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オリンピック4個、世界陸上6個。“金メダルコレクター”の異名を取り、“陸上界最強の選手”と言われる男、モハメド・ファラー。今季を最後にトラックからロードへ戦場を変える。観る者を圧倒する走りの秘密を知ることのできる貴重な機会を得た。

(写真 松本昇大 / 文 小泉咲子)

東洋大学陸上部で貴重なセッションが実現
10月、駅伝の強豪・東洋大学の特別講師を務めたモハメド・ファラー選手。陸上界のスーパースターを前に、緊張を隠せない生徒たち。そんな生徒たちに「僕も緊張している」と笑顔で冗談を飛ばし、リラックスさせる。

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セッションは、「普段から大事にしていて15分くらいは費やす」というストレッチから始まった。片脚で立って太ももをストレッチしても一切ブレず、体幹の強さを感じさせる。前屈ひとつとっても、柔軟性の高さに驚かされる。そして、ウォーミングアップで軽くジョグ。「逆回りをしたり、(トラックではなく)芝生を走ったりすると、いつもと違う筋肉を動かせる」とアドバイスする。ジョグ中、大きな笑い声が聞こえてきた。スター選手でありながら気さくなキャラクターに、生徒たちの緊張もすっかり解けたようだ。
続いて、多くの生徒が「ためになった」と語ったウィンドスプリントへ。「スタート時は歩幅を狭く、だんだんリズムにのって広げていくように」と指示を出し、デモンストレーションを行う。すると、生徒たちからどよめきが起こった。軽やかなのに、力強い。矛盾するのだが、ストライドが大きくダイナミックで、跳ねるように前進していくファラー選手の走りを表現するには、どうしても相反する言葉を並列しなければならない。

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「長距離選手にとっても、スプリントは大事だ。僕は、長い距離を走った後に、200mを25~26秒くらいで走ったり、80mを何本か全力で走ったりしているよ」

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最後は、出雲駅伝にエントリーしている選手と共に、2000mを5分〜5分半、2分45秒/kmペースで走った。セッション中に、ファラー選手が繰り返していたのは「姿勢を正しく」というフレーズ。
「下を見ない。顎を引く。胸を広げる。とにかく正しい姿勢をキープしろ」と檄を飛ばす。
基本に忠実であることが、ファラー選手の揺るぎない強さの秘密のひとつだと教えられる。

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生徒とのQ&Aでは、怪我をしている生徒から怪我をしている時の心境を尋ねられる場面が。学生選手と世界のトップ選手。立場は違えども、怪我の辛さは変わらない。

「怪我は全アスリート共通の悩みだ。『なんで自分だけが…』と思いがちだが、家族や友人、愛する人からの励ましをもらいながら、ポジティブにいようと務めている。リハビリ中は、怪我が治った時のことを想像しながら、ジムワークやストレッチなど、今、できることを全力でやっているよ」

別の生徒からは、誰しもが知りたい勝ち続ける秘訣を問われた。

「身体の声に耳を傾け、昨日でも明日でもなく、今日できることに集中することだ。調子が悪ければ休むこともそのひとつ。大事なレース前は、僕も緊張をする。でも、緊張というのは『上手く走りたい』と思うからするのであって、一回冷静になり、このレースのためにしてきたトレーニングを思い出すようにしている。『ちゃんと準備してきたんだから大丈夫』と自分自身に言い聞かせ、自分を信じるんだ」

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強さの秘密を日々のトレーニングから探る

「トレーニング期間中は、朝食後、12マイル(約20km)くらい走る。それからシャワーを浴びて、昼食をとり、昼寝もして、ジムワークをしてから、さらに5~8マイル(約5~12km)走っている。1週間で120マイル(約200km)は走ってるね。トレーニング期間でなくても毎日走ってはいる。身体が走ることに慣れているから、走ってないと疲れちゃうんだ(笑)。ジムワークは、スピードを高めるためにも、瞬発力を養うためにも必要不可欠で、重視している。詳しい内容は秘密だけどね(笑)。特別なメンタルトレーニングはしてないけど、他の選手の映像を観てモチベーションを高めている。ポーラ・ラドクリフ、スティーブ・クラム…たくさん観ているよ。2010年のシドニーオリンピック10000mは、とくに気に入っているんだ。あとは、子供とテレビゲームをして鍛えているかな(笑)」

2017年を最後にトラックでの競技生活を終え、マラソンへの転向を発表している。来年のロンドンマラソンで2時間8分で走ることが当面の目標だ。トレーニング内容やメンタルに変化はあるのだろうか。

「マラソンとトラックはまるで違う。トレーニングでは、もっと長い距離、20マイル(約32km)、28マイル(約45km)と、もっと長い距離を走らなければならない。実践的なトレーニング抜きには勝てないからね。完璧なレース展開でメジャー大会を勝ちたいと思っているけど、マラソンには経験が必要だ。試合ごと、学んだことを次のレースに活かし、2時間8分のパーソナルベストをどんどん破っていきたい。そのためには、メンタルもより強くなければ。トラックはグルグル回ってすぐに終わるけど(笑)、マラソンは長くて前に進み続けないといけないからね。精神的にきつくて、誰かに押さえつけられるように苦しい時もある。でも、そうしたことも学んでいけば、乗り越えられると思っている」

レースに出れば優勝が当たり前。これまで数々の大会で輝かしい戦績を収めてきたが、自身がブレークスルーしたと感じた瞬間はいつだったのだろう。

「2010年のヨーロッパ選手権だ。その前の2006年の成績は2位で『もっと上に行きたい、行ける』と思ったんだ。実際に4年後に勝てて、『これで行ける』と確信できた。一回勝つと、みんな自分を目指してくる。研究されて、勝つことが難しいこともある。だからこそ、自分は『勝ちたい』とハングリーに、強く思い続けているんだ。サブ2を目指した『Breaking2』のようなこともまたやってみたい。人間の能力に挑戦し、不可能を可能にする過程の中で、いろんなことを経験できるからね。テクノロジーを活用しながら、以前だったらできなかったことに挑戦していきたい」

開発から関わってきたNike Zoom Vaporfly 4%でロンドンマラソンに挑む

「アスリートにとってシューズはすべて。最高のシューズは、自信をもたらしてくれる」と語るファラー選手。マラソン転向後、初となる来年のロンドンマラソンでは、NIKE ZOOM VAPORFLY4%を履くつもりだ。開発スタート時から関わり、いくつもの試作品で試走してきただけに、そのすべてを知っている存在と言っても過言ではない。

「このシューズは、僕が試作品の段階で感じたことがフィードバックされている。クッション性も高いし、脚を守ってくれるサポート性もある。カーボンファイバーによってバネで跳んでいるような推進力の感覚を得られる、いいシューズになった。履いた瞬間に『行ける』と思えるんだ。NIKEのアンバサダーを長いこと務めているけど、シューズ作りを含めて、アスリートをサポートしよう、理解しようという姿勢をいつも示してくれる。そうした環境にいられることはラッキーだね」

NIKE ZOOM VAPORFLY 4%を履き、ロンドンマラソンのスタートラインに立ったファラー選手が、アスリート人生の第二幕でどんなスタートを切るのか。世界中が注目している。

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モハメド・ファラー

1983年、ソマリアで生まれる。内戦のため、8歳でイギリスに移住。体育教師に才能を見出され、陸上の道へ。2012年ロンドンオリンピック、2013年のモスクワ世界陸上、2015年の北京世界陸上、2016年のリオオリンピックにおいて、5000mと10000mで金メダルを獲得。2017年ロンドン世界陸上では、10000mで3連覇を達成した。自己ベストは、5000mで12分53秒11、10000mで26分46秒57。