(写真 松本昇大 / 文 村松亮)
「ロンドンオリンピックへ行っても行けなくても現役を引退する」と、400メートルハードラーとして活躍した秋本真吾さんは昨年の日本選手権出場前にそう決意していたのだと言います。そうして選手権の結果、ロンドンへの出場権は得られず、完全引退。その後に待ち受けていたのはアスリートのセカンドキャリアという問題でした。陸上の指導をするのか、思い切ってビジネスマンに転向するのか、今後の人生を考える数ヶ月間を経て、なんと再度、秋本さんは現役復帰を果たしました。
復帰戦は、先月の6月21日。見事復帰戦を優勝で飾ったその当日、福島県相双地区選手権の会場・雲雀ヶ原陸上競技場の地でお話を聞くことができました。なぜ、復帰に至ったのか。これから彼はどうように生きていくのか。
ある女の子のひと言
「将来、プロの陸上選手になりたい」
引退した後、さて、どうやって生活していこうかといろいろと考えていました。そんな中、被災地である僕の地元に密着していたテレビ番組見て、僕の母校の子どもたちが秋本真吾という選手について話しているシーンがあったんです。どうやら局の人たちが子どもたちに僕のことを聞いたり、将来の夢について質問をしていたみたいで。すると、ひとりの女の子が「将来はプロの陸上選手になりたい」って答えていた。その瞬間ですね。ふと「もう一回走ろう」って思い立ったんですよ。そのときにして、僕ははじめて「自分がやってきたことがどこかで誰かの目標になっていた」ことを実感するんです。
突然湧き出た現役復帰への感情、でもその中にはオリンピックや世界選手権、陸上日本代表っていう、これまで僕が必死になって目指してきたものはどこにもなかったんです。やっぱり僕の中ではどれも完結していたことで、むしろ「子どもたちにもう一回走る姿を見せたい」ってことだったんです。
かといって「子どもたちのために走る」って、それだけでは自己満足で終わってしまうとも思いました。だから僕が現役を復帰することにもっと意味をもたせたかったんです。何かを変えたり、新しい動きを作ったり。それで地元の大熊町(福島第一原発事故の最大の被災地とも言われる)の名前をつけたクラブチームをつくろうと思ったんです。自分の現役復帰する所属チームを自分で作って、ノベルティも作って、その売り上げの一部は地元の活動費とか寄付にあてる。僕が活動すればするほど、「オオクマってなんですか?」って疑問を抱く人もいて、地元の状況を風化させず、むしろもっと知ってもらうきっかけになるとも思ったんです。
本気にならなくなった子どもたち
それほど悲しいことはなかった
所属チーム名は「ARIGATO OKUMA(アリガトウ オオクマ)」に決まりました。大熊町のため、とくに大熊町の子どもたちのためというのが根本にあります。僕が最初に大熊町の子どもたちと会ったのは、2011年の11月で、震災が起きて8ヶ月後でした。行くと、子供だけじゃなくて先生方も元気ないんですよね。その日は雨も降っちゃってて。しかもその体育館はすっごい狭くて、結局、ハードルは2台しか並べられなかったんです。そのうちの一台は、僕が寄付した背の高いハードルで、高さを一番低くしても怖くて飛べてない子が多かったり、途中で止まってしまったりして、でも既存で学校に置いてあった小さいミニハードルには、みんなが並ぶんです。そのときに、チャレンジしない現状っていうか、これって震災の影響もあるのかなと思ったんです。
もちろんこれは、場をつくる僕自身の力量のなさもあると思います。やっぱり僕は彼らを夢中にさせて、楽しませなきゃいけないので。被災地の子でもそうでなくても、僕は走ることを通じて、子どもたちに本気になってほしいんです。本気にならないと結局本当の意味で楽しくないと思うんです。これはまた別の時期だったんですけど、被災地でも別の地区の子供たちに陸上教室を開いたことがあったんです。2時間たっぷりやって、最後に子どもたちとリレーをして、子どもたち何人かと僕の勝負で結局僕が勝ちました。そしたらある子どもに「大人げない」と言われてしまって。あれは本当にショックだったんです。「なに本気でやってんだよ」って。教える側が本気になって気持ちを伝えないといけないし、夢中になってこそ楽しめるというか。もっとがむしゃらになってほしかったんです。でもどこかで「本気になることが恥ずかしい」って考えてる、ちょっと冷めている子どももいて。それってすごく悲しいことだと思うんですね。
ふと思い立って、現役復帰して改めて思ったんですけど、人間は本気になるか、夢中になるか、どちらかでないと結局は頑張れないんじゃないかって思うんです。僕が突然100メートル走で現役復帰して、ずっと400ハードルという種目でやってきて、100メートル走自体が初めてなので多分、記録や大会の成果はそこまで望めないと思うんです。でもその姿は地元や被災地の子どもだけじゃなくて、全国の子どもたちにも、そして大人にも見てほしいんです。ふと思い立って何かをやるってこともすごく大切ですし、本気になるって姿勢もすごく大切で。たとえば、足が速いだけでも人ってかっこいいんですよ。小学生のころはそうでしたよね? (笑)。今たくさんいる市民アスリートの方々のなかで、ただ足が速くなりたいから毎日ダッシュしてるとか、そういう人がいてもいいよねって思うんです。なんでもいいから、みんな本気になるってことがすごく大切な気がしていて。
究極のポイント練習に気づく
現役復帰までの調整
当然ですけど、僕は現役のときはありとあらゆることをやったんですよ。もうがむしゃらに。400メートルハードルっていう種目は、長い距離も走らなきゃいけないし、足も速くないといけないし、ハードルの技術練習も必要で。やることがとにかくたくさんある。それで現役を一度引退して、いざ復帰すると決めて走ったときに「あれ!? カラダが全然違う」ってことにまず直面しました。体重も8キロ落ちてましたし。
それでまず、その違いを自分の中で理解するようにしたんです。「地面に接地した足がすぐに離れるな、あ、そうか、まず支えられてないんだ」とか「そういえばお尻とか内転筋が減ってズボンも3インチぐらい細いのを履けるようになってるな」とか。そこからどのあたりを重要視して鍛えればよくなるかを考えて。トレーニングとしては、常に坂道を走るとか。要は普通に走るよりも負荷が高いですし、低本数で追い込めるので時間も短縮できます。普段仕事の現場(陸上教室など)でも走るんですけど、全力で走る本数は少ないので。
あと現役時代と最も違うのは、プロのときはすごい神経質に「食べるもの」「寝る時間」「やるトレーニング」を細かく考えてたんですけど、今はポイントだけを抑えてという感じで、むしろ足りてないところだけちょっとやって、今日も前日のウェイトトレーニングだけで臨んだら、案の定ちゃんと刺激が入ってて、走れたんです。もう練習量なんていったら、何分の一だろうぐらいの勢いですよね。一生懸命、毎日毎日やってた頃のタイムと今日変わらないんですよ。でもこれは間違ってなかったなとも思いますし、これからもこのスタンスでいけば、ある程度のタイムも望めるんじゃないかなって感じましたね。
トレーニングはひとつじゃない
補強トレをアクティブに取り入れる
現役復帰する上で、自分が実験台となっていくつかのトレーニングをして、実戦に望みましたけど、結局は、それぞれに合ったトレーニングをいかに発見できるかってことなんだなとも思いましたね。これは長距離ランナーの方にも言えて、たとえば、5分走って5分歩いて、5分走って、100メートルスキップして、片足でケンケンして。そうした走り続けるだけでなくスプリントにも効果の高いドリルもMIXさせながらやるとトレーニングの引き出しも増えると思うんですよね。メソッドはたくさん持っていた方が楽しいですし、ワンポイントだけでも変えて、今日はいつもと違うアクティブな要素を取り入れて、ってことはもっともっとやってもいいんじゃないかって思いますね。だから今後は長距離ランナーの方とも、一緒にトレーニングする機会があったら楽しそうだなと思っています。
先週の7月12日に開催された第68回福島県陸上競技選手権大会 男子100mにおいて秋本さんは3位と健闘。これは本人にとってもまさかの結果だったようで「結果を気にせず、子供たちのために楽しもう。その思いが大きな結果に繋がりました」と話してくれました。アスリートとしてまたひとつコマを進め、次回は8月の東北選手権に出場するようです。
秋本真吾(あきもと しんご)
2012年まで400mハードルのプロ陸上選手として活躍。アテネ、ロンドンオリンピックの選考会をはじめ、ヘルシンキ、大阪、ベルリン、韓国世界陸上の選考会に出場し、日本のビックゲーム常連の400mハードラーとして活躍した。200mハードル アジア最高記録、日本最高記録、学生記録保持者。現在はプロハードラートして全国各地でハードルのデモンストレーションや陸上教室などを実施。プロ野球チーム、Jリーガー選手のスプリントコーチとしても指導を展開。引退して1年、地元の福島県「大熊町」を想い陸上クラブチーム「ARIGATO OKUMA」を立ち上げ、所属し100m選手として陸上界に現役復帰を果たした。http://www.akimoto405.jp/
▶onyourmark blogでも秋本真吾選手の連載が始まっています
https://markmag.jp/author/arigato