(写真 山本哲也 / 文 倉石綾子)
夕暮れどき、茜色に染まる山小屋や雪煙る山の稜線など山の中を歩いて見つけた情景を、水彩絵の具を使い繊細なタッチで紙の上に表現する「山の絵描き」こと、イラストレーター&ライターの成瀬洋平さん。東京をベースに活動していた成瀬さんが一年発起し、本拠地を故郷・岐阜の中津川に移したのは今から4年前のこと。以来、自然に親しみ、絵を描き山の紀行文をものし、岩場に出かけてクライミングを楽しみ……そんな日々を送っている。画家でありクライマーである成瀬さんの、山とクライミングに寄り添ったライフスタイルをのぞいてみよう。
原風景は、星野道夫が遺したアラスカの風景
山との関わりは子ども時代に遡る。
「父が山好きで、家族で山登りを楽しんでいました。初めて登ったのは小学校1年生のときで、合戦尾根から燕岳へ。年に一度は北アルプスに出かけていましたね。父方の叔父もばりばりのクライマーだったので、自分にとって山は近しい世界だったんです。当時は『連れて行ってもらう』という感覚だったけれど、そのうち自分で計画を立てて山に行きたいと思うようになりました。いま考えると、裏山探検の延長の気分だったのかな」
そんな成瀬少年の心に強く山を印象づけたのは、一冊の本だった。小学校3年生のとき、図書館で見つけた星野道夫のアラスカ探検紀行。現地に暮らす人々のポートレート、アラスカの山並み、見たこともないような大自然の風景は広大で荒々しく、でもどこか抒情的で、そんな写真や文章に憧れと畏敬の念を掻き立てられた。
「その本の最後に、星野さんの装備一覧が載っていたんです。それを見たら、『あれ、山の道具と同じじゃん!』って。そうか、山のスキルを磨いていけばいつかこういうところを旅することもできるんだ。そんな風に思えたんです」
中学生になるとより高い山々を目指すようになり、その過程でクライミングに興味を抱くようになった。両親に内緒で、名古屋に一軒しかなかったクライミングジムに通ったこともあった。アルバイトのできない中学生ゆえ装備を揃える資金はないから、道具はほとんど自作だ。クライミングシューズは、呉服店で見つけた指が分かれていない足袋を利用。ハーネスはストラップを縫い合わせたお手製のもの。カラピナとエイト環を一つずつ手に入れ、近所のブロック塀で懸垂下降の練習を繰り返した。
山で絵を描くようになったのもこの頃から。きっかけは夏休みの自由課題だった。もともと絵を描くのは得意だったそうで、奥穂の頂上にスケッチブックと色鉛筆を持って行き、そこで槍ヶ岳の絵を描いてスクラップブックを製作した。
「そうこうしているうちに高校生になり、本格的にクライミングにはまりました。父に手伝ってもらって自宅に人工壁を作り、とにかくひたすら登りましたね。1、2年生のときは学生のクライミングコンペに出場して、そこそこの成績も残せて。この頃がいちばんクライミングをしていたと思います」
その後、山梨の大学に進学。クライミングからは離れてしまったがその代わり、もうひとつのライフワークを形にすることができた。表現活動である。
「高校3年生になって自分の進路を考えたとき、小学生の自分に影響を与えた星野さんの本を思い出したんです。僕もどこかを旅して、そこで見聞きしたことを絵と文章で表現していきたい、そんな風に思うようになりました。高校最後の年は少しでもうまくなりたくて、クライミングじゃなくて絵に没頭していましたね」
大学では地域の自然や文化を題材にした小冊子の編集に参加、山梨の山を歩いて描いたイラストや紀行文を寄稿してポートフォリオを作った。卒業後は山と関わりのある東京の企業に勤めたが、表現者として独り立ちすべくポートフォリオを持って雑誌社を回り始める。結果、少しずつ山雑誌の挿絵などを手がけるようになっていった。
クライミングに主軸を置いた暮らしを再び
イラストレーターとして独立し、東京暮らしも数年が経ったころ。無機質なブロック塀に囲まれ、一日中家にこもって原稿を書きイラストを仕上げる−−−、そんな環境に少しずつ違和感を覚えるようになる。幼い頃から親しんでいた山も、仕事で出かけることがほとんどで、山と東京をとんぼ返りする日々。
「山や自然にまつわることをこの先も長く表現していこうと思ったら、『この暮らしはないな』って痛感しました。こんなことを続けていたらきっと、自分がダメになる。ちょうどそのころ、地元で笠置山のクライミングエリアが一般公開されたんです。それをきっかけに、思い切って故郷に戻ることにしました」
本来の暮らしを取り戻すべく新たな基盤を築き始めた中津川で、成瀬さんはいま、数年間のギャップを埋めるかのようにクライミング三昧の日々を送っている。
「絵を描くことを考えてもこちらのほうが環境はいいし、何より、ようやく自分の生活の中にクライミングの習慣を取り戻すことができました。もともと東海地方は屈指のクライミングエリアとして知られていて、たくさんの岩が点在しているんです。ここは仕事場とクライミングの環境が近いので、天気がよければ仕事の合間に岩に登りに行ったりもできます。クライマーは『開拓』と呼んでいるんですが、新しい岩場を見つけたらその苔や泥を落として、ラインを引いて登ってみる。最近はそんなことが楽しみで。初登するとその岩に名前をつけることができるので、それもまた開拓の醍醐味の一つ」
現在は東海地方のクライマーたちと協力して新規エリアの開拓に精力的に取り組んでいる。成瀬さんたちが手がけたエリアの公開イベントを間近に控え、準備に余念がない。
「このあたりでもようやく、クライミングが地域に根ざしたアウトドアスポーツとして親しまれるようになってきた。だからもっとたくさんのエリア、ルートを開拓していきたい。山を題材に表現することはもちろん、『ルート開拓』というクライミングの楽しみかたもライフスタイルの一つとして定着させていければいいなって考えています」
エルク『成瀬洋平原画展』より
【ブラックダイヤモンドについて】
山へ、そしてクライミングへ。日々アクティブに活動する成瀬さんの、現在の頼れるパートナーがブラックダイヤモンドのウエアたち。昨年からスタートしたアパレルラインを半年前から着用しているが、無駄を削ぎ落としたミニマルなデザインと出かける先を選ばない質実剛健さに惹かれ、今ではすっかり成瀬さんのワードローブの定番に。
山梨のとあるクライミングエリアで、久々に再会する地元クライマーたちと開拓途中の岩場を楽しんだこの日も、ブラックダイヤモンドの新作からチョイスした。
「特に重宝しているのがクライミングウエアのシリーズ<B.D.V.(Black Diamond Vertical)>の、ショーラー社のファブリックを使ったパンツ(B.D.V.パンツ)。外岩はもちろん、あまりの快適さにジムでも履いています。ハードなクライミングをしたいときは動きやすさと履き心地のよさ、そして丈夫さを重視しますね。このパンツはガセット(股マチ)がついているので、クライミングのあらゆるムーブを妨げません。同じ素材のプルオーバージャケット(B.D.V. フーディ)は立体裁断が施されていて、上半身の動きやすさにこだわって作られていると感じます。フードはヘルメットの上からでも被れるし、アイスクライミングを楽しむときにも活躍します」
【プロフィール】
成瀬洋平(なるせ・ようへい)
1982年岐阜県生まれ。『PEAKS』『岳人』などの山岳雑誌や『PAPERSKAY』など旅雑誌で活躍するイラストレーター、ライター。故郷・中津川の雑木林の中に住まい兼アトリエとなる小屋を製作中。
成瀬洋平の素描日記
ブラックダイヤモンドは”岩”と”雪”と”氷”から得られる経験をユーザーと共有することによって、最高の道具を届けることを可能にしてきた。
1957年、裏庭の鉄床とハンマーから始まったブランドの革新的なギアは、多くの分野でスタンダードを打ち立てている。それもまた、彼ら自身がクライマーであり、スキーヤーであることの結果なのだ。自らがユーザーとして止むことなく要求し、現状へ厳しい目を向け続けているからこそ、ブラックダイヤモンドの創造性は終わることがない。
ブラックダイヤモンドは無限のエネルギーをもち、自らも実践者であるからこそ、世界中のクライマーとスキーヤーによりよい未来を約束することができるのだ。
(左)B.D.V. HOODY[B.D.V.フーディ] S, M, L ¥24,000(税抜) H10E
1/4ジップでヘルメット対応のフードが付属。ハーネスとの相性を考慮し、ハンドポケットを省略したシンプルなプルオーバージャケット。 胸ポケットに収納可能で、クライミングはもちろん、3000m級の稜線や春のスキーツアーなど、どこにでも携行したい一着。耐久性、撥水性、透湿性、ストレッチ性に優れたショーラーを使用。
(右)B.D.V. PANTS[B.D.V.パンツ]S, M, L ¥22,000(税抜) L561
撥水加工されたショーラーを使用したB.D.V.シリーズのパンツ。ハーネスと干渉しないラダー式ベルト、股のガセットや膝の立体裁断がクライミング時の動きを妨げない。丈はすっきりと短め、足回りは細くヒップ周りはゆったりと動きやすいシェイプ。オフウィズスでも、アルパインクライミングでも、ショーラー素材が体を守る。