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(文 村岡俊也 / 写真 藤巻翔 / 動画 上原源太 / 取材協力 Houdini


reunion ep1 from onyourmark.jp on Vimeo

 精神と肉体は同調している。精神が内を向けば肉体は硬くなり、思考が開けていれば自然と足は進んでいく。肉体の中で、もっとも顕著に精神状態が表れ、かつ他人からも観察できるのが、顔だ。日本を出てからドバイ、モーリシャスと飛行機を乗り継ぎ、36時間かけてレユニオン島に到着したトレイルランナー山本健一(通称ヤマケン)の顔は、疲れのためかかなり強ばっていた。固く握手を交わすが、その表情には緊張という要素も入っているのかもしれない。島の中心街サン・ドニの喧噪から離れたコテージヘと足早に向かう。宿は、ゴールに近い場所に取った。

 レユニオン島。マダガスカルの東に位置する、フランス領の島。大きな噴火口のカルデラを島内に抱え、最高峰ピトン・デ・ネージュは、標高3071mを誇る。インド洋に囲まれた島を南から北へと向かって、カルデラを外側から登り、谷へと降りて、また登るという行程を何度も繰り返しながら縦断する。ヤマケンが出場する173kmの〈グランド・レイド・レユニオン〉。地理的にはアフリカに位置するが、ヨーロッパでもっとも古い歴史を持つトレイルランの大会である。街を歩いていても、至る所にポスターが貼られ、島全体を上げたお祭りであることが伝わってくる。

世界一目指してやってます。目指していないとは言えないですね。
 翌朝の顔は、ヤマケンらしい、充実感を漲らせたものだった。事前準備としていくつかのコースを試走する予定だが、まず訪れたのはゴール地点。小さなスタジアムが旅の最終地点となる。設営を進めるスタッフに話しかけては、ゴール時のイメージを膨らませている。できるだけ地元の人とコミュニケーションを取ろうとするヤマケン。このスタジアムに辿り着くのは、いったい何時になるのだろう? 日中の太陽光をゴール地点で浴びることはないはずだ。笑顔を浮かべながらも視線の端々にはまだ、やはり緊張の糸が残っている。一度引っ張ってしまうと、途端にレースモードに入ってしまうような緊張の糸。

「トレーニングを積んでいるときは、一番強くなりたい、世界一になりたいっていう気持ちはありますね、正直言って。もちろん、世界一目指してやってます。目指していないとは言えないですね」

 この言葉は、レース後のインタビューで聞かれたものだが、ヤマケンがレースの順位に関して口にすることは今までほとんどなかった。トレイルランは、あくまで自分との勝負。自分の可能性をどれだけ開放できるのかに興味があるのだと常に口にしてきた。だが、レースに挑戦する人間としての本音は、やはりトップに立つ瞬間を目指しているのだと、すべてが終わった後に語った。当たり前のことかもしれない。その思いが緊張の糸に繋がっているのか。ゴール付近のトレイルを試走し、レユニオン島に体を馴染ませていくことで、競争欲は徐々に心の奥深くに沈む。体を動かすと途端に表情が和らぎ、目が輝き出した。トレイルを走りながら、さっと動いた巨大なトカゲを見つけて興奮し、落ちていた果物を拾い上げて匂いを嗅ぐ。「いやあ、レユニオンを走っちゃってますね〜」、そう笑いながら、汗を出す。日本で予想していたよりも気温が高い。ほとんど、夏の陽射しだ。暑さは、ヤマケンの味方になってくれる。ロードの坂道を走りながら、教師としての仕事が出発間際に多忙だったこと、家族のこと、生徒たちのことを話した。そして、多忙な日常があるからこそ、開放された喜びを噛み締めることができるのだと話した。ヤマケンの年に一度のお祭りは、世界一を狙うものから、自分の能力を開放するためのものへと劇的に変化していく。

リラックスするほど、体はゆるみ、本来の力を発揮することができる
 レース当日までの数日間は、毎日コースを確かめては数km走って、体をほぐしていた。地図と照らし合わせながらランドスケープ全体を把握し、頭の中にレースのイメージを作っていく。ただし、「すべてを回れるワケではないから、気持ちを盛り上げるためっていう部分が大きいかな」。そう言ってヤマケンは胸をトントンと叩いた。テクニカルなコースを駆け下りながら、ふくらはぎが揺れる。状態はすこぶるいい。長年の懸念材料だった膝の痛みもまったくないという。十分なトレーニングを積むことができたからこその自信さえ感じさせる。リラックスするほど、体はゆるみ、本来の力を発揮することができる。レース前の心境を尋ねると、「未知の部分が多い方が、ワクワクする。もう、ただただワクワクしてますよ」と明るい声が帰って来た。このリラックスしたポジティブさこそ、ヤマケンのレースモードなのかもしれない。階段のトレイルを300mほど登った稜線沿いのコルからカルデラの中を眺める。壁に雲が当たり、流れていく様子がよく分かる。行き交うハイカーと挨拶を交わし、出場選手だと分かると声援を送られる。トレイルの途中には、小さな祠があり、キリスト像が祀られていた。ヤマケンは島の空気を吸い込むことで、体にエネルギーを満たしていくようだった。日が暮れる前には必ず部屋に戻る。20時30分にはベッドへ入り、21時に就寝。レース前の高揚を規則正しい生活で抑える。

困難を乗り越えたい、そういう気持ちが強いんです。だから、激しいレースに出場したい。
 レース当日は、午前中から少し表情が違っていた。解けていたはずの緊張の糸が、また少し手繰られ、笑顔の端に張り付いている。ひとりで荷物を準備しているときの顔は、“険しい”とも“厳しい”とも違う、意志の塊のような顔になっている。おにぎりを食べ、大会規約を読みながらソファで横になり、ゆったりと風を感じる。12時を過ぎてからは部屋の扉を閉めきり、一人の世界に入った。睡眠を取るために窓も閉ざし、暗闇の中に身を置く。夕方、再び会ったヤマケンは、淡々とした顔をしていた。目の前にある、やらなければいけないことを積み重ねてきた男の顔。渋滞を避けるために早めにコテージを出発し、スタート地点であるサン・ピエールまでやってきた。

「レユニオンを選んだのは、やっぱり激しさを求めていたからですよね。いろんな人から話を聞いて、面白そうだなと。困難を乗り越えたい、そういう気持ちが強いんです。だから、激しいレースに出場したい。どんなに小さな困難でも、乗り越えた時に『やった!』っていう気持ちになるじゃないですか。その困難が大きければ大きいほど、喜びも大きいっていうことを知っているので。そこは、やっぱり立ち向かいたいですよね」

 173kmのスタートを前に、遠巻きに出場者の集団を眺めていたヤマケンが、立ち上がり、息を吸い込んで活動を始めた。するすると出場選手の最前列に並び、出発前の盛り上がりに身を委ねる。大音量でダンスミュージックが流れ、否応なく人々を飲み込んでいく。文化としてのトレランの浸透度を垣間見る。スタート前のヤマケンに手を振ると、大きく目を見開いて、手を回した。緊張は、もう微塵もない。困難に対する怖れもない。高揚さえない、静かな顔。ただ、開放されて、時を待っている。
「ワクワクしかない」
遠くに見えた顔が、力強く語っているようだった。

episode 02へと続きます】

  • 山本健一

    山梨県出身。高校時代は山岳部に所属しインターハイで優勝。大学ではフリースタイルスキーに熱中。現在は高校の体育の教師として山岳部の顧問を務る。

    2008年の日本山岳耐久レースで優勝し、一躍注目を集め、2009年はツールドモンブランに挑戦し、8位と健闘。2012年 グランド・レイド・デ・ピレネー優勝。2013年 アンドラ・ウルトラトレイルでは2位でフィニッシュした。

  • トレイルランナー山本健一の活躍を支えるスウェーデン発のウェアブランド『HOUDINI』は、フリース素材のアンダーウェア開発のパイオニアであり、機能美を優先するデザイン哲学により、世界中のエクストリームスポーツアスリートの高度な要求に対応したスポーツウェアを開発し続けています。その経営方針は、自然環境に不可を与える生産を行わず、持続可能なビジネスを目指すというもの。全てのプロダクトは開発チームと、スポーツのスペシャリストであるHOUDINI フレンズによりテストが繰り返されています。トレイルランナー山本健一もそのHOUDINI フレンズの一員です。
    http://houdinisportswear.jp/