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(写真 三浦安間 / 文 村岡俊也)

 スタンド・アップ・パドル・ボード。頭文字を取って”SUP”と呼ばれるこの新しいマリンスポーツは、通常のサーフボードよりも大きい板を用い、手にはパドルを携えている。浮力が大きいために立ったまま沖へ出て、立ったまま波に乗ることができ、腹這いでパドリングをする必要がないために、腰を痛めていたり、高齢の方でも海遊びに親しむことができるという。

日本におけるSUPの起源とは

 今年4月、SUPの世界選手権がニカラグアで行われた。波に乗るWAVE部門には、鎌倉・材木座にあるサーフショップ『OKUDA STYLE SURFING』の店長、原田俊広さんが日本代表として出場している。『OKUDA STYLE SURFING』は、SUPというスポーツを日本に根付かせた店だ。オーナーの奥田哲氏がハワイで出会った「ビーチボーイスタイル」と呼ばれるパドルを持ってサーフィンするスタイルに着想を得て、専用のパドルやボードを作っていったところに、日本のSUPの起源はあると、原田さんはいう。

「ボードとセットで作ったのは、哲さんが世界で初めてじゃないかな。10年前くらいですかね、当時はまだスポーツとして成り立っていなくて、どういうパドルの形状がいいのか、ボードはどんなシェイプのものがいいのか、哲さんが試行錯誤で作り上げていったんです。新しいスポーツとして生まれて、〈パドボ〉っていう名前をつけて、発展していくのを一番間近で見ていました」

 パドルボード、略して〈パドボ〉。これが『OKUDA STYLE SURFING』が名付けたこのスポーツの名前であり、ブランド名となった。原田さんが〈パドボ〉を始めた当時は、SUPという呼び名も存在しなかった。徐々に広がり始めたムーブメント。原田さんは発祥の店の代表として全日本選手権に出場し、原田さんはあっさりと優勝を決めてしまう。そして世界大会の参加へと繋がっていくのだが、その過程には鎌倉の海が持つ地域性のようなものが関わっている。

プロサーファーになるよりも大事なことがあった

 中学生の頃に遊びのひとつとしてサーフィンに出会い、拾った板が初めてのマイ・ボードだった。20歳を過ぎる頃には、「一生、サーフィンを続けていきたい」と、原田さんは思うようになった。プロサーファーを目指し、プロを目指すならばと誘ってもらった『OKUDA STYLE SURFING』で働きながら、ツアーに参戦する日々。しかし、怪我や連盟の規定変更によってプロ資格を得ることはなかった。

「どうにもうまくいかないときに、佐久間洋之介っていう、一緒に頑張っていた友人が海で死んでしまったんです。それで海に入るのさえ怖くなって、半年くらいサーフィンもできなくなってしまった。洋之介の死は、僕にとってとても大きな転機になっているのかもしれない。生きているんだから頑張らなくちゃって思ったと同時に、プロになるよりも大事なことがあるなと考え方がシフトした。自分はずっとサーフィンを続けていくためにプロになりたかったけど、末端と言うか、これからサーフィンを始めようとする人たちのサポートをしていくことも大事なこと。サーフショップで働きながら生涯サーフィンを続けていく、そういう自分なりの道が見えたんだと思います」

 プロという枠にこだわるのを辞めて、原田さんは純粋にサーフィンに集中するようになっていく。ショートボードの全日本選手権では入賞の常連になり、日本代表として世界選へ出場する一歩手前まで進んだこともある。ショートボードでは未だその夢は叶っていない。しかし、SUPではただ1度の挑戦で実現する。

「僕は日本で哲さんの次にSUP歴が長いわけです。だから負けるなんて全然思わなかったし、ブランドを代表しているんだから負けるわけにはいかない。全日本で優勝してよかったなと思うのは、哲さんに少し恩返しができたこと。それから、実際に僕らの〈パドボ〉の板を使っているお客さんたちが喜んでくれたこと。ウチの店に通ってくれているサーファーたちに、日本で一番の板なんだって思ってもらえるのは嬉しいことですから」

自分の結果が誰かのモチベーションになればいい

 ニカラグアで行われた世界戦では、43人出場の中、16位という結果だった。世界との差を痛感したのかと思いきや、原田さんは、もっとできたと悔しがる。状況と道具、自分の体調さえ合えば、まだまだ勝てるはずだと。

「鎌倉にはサーフィンがうまいヤツがたくさんいて、ロングもショートもプロだっていっぱいいて、それを見て育っているから、驚くことがなかったんですよ。今回僕が出場した世界選手権は基本的にはアマチュアの大会で、プロのリーグは別にあるけど、プロからも何人も出場していて。確かにうまかったですけど、そんなに言うほどでもない。目標はワールドチャンプって言ってもいいんじゃないかなって思うくらい(笑)。大きいことを言ってますけど、可能性を見せることができたらなって思うんです。鎌倉っていう日本の中でもかなり波がないエリアにいて、そこから世界大会に出場して、まだ勝てるって俺が言うことで、日本でSUPをやっている人の基準になれると言うか。原田くらいになれば世界と戦えるんだって思ってくれるはず。僕は店もやっているし、道具を作るメーカーでもあって、この業界の道標じゃないですけど、目印になるべきだと思っているんです」

 プロという資格ではなく、原田さんが求めて辿り着いたのは、自分が先頭に立って歩むことで後進への可能性を広げるというものだった。哲さんが原田さんに示していた姿と同じように。それは、ローカリズムの素晴らしい継承ではないだろうか。世界選手権というひとつの結果を残しつつ、来年はSUPでの優勝はもちろん、未だ果たしていないショートボードでの全日本優勝、世界選手権出場という2冠を狙っているという。

「ショートボードもSUPも全日本で1番になりたい。オーシャンアスリートじゃないけど、何でもできる人の方がカッコいいですから。ショートボードをやることによってSUPもうまくなるし、逆もまたあって、それをずっと提唱してきたんです。両方勝ったら、すげー気持ちいいだろうなって。それに、生涯サーフィンを続けていくためには、競技を続けていくことがモチベーションになると思うから。大会に出続けていれば、身体も心も強くいられるんです」

 ただサーフィンがうまくなりたいと思っていた20代から、視野は大きく広がった。自分の結果が誰かのモチベーションになり、その誰かのサーフィンが上達することが自身の喜びとなって返って来る。材木座の小さなサーフショップの店長に就かなければ、原田さんは世界を知ることもなかったのかもしれない。こうして世代を超えて渡されていく情熱によって、カルチャーは成熟していく。

原田俊広(はらだ・としひろ)
1978年生まれ、神奈川県逗子出身。

主な戦歴:
●2009年NSA全日本サーフィン選手権大会メンクラス5位

●2010年NSA全日本サーフィン選手権大会メンクラス6位

●2013年NSA全日本サーフィン選手権大会シニアクラス5位

●NSA全日本サーフィン選手権大会鎌倉支部予選8回優勝

●2010年NSAスタンドアップパドルサーフィンクラス2位

●INAMURA CLASSIC INVITATIONAL 2013出場

●2013年全日本SUP選手権大会WAVEクラス優勝

●2014年SUP世界選手権大会16位