2019年、スカイランナーワールドシリーズ2019でアジア人初の年間優勝を果たし、世界のトップに輝いた上田瑠偉。 2020年はさらなる飛躍の一年となるはずだった。世界中が新型コロナウィルスの脅威にさらされるまでは。
行動が制限され、思うように海外にも行けない状況のなか、上田は自身のとるべき道を考えていた。そして2021年10月、発表されたのがコロンビアとの契約を終了し、今後はシューズメーカーと専属契約をしないという決断だった。コロナ禍での約1年半、上田は何を考え、何を目指そうとしてきたのか。話を聞いた。
あそこで負けて良かった
2018年頃から上田は拠点をフランスに移すことを考え始めていた。
「海外を転戦するようになって、トップ10には入れても5位以上にはいけない。状況を打破するためには、もっと向こうの環境に慣れる必要があると思っていました」
迎えた2019年シーズン。上田は各地を転戦しながら、フランス移住の準備を着々と進めていた。ところが、「あとは明日ビザを取りに行くだけ」という段階で、大使館がコロナ禍で閉鎖。計画は白紙にせざるを得なくなった。
「世界一になって世界的認知度も上がって、2020年シーズンはどの大会でも、『RUY! RUY!』と声援をもらえるような、ホームの感覚で走れるのではないかと期待していましたから。すごく残念でしたね」
海外遠征どころか、緊急事態宣言に入った日本での練習もままならない日々。自宅周辺に山はなく、半径5km以内を走るのがせいぜいだった。
「今の自分は世界でどれぐらいのレベルなんだろう」
そんな不安を抱えながら出場した2020年6月の高社山バーティカルキロメーター。緊急事態宣言が明けた最初のレースで上田は近江竜之介に敗れ、2位に終わった。
「レースに出る前は世界一になったからには日本人には負けていられないという気持ちがどこかにあって、変なプレッシャーを感じていました。でも負けたことで、重荷から解き放たれたような気持ちになれた。結果だけ求めていたけれど、もっとレースを楽しんでもいいんじゃないかと自分の考え方を変えることができたんです。今ではあそこで負けて良かったと思っています」
2021年の迎え方
2021年シーズン中盤からは海外レースにも参戦。「意外と戦えるんだなと思いました」と語ったように、世界選手権では優勝と3位という結果も残した。
「ただ、コロナ禍で出場できなかった選手もいますし、強い選手が揃った中で得た結果ではないと思っています。そもそもトレイルランはコンペティションが細分化され過ぎていて、強い選手が分散している状況です。キャリアの上では世界選手権は大切ですが、他にも誰もが知るようなメジャーレースで結果を出したり、強い選手が出そうな大会にフォーカスしたり、いい加減キリアン・ジョルネとも走ってみたい(笑)
コロナ禍になって、自由に行動できない大変さを感じたことで、これまでとは違った視点も生まれました。今までヨーロッパ遠征といっても、スペイン、フランス、イタリアを巡っている感じだったので、行ったことない国にも行きたい。今年出場したオーストリアも楽しかったし、ブルガリアやノルウェー、北欧も気になります」
2022年シーズンを新たな形で迎えることを決意した上田。コロンビアとの契約を終了し、今後は、プロランナーとしてヨーロッパを中心に、自主独立した活動を行うことになる。来季は日本に一時帰国をすることはあっても、ベースはフランスにおく予定だ。
「コロンビアと実業団選手のような契約をしていただいて、今までのトレイルランナーとは違う道を歩んできたなという自負があります。だからこそ人とは違う道をこれからも歩んでいきたい。ヨーロッパのレースは環境やサーフェスもさまざまです。来シーズンからヨーロッパを主戦場にするのであれば、その時々でギアをアップデートしていく必要があるのではないか。より高みを目指すために、広い視野をもって、ギアに関しても新しい環境に飛び込んでみようとコロンビアとの契約解除を決めました。それにアウトドアブランドのスポンサーがついていない選手が、世界の強豪選手を倒していくというのもカッコよくないですか?(笑)」
まずは3月にスペインで行われる129kmのレースに出走予定。上田にとっては久々のウルトラレースだ。
「トレイルを始めた頃はミドルディスタンスのレースにもバンバン出ていたし、100kmを超えるレースも結果を出していましたが、最近、特に今年は40~50kmのレースでもすごく身構えてしまう自分がいて。距離に対する感覚が正常化されてしまったと言うか、バカにならなくなってしまった。もう1度距離に対するネジを外せるようにとスペインのレースに出ることにしました。その後はヨーロッパに留まり、各地を転戦する」
「シューズフリー」アスリートという新たなスタイルへ
スポーツブランドと契約をすれば、商品や金銭面でのサポートを受けられ、知名度も上がる。だが一方で方向性や商品がフィットしない場合、成績に直結する危険性をはらんでいる。自分にとってのメリットとデメリットを天秤にかけて、見極める必要がある。
「名前を売るためには大きなブランドと契約するというのも大事ですし、僕の知名度は海外ではまだまだですから、メリットはあると思います。だけど知名度に関していえば、自分でしっかり結果を残すことで、名前を広げる方が堅実じゃないかと思ったんです。デメリットとしては、メーカーは毎年製品をアップデートします。今は僕の足に合っていても、来シーズンには足型が合わなくなることもあるでしょう。僕の方向性にしても、今はスカイランニングがメインですが、ウルトラに戻ることもあるかもしれない。そう考えたときにアウトドアブランドとは契約をしない方が、僕の世界や可能性は広がっていくと思ったんです」
これまで、他のシューズを試し履きすることなく、コロンビア一筋だった上田にとって、ゼロベースでシューズを選ぶ作業は、新鮮な体験だという。
「シューズの感触も全然違うし、試走するのが本当に楽しいですね。一番最初に試したのはやっぱりサロモン。さすがトレイルを代表するブランドだけあって、すごく良いシューズでしたね。スポルティバはイタリアのメーカーということもあって、山岳地帯にグリップやフィット感がマッチすると感じていて、候補に上がっています。実は第一候補かもしれないぐらい好感触だったのがアディダス。あとはレースの特性に合わせて、見極めていきたいなと思っています」
オウンドブランドを立ち上げる意味
来年には自身のブランドもスタートする予定だ。「アスリートとして良い時期に、事業をするのはタイミングとしてどうなのか」と思うこともあったが、それでも決断をしたのは、日本のトレイルランの未来も視野に入れてのことだった。
「トレイルランは50代になってもできる競技です。僕自身、50代になってもトップで走り続けたいけれど、その年齢になってまで、メーカーからお金をもらうつもりはありません。僕に払うぐらいなら、メーカーには未来を背負う若い選手たちに投資してほしい。そのためにはスポンサーに頼らず自立するための柱が僕には必要です」
日本においてトレイルランナーが競技に専念できるほどのスポンサードを受けることは難しい。賞金が出るレースも国内にはほとんどなく、多くのアスリートがイベントや大会を主催することで、活動費を捻出している。上田のようにスポンサーからのサポートだけで活動を続けてきたトレイルランナーは稀有な存在だ。
「だけど知名度のある上の世代が現役にいるなかで、若手選手に同じことができるかというと難しいと思うんです。さすがに生活面までサポートをするのは無理ですが、遠征費を工面したり、一緒に海外遠征に行ってアテンドしたり、若いうちだけでも競技に集中できる環境が整えたり、(佐久長聖高校の先輩である)大迫(傑)さんの『シュガーエリート』のように若くて有望な選手を集めてキャンプもしたい」
ゆくゆくは『上田瑠偉カップ』のようなレースも開催したいと考えている。イメージは『ミドルディスタンスサーキット』。横田真人がコーチを務めるTWOLAPSが企画したもので、日本初となる優勝賞金100万円の中距離レースだ。
「中距離もそうですが、トレイルも日本で賞金が出るレースはほぼありません。賞金を設定することで、大学生や実業団の選手たちにトレイルの可能性を見出してもらえたらいいなと思っています。そうしたら、もっと力のある世界と戦える選手が発掘できるかもしれない。大切なのは若い選手たちに、僕が活躍のための選択肢をたくさん作ることができるかどうかだと思っています。とはいえすぐに実現できるほどの資金はないので(笑)、まずはブランドを大きくさせることから考えていきたい」
さまざまな経験をしてきた上田がコロナ禍で選んだ新たな道が、日本のトレイルランシーンを変えていくかもしれない。ますます加速する上田の動きに注目したい。