ナイキ・オレゴンプロジェクトに所属する大迫傑選手がボストンマラソン2017で3位入賞を果たした。一時帰国した大迫選手にボストンのこと。そして東京五輪について聞いた。
(写真 松本昇大 / 文 井上英樹)
ボストンで証明した大迫傑の走り
「大迫、ボストンマラソン走るってよ。」
2017年2月21日、この短いツィートが陸上ファンを湧かせた。
つぶやいたのはナイキ・オレゴンプロジェクトに所属する大迫傑選手。ナイキ・オレゴンプロジェクトでは国籍に関わらず、アスリートたちがスポーツ科学的エビデンス(根拠)に基づき人間の記録の限界に挑戦している。
大迫傑選手は朝井リョウの小説タイトルのパロディで、彼らしくさらりとマラソン初挑戦を表明した。応援するファンだけではなく、各メディアもこのツィートに反応した。
「5000m、10000mの大迫傑がボストンマラソンを走る」という事実のみを伝える短い紹介だったが、ウェブニュース、スポーツ新聞、一般新聞、SNSなどを通じて、言葉が拡散されていく。たった17文字の言葉によって、大迫フィーバーの序曲が奏でられ始めた。しかし、世の中の誰も大迫選手がフルマラソンを走る姿を見たことがないのだ。
見たこともないものに、人々が期待する。なんと稀なアスリートだろうか。
SNS上では賛否両論があった。応援する声が大半だったが、
「ハーフマラソンしか走ったことがないじゃないか」
「本当に世界で通用するのか」
というようなネガティブな意見もあった。たしかにそうだ。大迫選手はマラソン初挑戦なのだ。いったいどんな走りをするのか、それは誰もわからない。だが、“マラソンを走ったことがない”のだから、否定するのも無意味だ。大迫選手の限界は、彼ですらわからないのだから。
2ヶ月後の4月17日。
そんな“議論”を一蹴する答えを大迫選手は出した。
ボストンマラソンを3位(2時間10分28秒)で快走したのだ。
しかも、終盤まで先頭グループで走り、「優勝するのか?」という期待も抱かせる走りだった。ボストンマラソンでの日本男子の表彰台は1987年大会で優勝した瀬古利彦選手以来30年ぶりということもあって、大迫傑の名は各メディアを通じて広まった。もちろん、トラック競技で結果を出している選手だが、日本でのマラソンへの期待、注目度は大きい。ボストン3位という事実は人々に大きな衝撃を与えたようだ。時代が大迫選手を捉えだした。
大きくガッツポーズをした後、苦しそうな表情を浮かべた
日本がゴールデンウィークに入った頃、大迫選手に話を聞く機会があった。
この日、テレビや雑誌などの取材が数件入っているという。世間に注目されていることを肌で感じているはずだが、浮かれる様子はない。いつもと変わらない大迫選手がいた。
ボストンマラソンの周りの反応を聞くと
「僕の周りでは変化はないですね。特にアメリカにいると、そんなに。急に親戚が増えるようなことはないですね」と笑った。取材中、それほど笑うことのない大迫選手だが、束の間の休息ということもあってか、リラックスしている様子だった。クールな大迫選手といえども初マラソン挑戦という、ある種の重圧からの解放もあるのかもしれない。
ボストンマラソンのゴール直後、大迫選手は大きくガッツポーズをした。その後、膝に両手を置き苦しそうな表情を浮かべた。憔悴しきっている様子だった。タフなレースだったことがテレビ画面を通してからも伝わってきた。
「僕だけではなくて、いろんなところが痙っている選手が多かった。レース後、マッサージルームでケアをしている選手が多かったですね。アップダウンが多く、終わった瞬間は思った以上に足がきつかった。もう次(ボストンマラソン)はいいかな(笑)。特に下りでダメージは残りました。タイムというより、良い順位だったのでその辺はよかったと思う。2時間11~12分で走れれば、5~6番には入れるかなとコーチとは話していたんで」
1位のジェフリー・キルイ選手が2時間9分37秒、2位のゲーレン・ラップ選手は2時間9分58秒。大迫選手のタイムは2時間10分28秒。キルイ選手との差は51秒だった。アップダウンの多いボストンのコースはタイムが出にくいと言われている。しかも、当日はスタート時の気温が21度と高く、レース中は25度くらいにまで上がった。きついレースだったようだ。事実、サミー・キトワラ(自己ベスト2時間4分28秒)や2016年度優勝者レミ・ベルハヌ (自己ベスト2時間4分33秒)といった有力選手が途中棄権をしている。
大迫選手はキャップをかぶり、こまめに水分補給をしながらレースに挑んだ。その厳しい環境下でもコーチであるピート・ジュリアン氏との「想定タイム」を上回る結果を出した。数日は筋肉痛、暑さのために内蔵のダメージはあったが、すでに疲れは取れたそうだ。レースで履いたのは〈ナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4%〉。マラソン2時間の壁を越えようとする挑戦である“Breaking2”のために開発されたイノベーションを搭載したシューズだ。
「丸亀国際ハーフマラソン(2017年2月5日)から継続して履いていて、トレーニングでも履いている。これまでのシューズとは大きく違っていて、しっかり、クッション性もあり、自分を助けてくれる部分がありましたね」
大迫選手のマラソン挑戦表明は2017年2月後半だったが、リオ五輪後の2016年10月辺りから距離を重ねていたという。ボストンマラソンはどのように決めたのだろうか。
「徐々にマイレージは延ばしていた。丸亀ハーフを終え、練習内容からしてマラソンを走れるんじゃないかとコーチに言われた。それに、東京オリンピックをマラソンで狙うのであれば、早めに走っておいた方がいい。コーチとマラソンカレンダーを見ていたら、2ヶ月後にボストンマラソンがあるじゃんって。それで決まったんです。それに、無茶苦茶速い大会に参加して、トップ集団と別になると意味がない。だから、早すぎないレースってところで探していました」
後半、先頭集団内で、離れたり着いたりと駆け引きをしているように思えたが、実際は自分を俯瞰するように淡々と走っていたと大迫選手は言う。
「1マイルあたり4分55秒~5分のペースをキープするようにしていました。駆け引きには対応しないようにしていた。それでも着いたり離れたりで、きつそうに見えたかもしれません。でも、実際は自分のペースで行っていたので、わりと最後まで余裕はありましたね」
淡々と自分のペースを守り、その結果を積み重ねていく。長距離に挑戦するからといって、なにも変わるわけではない。そんなファクトを重ねていく大迫選手の態度はレースに臨む態度にも現れていた。終盤のハートブレイクヒル(心臓破りの坂)を下見した程度で、コースのことを事前に調べることはなかったと言う。
「(マラソンを走った)経験者の意見はなるべく聞かないようにしていました。いろいろ言ってくれるけれど、それはその人の経験でしかない。自分でやってみないと。それに、みんな脚色して言うわけですよね。それを気にしてしまうと、変な意識を植え付けられてしまう。最後のハートブレイクヒルより、その前の坂の方が短いんですけど、こっちのほうが結構あった。実際、ハートブイクヒルはきつくはなかったですから」
「人の意見は聞かない」。もしかすると、不遜な態度に感じる人がいるかもしれない。しかし、自身で体験し、実証するまでは信じない。真実に対して、極めて冷静に接する真摯な研究者のような印象を受けた。
そんな彼もオレゴンプロジェクトで共にトレーニングを重ねるトップランナーたちからは、良い刺激を受けているようだ。同チームのゲーレン・ラップ選手は今回2位、女子のジョーダン・ハセイ選手も3位。オレゴンプロジェクトのメンバーが表彰台に3名も登る快挙だった。
「ラップ選手とは、お互いによくやったねってそれくらいですよ。同じチームとして、女子の選手も結果を残したってことはうれしいことでしたね。彼らはモチベーションになっている。これだけやったら、これだけ走れるといういい指標になる。より明確に目標を持って練習ができます。身近に強い選手がいるので、より練習に対しての目的意識が強くなりましたね」
リオ五輪から得た経験が今回の記録につながったかと問うと「それはないです」と大迫選手は即答した。
「リオで大きく気づいたことはありません。リオで得た経験はただ走っただけなので、そこで自分が大きく変わったことはない。今までの練習の蓄積の結果がリオだっただけで、それを継続した結果がこの結果であって。(練習を)継続していくことで次の結果、自分が成長するっていう、……そういう認識ですね」
大迫傑は東京五輪ではマラソンを走るのか
ボストンでの結果を受け、すでにメディアでは
「東京五輪でメダルを」「男子マラソン界期待の大迫」という文字が躍る。しかし、当の本人はまだマラソン一本と決めたわけではない。2017年世界陸上競技選手権大会は1万メートルで出場したいと考えている。
「(東京五輪は)マラソンで行けたらいいかなという思いはある。注目度も高いですし。でも、自分のやることは変わらない。心に変化がないとは言えないのですが、なるべくそういうことがないように努力していきたい。2回、3回とマラソンを走る中で目標は決まっていくと思うんですが、やはり(次の五輪は)東京開催なのでメダルを取るとか、上の順位を狙いたいというのはある。だけど、それは直前になってみないとわからない。今はそれに向けて努力はしますけれど、なんともいえないです。ひとまずはトラックが終わってからですね。今からの2~3ヶ月はトラックをしっかりやって、そこから次にマラソンを作っていく感じです。マラソンの選考はこれまでに比べてより明確になった(選考大会で3人のうち2人を決め、残りの1人は19年秋から20年春までの国内指定大会でのタイム最上位者とする)。プロセスが見えやすくてわかりやすくていい。いいなと思いますね」
ボストンはただの通過点。大迫選手はずっと先を見据えている。ボストンで3位になったから急に速く走れたり、持久力が付くような奇蹟は起こらない。大迫選手はファンタジーの世界には生きない。残酷なリアルの中、その時のコンディションに合った練習を積み重ね、コーチと話し合い、最高の高みに向かって進んでいく。そうやって0.5秒、1秒を縮めていく。
まずはロンドン、そしてその次には東京。
着実に、一つずつだ。
大迫傑(おおさこ・すぐる)
1991年5月23日生まれ、東京都出身。早稲田大学スポーツ科学部 卒業。ナイキ・オレゴンプロジェクト所属。2012年世界ユニバーシアード選手権大会10000mでは日本人として16年ぶり4人目の金メダルを獲得。
自己記録 3000m:7分40秒09(日本記録)
5000m:13分08秒40(日本新記録)
10000m:27分38秒31
ハーフマラソン:61分13秒
フルマラソン:2時間10分28秒