「2016年以降、ちょっとでも速い人が出てくると、“ネクスト・ボルト”と呼ばれてきたと思う。“ネクスト・ボルト”と言われるのは、たぶん私で6人目ぐらいじゃないかな…。だから、そう呼ばれることには、特に大きな意味はない」
と、きっぱりと言い放つ。強い個性を放つアスリートにとって当然といえば当然なのかもしれないが…。

「実際のライバルというのは自分自身のみだと思っている。だけど、競争する相手がいなければ、これからのキャリアが退屈だ。突如どこからともなく速い人が出てきて、負かされるようなことがあれば、私もさらに本気度が増すので、楽しみだ」
多くの “ネクスト・ボルト” 候補たちを、ライルズは自身のキャリアアップの肥やしにするつもりだ。
陸上一家の異端児
ノア・ライルズは、両親ともに陸上選手としてのキャリアがあり、弟のジョセフスも400mの選手として活躍している。だが、陸上一家のなかで彼だけが異なる点がある。

「両親も、おばも400mを走っていたが、たぶん純粋に100mを走っているのは私だけだと思う。私だけ家族のなかで変わり者なんだ。だが、家族で誰一人、オリンピックには出ていないので、そのジンクスを私が破ろうと思っている」

ライルズがオリンピックを目指そうと思ったのは15歳の頃のこと。当時は走高跳にも取り組んでいたが、限界を感じて短距離に専念した。そして、ユースオリンピック200m、U20世界選手権100mと、着実に各世代の世界大会でタイトルを手にしてきた。
そして、2016年にライルズは大きな転機を迎える。陸上の名門・フロリダ大(現在、日本人2人目の9秒台をマークしたサニブラウン・ハキームが所属する)に入学するも、弟とともに、プロアスリートになる決意を固めたのだ。

「大学に行きたくなかったからね(笑)。実際にオリンピックで走るという夢を追いかけるのであれば、早い段階でプロになりたかった。プロは常にパフォーマンスがよくないといけない。世界中を旅しないといけないし、自分でコーチやトレーナーを探す必要もある。エージェントも入るので、みんなに好成績を期待される。そのプレッシャーに対応しなければならない」
早くからプロ志向は高かったが、自身の夢を実現させるために、あえて厳しい道を選択した。こうしてライルズはアディダスと契約し、プロアスリートになった。

レースではadiZero Prime SPを履く。ライルズにとって、ハイパフォーマンスに欠かせないスパイクシューズだ。
また、タイソン・ゲイ(男子短距離)やトリ・ボウイ(女子短距離)といった世界チャンピオンを育てた実績をもつ、指導者のランス・ブラウマン氏との出会いも大きかった。
「ランスコーチは、“誰も聞いたことのない、世界一の素晴らしいコーチ”と呼ばれていて、内情を知らない人には、彼の名前はあまり知られていないかもしれない。でも、彼には、これまでに若いアスリートを素晴らしい選手に育てた経緯があったし、このコーチと一緒にやるのが一番だと思った。(ランスコーチの指導を受けるようになって)全てが変わったよ」

もっとも、当時のライルズはスターティングブロックを十分に使いこなすことさえできていなかったという。それほど伸びしろがあったともいえるが、名コーチとの出会いによって、ライルズの才能は一気に開花した。
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