ。」とつぶやいた。4月に行われる「ボストンマラソン2017」への参加表明だった。言いよどんだのは、このことだったのか。
メールで大迫選手に問い合わせると「ボストンは難コースとされてますが、できる限りの準備をしていい状態でスタートラインに立てる様に頑張ります」という大迫選手らしい素っ気ない返事が返ってきた。
だが、この素っ気なさに、走ることだけを考える大迫選手の集中を感じる。
4月17日。春のボストンで、大迫傑選手の新しいステージが始まる。
大迫傑(おおさこ・すぐる)
1991年5月23日生まれ、東京都出身。早稲田大学スポーツ科学部 卒業。ナイキ・オレゴンプロジェクト所属。2012年世界ユニバーシアード選手権大会10000mでは日本人として16年ぶり4人目の金メダルを獲得。
自己記録 3000m:7分40秒09(日本記録)
5000m:13分08秒40(日本新記録)
10000m:27分38秒31
ハーフマラソン:61分13秒