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叙事詩的な100マイルがもう1時間後に始まろうかというのに、〈OURAY100〉のスタート地点フェーリン・パークには浮き足立った雰囲気は無い。トレイルランナーたちは続々と集まり始めるが、決して広くない公園を埋め尽くすほどの人数ではない。音楽もなければ、MCもない。距離164km・獲得標高13,000mの旅は、シュプレヒコールのひとつもなく今まさに始まろうとしていた。

前編はこちら

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だが志村は、この世のプレッシャーというプレッシャーを一身に集めたような、そんな硬ばった顔をしている。だが気負うのは、それだけこのレースにかける想いが強いから。そしてそれだけの鍛錬を積んできたからだろう。7月26日午前8:00、号砲が鳴り〈OURAY100〉が始まった。

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セクション1 フェーリンパーク→ローワーキャンプバードAS(5.5マイル/8.8km)
“スタートからキャンプバードASまでダラダラと登りが続く。今回のレースは、自分がどこまで行けるのかやってみようと考えていた。それだけの練習を積んできたという自負もあった。とにかく最初からトップ集団にくらいつき、貯金を作る。そうでなければ、リザルトは狙えない。1位の選手は明らかにオーバーペースだったので、2位集団に食らいついていった”
(志村裕貴の手記より)

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志村がユーレイまで旅をしてきたのには、訳がある。この狂気じみた山岳レースで、しっかりと、自らが誇れる成績を出したい。35時間という目標タイムは、昨年なら3位に相当するものだ。2018年にハワイの〈HURT100〉で100マイルデビューを果たした志村は、その時7位という好成績を上げた。「夢見心地だった」と思い返す良い思い出だ。しかし続くUTMFでは後半に崩れ29位、信越五岳では終盤にコースロストで17位と、後味の悪いレースが続いていた。

「信越五岳で、自分のポジションを失わないでゴールできていれば、UTMFからの『ゴールテープ』を切れたのかもしれません。意識して100マイルに出始めてからまだ、100マイルを本当の意味でゴールできていないと感じているんです」志村が〈OURAY100〉でリザルトを求める先には、強く100マイルをフィニッシュしたいという思いがある。たまたまの偶然だが、志村が7位に入った〈HURT100〉で優勝したエイブリー・コリンズは、2016年の〈OURAY100〉を34時間01秒で優勝している。間近で見ると「飛ぶように走っていた」コリンズの存在も、どこかこの大会への縁として感じられるのだった。

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コースこそハードだが、出場人数も100人そこそこという規模で開催される〈OURAY100〉。わざわざこのレースを選んで出場するのは、ある種の変わり者だ。日本からはるばるやってきた志村はその筆頭ということになるだろうが、他の面々も当然、相当の曲者が揃う。

その中でもとりわけ注目を集めるのは、世界でも指折りのカルト的トレランイベントである〈バークレーマラソン〉の100マイルで、2度の完走経験があるブレット・モーヌ。走力だけでなく山を読み解く力が総合的に問われるこの大会で2度の完走経験は、この〈OURAY100〉でも遺憾無く発揮されるはずだ。

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次第に太陽は高く昇り、じりじりと選手たちの肌を焦がしていく。先頭はフランス人のオレリアン・サンチェスが一人で飛び出し、その後ろの2番手グループに志村が入った。8.8km地点、最初のエイドステーションに到着すると、ブレットも後ろから追いついてきた。ここから先は早速の「登って下って戻ってくる」セクションだ。

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セクション2 ローワーキャンプバードAS→シルバーベイシン→ローワーキャンプバードAS(6マイル/9.6km)
セクション3 ローワーキャンプバードAS→リッチモンドAS(2マイル/3.2km)

“エイドステーションで、バークレーマラソンを2度完走している猛者ブレットと一緒になる。走りに無駄がなく、強いランナーだということはすぐに分かった。最初の山登りということもあり、お互いペースを探っていた感じだ。山頂部には残雪もあり、2人で雪を滑る余裕もあった。下り区間では、お互いのホームコースの山の話をしながらリラックスして走る”
(志村裕貴の手記より)

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早くも注目のブレットと一緒になった。だが、長い100マイル、競い合う相手と言えど共に挑む仲間でもある。旅は道連れ、とは良く言ったものだ。

だが、30km地点に早くも現れる〈OURAY100〉最大標高地点、フォート・ピーボディ(4066m)への登坂でブレットの強さを体感することになる。

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セクション4 リッチモンドAS→シカゴトンネル→フォート・ピーボディ→リッチモンドAS(7.8マイル/12.5km)
“最高到達点へのジャブともなるシカゴトンネルの登りをブレットと共に登る。この登りではアメリカに来てからの自分の成長を強く実感できた。2日目以降からの高地順応が効いている。行けるかもしれないという自信が沸いた瞬間でもあった。その勢いのまま、最高到達点フォート・ピーボディに向けて自分をプッシュする。やはり、空気の薄さが際立って感じられた。ブレットは、そんなのは関係ないと言わんばかりに、かなりのハイペースで登っていく。ここで離されるわけにはいかない。山頂までは意地でも食らいつこう、そう自分に言い聞かせた。がれた岩場の山頂部でブレットと一緒に写真を撮る。ブレットはまだまだ余裕があるようだった。この下りで彼とは離れることになる”
(志村裕貴の手記より)

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エイドステーションで志村の折り返し到着を待つ間、後続の選手たちも続々とやってくる。どのトレイルランニングイベントでもそうであるように、地元のボランティア(おそらくは主催者チャールズの知り合い)が水に補給食を用意して選手の到着を待ち受ける。そこにするするっと入っていき、やってくる選手のケアを始めたのはアンソニー。ペーサーとして86km地点ウィーホーケンから志村に合流するアンソニーは、さも当然というようにやってくる選手たちのボトルを受け取って給水し、パックパックを脱がせてやり、ランナーを休ませる。「コースはどんなだった?」「調子はどう?」と気さくな会話がその度に始まる。

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アンソニーがティモシー・オルソンに師事するエリートランナーであることは前編で触れた通り。時間があればひたすら山を走っているような男だが、それだからこそ、100マイルを走る選手の孤独も知っている。エイドステーションが見えた時の安堵や、そこで声をかけてもらえることがどれだけ嬉しいかも。アンソニー自身、86km地点からはおよそ80kmの道のりが待っているのだから、少しでも休んでおくべきところを、「こうやってエイドでランナーと話すのが好きなんだ」と、結局は志村と合流する深夜まで寝ることなくランナーをサポートし続けた。ランナーとして、速さだけじゃない価値があることを見せられた気がした。

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上位選手であっても油断を許さない〈OURAY100〉だが、志村は距離と標高を重ねるごとにクレバーになっていく。そして刻むペースは快調そのもの。44km地点のアイロントンASに先頭のオレリアンがやってきたのが14:22。ブレットが2番手、追い上げて来たマイク・キャシディが3番手と続き、志村は先頭から30分ほどの遅れでASにやって来た。7時間ほどで距離44km、獲得標高3326mをこなしたことになる。これから待つのは、ここを起点とした一周13km、獲得標高850mのループ2周。それも時計回りを済ませて、反時計回りをもう一回というもの。標高3,000mながら、気温は35℃まで上がっている。

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セクション5 リッチモンドAS→リッチモンドパス→アイロントンAS(6マイル/9.6km)
“ブレットにパスされた後、一緒になったのがマイクだ。ナイスガイという感じで気さくに話しかけてくれる。アイロントンASまでは、サポートが一切受けられないため、この区間はできる限り早めに終えたいと考えていた。当初の予定よりもかなり自分をプッシュできていたため、夜のパートと考えていたアイロントンからのループを、明るいうちパスできるのではないかという気持ちが焦る”
(志村裕貴の手記より)

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アイロントンの周回には、ASで志村を待っていたマイクが声をかけ、一緒に入って行く。旅は道連れ。3・4番手の2名が先行する選手を追ってペースを上げる。この周回は、「レッドマウンテン」と呼ばれるその名の通り赤い山を巡る壮大なコース。だが志村に、景色を楽しむ余裕は無かった。

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セクション6 アイロントンAS→コークスクリューグレッチ→グレイコッパー→アイロントンAS(8.1マイル/13km)
“エイドステーションに入ると、サポートの仲間とペーサーのアンソニーが待っていてくれた。ここで初めて固形物のおかゆを流し込む。体に染み渡っていくようだった。思わず「うまい」と言葉が漏れる。ただ、エイドでの長居は禁物ということも十分理解している。マイクから「ヒロキ行くぞ」と声がかかる。急いで態勢を整え、マイクを追った。ここからは、意地の張り合いという感じだった。マイクが前に出ようとすれば、後ろにしっかりとつく。私が出ようとすればマイクが後方をしっかりとマークする。お互いの、一歩も譲りたくないという気持ちが強くぶつかっているようだった”
(志村裕貴の手記より)

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都合3度選手がやってくるアイロントンASには、サポーターの数も多い。選手がやってくるたびに大歓声が起こる。〈OURAY100〉を走る全ての選手へのリスペクトがある。オフロードバイクでたまたま通りがかった初老の男性は、「ワオ、まるでツール・ド・フランスじゃないか!」と感嘆の声を挙げた。

トレイルランニング姿の初老の女性は、ひょんなことから知り合いになったフランスから参戦した選手のサポートを買って出たという。母と娘くらいに年の離れた二人だが、手作りの補給食を渡し、足のマッサージをする姿にトレイルランナー同士の絆が見えた。あるいは母と娘の間でよりも、その絆は強いものになるかもしれない。こんなにも過酷な山の、孤独な戦いの最中にあっては。

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1周目を終え先頭で戻って来たオレリアンは13kmの周回を2時間5分で回って来た。10分後にブレットが続き、30分後には志村とマイクが揃って姿を現した。この周回に関してはトップのオレリアンと変わらないペースを刻んだことになる。だが、確実に憔悴しているのが、表情と発言から見て取れる。「超苦しい。ケタ違いだよこのコース、何考えてんだ」短い言葉に驚嘆がある。同時に、呪詛も。

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セクション7 アイロントンAS→グレイコッパー→コークスクリューグレッチ→アイロントンAS(8.2マイル/13.2km)
“一周目をかなりのハイペースで終えた。ただ、このハイペースの体へのダメージは大きかった。2周目も同じようなペースで入ろうとするが体が思ったように動かない。はっきり言えば、マイクの力に自分の力が及ばなかったということだろう。しかし、ここで、崩れるわけにはいかない。体の重さを感じながらも、山頂に向けて気持ちを上げていく”
(志村裕貴の手記より)

2周目を終え依然として先頭はオレリアン。70km、獲得標高5000mを走って来てさすがに疲労の色を隠せないが、まだまだ目に力がある。彼は、ジョンミューア・トレイルのサポート無しFKT保持者でもある。ちなみにサポートありのFKTホルダーは件のフランソワ・デンヌ。

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それを知ってか知らずか、オーガナイザーのチャールズがオレリアンに声をかける。「忘れちゃいけない、ここからがもっとキツくなるからね」

志村はオレリアンから遅れること1時間で、アイロントンASへと戻って来た。現在4位。時刻は19:40、間も無く日が落ちる。

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志村 裕貴

志村 裕貴

1986年山梨県生まれ。実家はブドウ農家。地元で開催された〈UTMF〉を目の当たりにしたことで山を走り始める。2018年〈HURT100〉7位、〈UTMF〉29位。2019年〈OURAY100〉4位。普段は小学校の先生として教壇に立つ。
Instagram: @sim46_aozora