世界で最も過酷なレースと称される「アドベンチャーレース」をご存知ですか? 2011年2月に南米チリのパタゴニアで開催されたアドベンチャーレース「パタゴニア・エクスペディション」でチーム五位入賞を果した和木香織利さん。メンバーで唯一の女性レーサーである彼女は、6年前までは運動をほとんどしない、体重も70キロの女の子でした。まるでドラマのような、アドベンチャーレーサーになるまでの道のりを紹介します。
南米チリで行なわれた600キロの壮絶なレース
今年2月に南米チリ・パタゴニアで開催されたアドベンチャーレースは、マウンテンバイク、トレッキング、シーカヤック、ロープアクティビティの全種目をこなしながら、地図とコンパスだけを頼りに約600キロの道のりを進んでいく、というものでした。決められたチェックポイントを制限時間内に通過しないと失格になるので、つねに時間に追われ、悪天候で中断した5日目まで、私たちの睡眠時間は10時間程度。レース中は、ほとんど動き続けていて。食事も歩きながらが基本でした。
初日で骨折。過酷を極めた9日間のレースの裏側
スタート前日に主催者から地図が配布されます。事前にどんなコースか想定した上で、いくつかのチェックポイントに食料や着替え、ギアを準備する。ひとりが持ち歩く荷物は寝袋、食料、着替えなどの最低限で。どのギアを選ぶかで命運が分かれます。結局、その土地の細かい地形や植生は行ってみないと分からない。今回のレースは、人が一切足を踏み入れない、未踏の地が舞台でしたので、足下は湿地で常に濡れていて、身長以上もある草木をかき分けながら進むこともしばしば。ウエアが破けてしまい、着替えが不足したことで離脱したチームもありました。
自分の思い通りにならないのが当たり前のアドベンチャーレースでは、素早い判断と、どんな状況下でもプラスの答えを見いだせる前向きな姿勢が問われます。基本が、辛い、痛い、苦しい。それが一週間続くんです。
世界最軽量のクライミングハーネスは95g。登山用よりも軽量なアドベンチャーレース用のザック。ウエアとシューズはTHE NORTH FACE。
そんなレース初日に、なんと私は肋骨と胸骨の間の肋軟骨(ろくなんこつ)を骨折しました。ごまかしながらやっていましたけど、ついに4日目で呼吸困難陥り、ショック症状を起こしてしまいました。ヘリコプターでドクターを呼び、チームと相談し、結局、前進することを選んだ。
結果、私たちのチームは、約600キロを168時間58分でゴール。15チーム中5位入賞を果しました。
恋愛とは無縁の私を好きになってくれた人のために運動を始めた
私は今、平日は一日に20キロから40キロを走っています。日吉の自宅から都心までだいたい20キロなので、外食や友達とご飯を食べるとき以外は、走って帰宅したりも。休みの日はチーム練習で、レースを想定したフレキシブルなメニューと、レスキューの技術的な練習もします。
アドベンチャーレースという過酷なレースをやっていると、小さな頃から運動していると思われがちですけど実は違います。走り始めたのはつい6年前。23歳の頃は、体重も70キロ以上(笑)。きっかけはダイエットで、恋愛とは無縁に生きてきた私のことを好きになってくれた男の子がいたんです。その人のお陰で、もっと自分の健康管理をしっかりやって自分を大切にしなくちゃと思うようになったのが、そもそものはじまりでした。
フルマラソンも走ったことなかった女の子がアドベンチャーレースに初出場
1日1キロのウォーキングからはじめて3年後。外国人の友達からアドベンチャーレースに誘われ、その存在を知りました。その大会は富士山の麓で開催される、1日だけのレースで。
しかも、私は必須種目のオリエンテーリング、マウンテンバイク、トレッキング、ラフティング、ロープアクティビティどれも全くの素人で。トータル30キロ~40キロのレースに初心者が参加できるわけがない、と主催者に問い合わせてみたんです。すると、バイクのレンタルも可能で、前日のラフティングとロープアクティビティの講習会に参加してもらえれば、と。結局コンパス片手にがむしゃらに(笑)。なんとかゴールできたんですけど、マウンテンバイクのチェックポイントが山の上だったので、土砂降りの雨の中バイクを担いで登ったり、なんだか不思議な光景ですけど、私は身体いっぱいに生命力を感じてしまったんですね。
世界一の女性と走り、世界はそう遠くないと感じれた貴重な体験
ひとつのターニングポイントになったのが、2010年9月。110キロの信越五岳トレイルレースで、2009年のUltra Trail du Mont Blancの優勝者クリッシー・モール選手のペーサーを務めることになったんです。大会中の4日間を一緒に過ごして意外だったのが、さして特別なことをしているわけではない普通の人だったことです。努力次第で、私もこのレベルまでいけるかもしれない。そう思うことができたんです。
今でも、家族からは信じられないって言われます(笑)。
運動を本格的にはじめたこの6年間で、私の生き方はがらりと変わりました。変えてくれた原動力は、結局、出会いだったと思うんです。ありきたりかもしれませんけど、自分を変えることができるのは自分しかいない。要は、スタートラインに立つか立たないか、だと思うんですね。
(文 村松亮 / ポートレイト撮影 新田桂一 レース撮影 柏倉陽介)