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(写真 依田純子 / 文 小山内隆)

90年代、ロックスターのように世界のサーフシーンを席巻したロブ・マチャド。屈指のコンペティターが見せる一挙手一投足に若者はみな熱狂した。戦いの場から退いた後はカルチャー・アイコンとして君臨。多彩なクリエイティブワークを通じて、サーフィンが抱く可能性を表現してきた。40歳を迎えて尚、地元カーディフのビーチフロントハウスを最前線基地にサーフもクリエーションもおこない続ける。精力的な活動の源は、今も枯れることのないサーフィンへの情熱だった。

久々に会っても変わらない立ち居振る舞いに触れると、ある言葉が思い浮かんだ。ロブと親睦の深い日本人カメラマンが教えてくれた言葉は、彼らふたりでフィジーの波に乗り、出くわした光景についてだった。

「パドルバックして戻っていくと、ずっと笑ってるんだよね。理由を聞くと『僕が一番好きな瞬間は、友達が波に乗って笑っているのを見ることなんだ』っていうんだ。ロブらしいよね」

世界タイトルに手をかけた時でさえ、ロブは自分らしく振る舞った。
1995年のパイプラインマスターズ。ハワイ・オアフ島で開催された年間サーキット最終戦で、親友ケリー・スレーターとセミファイナルを戦ったロブは、勝った方が世界チャンピオンに近づくという状況で、戦うこと以上に友達とパーフェクトな波を味わうことに気持ちを向けた。

お互いに波を取り合うのではなく、自分のポジションに入ってきた波に対して持てる力を発揮する。その結果としてハイスコアの連続。世界屈指の波と呼ばれるパイプラインをふたりで貸し切った喜びは、それだけでロブの心を満たした。

もちろん勝利を欲しなかったわけではない。勝負に徹したという意味で、ケリーがロブを上回っただけ。ロブも世界ランクで2位に入るほどのアスリートではあったが、この時はひとりのサーファーとしての顔があらわれすぎてしまった。

カラダが波を求めなければ再びベッドに入ることもある

自然体という言葉がロブを形容するにはぴったりとくる。南カリフォルニアのビーチタウン、カーディフに生まれ育ち、現在も拠点を構える彼の生活は、いつだって波が中心にあった。

「波に乗り始めたのは、確か6~7歳の頃だったと思う。最初の頃はボディボードやボディサーフィンで波と遊んでいたけど、10歳の時に初めてサーフボードの上に立ってライドしたんだ。地元カーディフのビーチで友達と遊んでいる時にね。当時は『サーフィンを始める』という心構えを持って取り組んだというよりは、海遊びの延長線上にサーフィンがあって、という捉え方が正しいのだと思うよ」

40代に突入した今もライフスタイルの根本は10代の頃と変わらない。目覚めてベッドを抜け出せば、まずはオーシャンビューのベランダから波チェック。目の前の波を見て、風を感じれば、周囲のサーフスポットの状況も想像ができる。

「この時、もしカラダが波を求めればサーフへ。求めなければ再びベッドに入ることもあるし、ギターを鳴らしたり、ヨガやストレッチでカラダをほぐすこともある。常にカラダが何を欲しているか、それに耳を傾けて、欲求のまま動くようにしているんだ」

とにかく流れに逆らわない。だからサーフィンのために特別なトレーニングをしたことはない。

「サーフィンを上達させるにはカラダの柔軟性が必要だけど、ヨガやストレッチはカラダが欲した時に、軽くしているに過ぎないんだ。もし、サーフィンのための最も効果的なトレーニングがあるとすれば、とにかく毎日海に入ること。どのような波の状況でもサーフすれば、カラダが鍛えられるだけじゃなく、海の知識を増やすこともできる。

海の状況は刻々と変化するし、自分のコンディションも変化する。まさに同じ状況がないなかで、その瞬間に自分をフィットさせていくんだ。そのためには、経験を積み、体内に記憶させることが必要で。サーフィンにルーティーンはないから、異なる状況に向き合うこと自体がトレーニングになるんだ。『調子が良くないからジムへ行こう』なんて考えるのはナンセンス。筋肉を鍛えるうえでもサーフィンの動きがカラダに染み込まないと意味がない。だから実際にサーフィンをしながら鍛えるしか方法はないと思う。

つまり、サーフィンはダンスのようで、海とカラダはお互いがダンスのパートナーのようなもの。踊り方を知らない、リズム感のないダンサーと一緒に踊るのは大変だよね。それと同じように、海と自分のリズムが合わないとうまくは踊れない。波や潮の流れを理解し、呼吸を合わせることが必要なんだ。

僕はいつも、一日の大半を海の中で過ごしてきた。水の中にいるだけで気持ちいいし健康的で、何よりサーフボードとカラダさえあれば世界中のどこの海でも楽しめる手軽さがある。これもサーフィンの良いところだよね」

古来にあった自然なサイクルで生活できる喜び

コンペティションの世界から退いた後、活動内容はよりサーフィンの可能性を提示するものとなった。スポンサーのチャネルアイランズサーフボードではサーフボードをプロデュースもしている。プロデュースした一番最初のモデルはシングルフィン。トーマス・キャンベルがディケールを手がけたことで話題となったが、「シェイパーのアル・メリックは未来志向。なぜそのような過去のデザインを作らなければならないんだというアルに納得してもらうのが大変でした。何度お願いしたか分かりません」と簡単なプロジェクトではなかった様子を打ち明け、苦笑いを見せた。

さらに地元近くのムーンライトビーチで開催される、サンディエゴ出身のオルタナバンド、スイッチフットが主催するサーフイベントのスイッチフット・ブラ・アマにも協力している。地元コミュニティーの恵まれない子供たちに還元するオークション企画を盛り込んだ同イベントで、自身を冠名に16歳以下を対象としたコンテストを開催。集客と寄付を目的とする収益の増加に貢献している。

サーファーはとかくストイックな存在と言われる。自分が良い波に乗る事が最優先であると思えば、そのロジックはごく自然に生まれるものだ。けれどサーフィンを突き詰めると、ロブのように利他的な発想を持ち、シンプルな考えを持つ存在になれるのかもしれない。

「時に僕は『ただ自然に沿うように生きられたらどんなに幸せだろう』って考えることがある。キャンプをして暮らすように、陽が昇ると目覚めて、陽が沈むと火を灯して眠りにつく。そのようなライフスタイルがある。でも今は、何をするにも電気に頼る時代で、夜の街にも煌煌とライトが灯されている。でも、古来にあった自然なサイクルで生活できる方が今は貴重なことだと思うし、とてもクールだと感じてるんだ。

そんな僕の夢は、死ぬまでサーフィンを続けること。サーフィンへの情熱を持って最期までサーファーでいられたら、僕の人生は幸せだったといえるね」


ロブ・マチャド
南カリフォルニアのビーチタウン、エンシニータス市内の街カーディフ出身。コンテストシーンでは世界ランクで2位入った経験を持つ実力派。コンテストから退いた後は、メディア活動、サーフボードをプロデュースするなどのクリエイティブワークを展開する。その私生活は、起床するとオーシャンビューの自宅から波を眺め、コンディションの良さそうなポイントでサーフするというもの。波を求めるトラベルは日常茶飯事。そんな生活をもう30年以上続けている。おかげで地球上の波にもまれ続けたカラダには40歳を迎えた今でも醜さのカケラもない。自叙伝的な映像作品に『ザ・ドリフター』『ムラリィ』がある。また、ロブ独自の視点で表現された映像作品『Through The Lens』が今後ネット配信される予定。詳細はハーレージャパンのホームページまたはフェイスブックで動向を確認してほしい。http://hurley.jp/through_the_lens/