fbpx

(写真 国内・八木伸司 / 海外・藤巻翔 / 文 礒村真介)

昨年末に舞い込んだ、「鏑木 毅が、50歳で迎える2019年に、再びUTMBを目指す」というニュース。ある人にとっては待望で、ある人にとっては驚きだったであろう。この挑戦は「NEVERプロジェクト」と銘打たれ、そこには多くの人と共有したいという想いが込められている。実際にプロジェクトの特設WEBサイトが立ち上がっており、まずは2017年10月に挑戦した100マイルレース『グランド・レイド・レユニオン』に挑む姿が十数分のドキュメンタリー映像として公開されている。

総合44位に終わったレユニオン。決して満足できる順位では無かったはずだ。その結果を受け、2019年のUTMBという挑戦を公言した鏑木が今、考えていること--。

レユニオン、惨敗。
過去に類をみないプレッシャー。

「3度目の挑戦となったレユニオンには、今までとは違った種類のプレッシャーを感じていました。2013年、2014年とで2回連続のリタイアを喫しているので、まずは完走が絶対条件。そのうえで次に繋げられるような走りをしたい。つまりは結果です。誰にも伝えていませんでしたが、26時間台というのがベンチマークとして頭の中にありました。ただ、そのタイムを追及するがためにリスクを冒して途中リタイアというのは許されません。その2つのバランスが難しく、レース前もレース中もずっと考えていました。今まで何度も100マイルのレースを戦ってきましたが、これほどまでに大きなプレッシャーを感じたのは初めてでした。

  • NEVER 鏑木毅
  • NEVER 鏑木毅

レース前日、前々日は部屋に籠って心の整理をしていました。自分はなぜこの大会に出るのか、どんな走りをしたいのか。100マイルの長い長い行程を頭の中に思い描き、繰り返しシミュレーションをします。でも、今回は前向きな気持ちに立て直すまでがなかなか難しかったですね。だから日本に残って応援してくれている家族へと何度も電話を掛けました。妻には、ここ数か月の練習の仕上がり具合から、レースではどういう展開で走ったらいいかなと、けっこう具体的な相談をします。あとはメンタルの弱い部分をさらけだしたりもしますよ。そういうやりとりをしているうちに心の整理がついて、最終的にはすごくいい精神状態でスタートに立てました。過去2回はレユニオン独特のお祭りのような雰囲気にのまれ、浮ついていたように思います。でも今回はやるべきことはやったと思えていましたし、最終的には結果ではなく、ゴールラインにたどり着いたときに心底納得できるレースができればというビジョンが明確になっていました。だから他の選手の表情を気にすることもなく、集中できていましたね。

NEVER 鏑木毅

スタートは22時。幸い天候は穏やかで、月明かりが山々を照らしてくれ、景色を眺めて楽しむ余裕がありました。序盤の入りは非常によかったです。約40kmのピトン テクスターというエイドでサポートスタッフに会って、まずは一息つくことができました。タイムや順位は気にしないで行こうと考えていたので、敢えて聞かずに、補給と装備を整えることに集中しました。体力にはだいぶ余裕を感じていて、この調子であればいい感じでゴールできそうだという手ごたえがありました。

エイドを出てしばらく進み、シラオス谷という巨大な渓谷に踏み入れたところで夜明けを迎えます。レユニオンの名峰が朝陽に照らされて浮かびあがり、周りのランナーとその景色に見とれながら、リラックスして進んでいました。過去2回はこのシラオス谷のエイドに降り立った時点で既にそこそこの疲労を感じていたので、日の出とともに気を引き締めなおしたのですが、いざエイドに着いてみると、メンタル的にもフィジカル的にもまだ余裕がありました。ただ、まだやっぱり前にだいぶランナーがいるなと感じましたね。完走を大前提としつつも、ここからは徐々にペースを上げていこうと、少しずつ慎重にアクセルを踏んでいきました。

シラオス谷を抜け、峠を越えると、そのまた次にマフェテ谷という巨大な渓谷が現れます。レースでは日中のほとんどをこの渓谷のなかで過ごすことになります。その峠越えからの下りパートで最初の異変が起きました」

NEVER 鏑木毅

トラブル発生。
最も集中した集中したラスト60km。

「端的にいうと胃腸のトラブルです。それに伴って、今までほぼゼロだった疲労感が急に全身へと出現しました。快晴で、暑さが厳しかったことを覚えています。でも、本来自分は暑さには強い方なんです。暑さに耐えて、皆が苦しんでいるなかでペースを上げていくことを持ち味にしていたのに、今回はそれができなかった。とにかくこの状態を打破しなければと、長年の経験を導引していろんなことを試しました。補給の仕方やタイミング、あるいは補給するものを変えてみたり、メンタル的なチェンジを試みたり、登り方のフォームを変えてみたり。でも、何かを試すと少しは改善するものの、悪い状況を完全に抜け出すまでには至らないんです。そんなことは初めてだったので、戸惑いを感じていました。

正直に言えば、その辺りからずっと“老い”が頭の片隅にちらついていました。かつてのカブラキ ツヨシなら、皆がキツくなるこの状況でガンガン上がっていくのが真骨頂だったのに、それができないジレンマ。トレーニング段階でやるべきことをやってきたはずなのにと。2016年に走ったパタゴニアのレースでは、後半吐きながらもペースを上げていけたのにと。人間、弱気になると人に会いたくなります。マフェテ谷を登り切った、マイドという峠が次のサポートポイントです。だから、とにかくこの渓谷を抜けてマイドにたどり着こう。そのことだけに集中することにしました。このときは、自分の中でゴールラインがまったく見えていませんでしたね。

  • NEVER 鏑木毅
  • NEVER 鏑木毅

いざエイドに着いたら、とにかくホッとして、丸一日溜めていた弱い部分をさらけ出してしまいました。ちくしょうって。でもそうしたら不思議と心の整理がつきました。心と体をいったんリセットし、26時間台というのは忘れて、ここからは別のレースをしようと。依然として胃は補給を受け付けず、口にしたものはすべて吐いてしまいます。補給ができないことによる疲労が全身にあらわれていました。でも、過去2回もリタイアを喫しているこのレースにケリをつけないことにはこの先が見えません。ただただ完走へと集中することにしました。補給が足りていないことは冷静に自覚できていので、今にも山中で行き倒れてしまうかもしれない、その恐怖が常につきまといました。なるべくエネルギーを使わず、最小限の出力で効率よく走ることに神経を注いで。こんなに集中したラスト60kmというのはなかったです。不整脈の再発の怖さも最後までぬぐえませんでした。前回、エネルギー切れがスイッチとなって不整脈が出たという感覚があったので…

ゴールが見えたときは本当に嬉しかったですね。リザルトに関しては満足できるものではありません。でも、レース中に『ああしておけばよかった』という後悔は一つも無かった。その日にできるベストをしっかりと尽くしたので、ゴールへのダウンヒルでは充足感に満たされていました。途中ではチラッチラッと、みっともないかなって頭をよぎるんです。かつてはUTMBで3位になったこともあるのに、今はこんな姿になって走ってるって。でもスッと消えますね。今この時間に集中しようって。3度目のレユニオン、終わってみれば心底満足できるレースができました」

NEVER 鏑木毅

かつてのカブラキツヨシと、
これからのカブラキツヨシ。

「2019年のUTMBを目指す挑戦を『NEVERプロジェクト』として皆さんと共有させていただくことになりましたが、その中で追求したいのは、自分の心に正直になるということです。人間誰しも、他人からこう見られたい自分の姿というのがあります。僕自身、かつてのカブラキツヨシに対する周囲の見方や思いを感じることもあります。これまではその期待や評価にたがわぬ自分でありたいという生き方をしてきました。それも大切なことですし、だからこそ成しえたことの上に今の自分の立ち位置があるのだと思っています。

今回のレユニオンでは、世界のトレイルランニングが、想像をはるかに超えるレベルで進化していることが肌感覚で理解できました。その反面、自分が思っている以上に自分の肉体が衰えているということも感じました。そのギャップからも、2019年のUTMBは本当に難しいチャレンジになるということが痛いほど分かりました。今までの自分には世界最高レベルで競っていたときの自分なりのプロセスがあり、いつまでもそこにしがみついていてはいけないと思いつつも、本当の意味では離れられていませんでした。でも、それは49歳の自分には当てはまってはくれないことが痛感できました。今の肉体に合うスタイルを改めて考え、追い求めなければ、この先はもう戦えないでしょう。

  • NEVER 鏑木毅
  • NEVER 鏑木毅

でも、面白いですよ。この年になってそういう創造的な思いを抱ける対象に出会えていることに、改めて感謝と幸せを感じています。辛く苦しい作業ですけど、この歳でできるアプローチは何だろうって。あと何日残されているかわかりませんが、長いようで短いですし、人間なのでそう多くのことはできません。その分、一日一日集中して、ひとつひとつに魂をこめて。UTMBのレース本番は24時間ほどの勝負ですが、それに向かうすべての過程に強い想いを抱いて、やり抜きたいです。

だから、今ではレユニオンで惨敗して良かったと思っています。中途半端に期待が持ててしまう結果が出なくって、本当に良かったって」

NEVER 鏑木毅

道なき道を選んだ
49歳のアスリートを想う

これまで鏑木には、彼なりの王道のプロセス、セオリーがあった。それを完遂するには血のにじむような努力が要求されたけれど、やり遂げさえすれば栄冠にたどり着けた。楽ではないけれど、道は見えていた。でも、今はその道自体が見えない。他の日本人トレイルランナーがまだ足を踏み入れたことがない領域を、再び切り拓いていかなくてはならない。
鏑木は2019年で再び挑むUTMBに関して、順位やタイムといった目標を公言していない。それらの数字を口にするのは、ある意味簡単であり、分かりやすい。でも、その分かりやすい目標を達成することと、自身の充実感がイコールになるとは限らない。それを49歳のアスリート鏑木は分かっている。真に満足できるかどうか、細胞のひとつひとつが沸き立つような感覚が味わえるか、その根っこは自分の中だけにある。もちろんたやすく手が届くような目標設定はしない。妥協なく高みを目指し、真っ白な灰になるまでやり抜く。

鏑木はカブラキ ツヨシらしくあり続けるために、変わることを選んだ。それは勇気をもって真剣に想えば、誰でも、いつでも、何かへと挑戦することができるというメッセージだ。

NEVER 鏑木毅

鏑木 毅(かぶらき・つよし)
1968年、群馬県生まれ。齢49歳にして世界の一線で競い続けるプロトレイルランナー。世界最高峰レースUTMBでは表彰台にのぼること4回。ほか2016年ウルトラ・フィヨルド141km準優勝など。UTMFなどの日本全国の大会プロデューサーも務める。
NEVERプロジェクト特設サイト:http://never.trailrunningworld.jp