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(写真 谷口京 / 文 村岡俊也 / 協力 adidas japan

 クルム伊達公子というテニスプレーヤーに対して、どんなイメージを抱いているだろうか? ストイックで周囲に厳しく、思った言葉をそのまま放つような強い女性。そのイメージはある意味で正しいが、ほんの一面でしかないのかもしれない。インタビューの最中に笑い声が絶えることはなかったし、真摯に受け答えする姿は、とてもチャーミングでもあった。何よりその言葉には、長くアスリートであり続けるための強さと同時に、人生を謳歌していることが表現されていた。2008年に現役復帰し、今も世界ランク100位近くに位置する伊達さんの強さは、“大人になった”からこその豊かさが支えている。

「基本、根っからのスポーツ好きなんだと思うんです。テニスはもちろんですけど、身体を動かすことは何でも好き。一度引退していた間には、マラソンやバレエ、ピラティスにも挑戦しました。テニスで指先まで神経を研ぎすます感覚と、バレエのそれとでは一緒のようで、全然違うんです。どのスポーツにも共通しているのは、“無駄のない動き”ということでしょうか。身体を動かしているときの筋肉の状態や細胞が動いているような感覚が心地いいんです。それが身体を動かすことの楽しさに繋がるのかな。ジッとしている方が、筋肉が固まって疲れちゃうんです。動いて、血が巡っている時の方がエネルギッシュで考え方もポジティブでいられる」

 楽しむこと。伊達さんがなぜ44歳を迎えた今も現役でいられるのかと言えば、シンプルに楽しむことができているからだった。20代の頃には嫌いだった練習もトレーニングもツアーも、40代の今ではすべてが楽しい。たとえ身体がしんどいと感じていても、「イヤだなと思ったことは一度もない」。かつては3日あったら帰国していたのが、今では3ヶ月日本に立ち寄らなくとも問題ない。なぜ楽しむことができるのかと言えば、やはり、勝負が好きだから。

「勝負の楽しさを追い求めてコートに戻ったわけではないんです。すっかり忘れていたのに、復帰して段々思い出してきて、やっぱり私は勝負が好きなんだって強く感じるようになってきました。ファーストキャリアの頃よりも、勝負に対する思いはもしかしたら今の方が強いくらいかも(笑)。でも、ファーストキャリアで数字にこだわったからこそ、違う次元で勝負できているんだと思うんです。若い時には強くいなきゃいけないって自分で思い込み過ぎていたんだと思うんですよね。それが年齢を重ねて、余裕ができ、今は隠すことも何もない(笑)。自然に、自然体になっていったんだと思うんです。だから楽しめているし、勝負が好きだと思うことができる。でも、ファーストキャリアのときに強くいようと自分で思い込んでいたからこそ、実際に強くいられたんだとも思うんです。当然しんどかったけれど、だからこそ強くいられた。今は反対に、自然体でいられるからこそ、これだけ長く続けることもできているし、強さにもなっているのかなと思いますね」

肉体の衰えと、プレイヤーとしての進化。

 若い頃の自分とのギャップに悩むことはないのかと問えば、「そんなのしょっちゅうですよ!」と笑いながら返す。せめて3歳若ければ、と朝起きて思うのだと。敵は相手ではなく、自分の回復力。2日間連続で9時間しっかりと睡眠を取ることができれば、経験上かなり回復することができる。けれど、それが分かっていてもなお、若い選手たちが練習しているのを横目で見ながら、まったく何もせずに2日間過ごすことは難しいのだと語る。練習がしたいからだ。例えコートに立って、目だけが動いて全身が言うことを聞かなくても、テニスがしたいのだ。自分の肉体的な衰えを身に染みて感じながら、どこまで現在のパワーテニス、スピードテニスに食らいついていけるのかを知りたいと語る。

「昔のようにトップ10を目指すとか、グランドスラムのセミファイナルを目指すっていうのは、あまりにも非現実的。コートに立っているからには最善を尽くして戦うけれども、身体がついていかないこともしょっちゅうです。そうなると、現在のテニスにどこまで食らいついていけるのか、その追求しかないんですよね。体力は確かに落ちているけれども、テニスはそれだけじゃない。テクニックに完成形はないと思っているんです。ナブラチロワにしろ、グラフにしろ、マッケンローにしろ、ボルグにしろ、どれだけ強いと言われた選手たちも、もうこれ以上伸びない、これ以上直すところがないと思っていた選手はいない。どんなトップ選手たちでも克服したいと思っている部分を常に探している。私も自分のテニスをどれだけ追い詰めて、上げていけるのか、そこですよね」

 常に進化してきたからこそ、自分より一回り以上も年下の選手たちと同等、それ以上に渡り合えることができる。テニスは、パワー、スピードだけで行うスポーツではない。心理的な駆け引きや技術、経験でカバーできる部分があるからこそ、現役にこだわるのだろう。でも、だからこそ、これからのことを尋ねてみたくなってしまう。進化はいつか止まるのか。あるいは、引退について質問すると、大きくため息を吐きながら微笑んだ。

「残っている時間が本当に少なくなっているので、ボロボロになってもやれるところまでやりたいっていうのが半分。でも、どこかで線を引かなきゃいけないのかなって思うのが半分。“そのモチベーションはどこから来るんですか?”って聞かれることが多いんですが、根っからのスポーツ好きだから、あんまり特別なことがないんですよ。練習も楽しくてしょうがない今は、モチベーションを失うことはないと思うんです。疲れてますよ(笑)。でも、もう辞めたいって思うほどの疲れではない。テニスっていうスポーツは、監督のいるチームスポーツと違って、それでもコートに立つチャンスをもらえるんです。自分の意志でコートに立つことができて、自分の意志で続けることができる。テニスでよかったなと思います」

 “ボロボロになってまで続けるのと、スッパリと線を引くのと、どっちがいいと思います?” 逆に、伊達さんに質問された。どちらの美学を選ぶべきなのか。ツアーに出れば毎週のように大会があり、世界中を転戦する日々。笑顔の爽やかな口調で語られるストイックな生活はやはり、クルム伊達公子という希有な存在を際立たせるものだった。

「テニスプレーヤーであるということは、生き方そのものですね、私にとっては。コートにいてもいつも思うんです。相手があるスポーツだとは言え、常に自分で考えて、自分でショットの選択をして、ゲームの流れを読んで。決断の連続なんです。負けることの方がはるかに多いスポーツなんですよ、テニスって。1年間ずっと戦ってきて、勝ち越すことは本当に難しい。負ける数の方が多くて、それをどうやって悩みながら消化していくのかって考えると、生き方と変わらない。常に緊張とプレッシャーが隣り合わせで、でもそうやってきたからこそ、私は自分の人生が楽しく生きていられると思っています。今は苦痛とも思わないし、反対に、これからどんなことが待ち受けているんだろうとさえ思っています」

クルム伊達公子(くるむ・だて・きみこ)
1970年9月28日生まれ、京都府出身。所属・エステティックTBC。小学校1年生時からテニスを始める。1988年兵庫の園田学園高等学校3年時に全国高校総合体育大会(インターハイ)でシングルス・ダブルス・団体で3冠。1989年卒業と同時にプロテニスプレーヤーに転向。1990年全豪でグランドスラム初のベスト16入り。1993年全米オープンベスト8入り。1994年NSWオープン(シドニ-)で海外ツアー初優勝後、日本人選手として初めてWTA世界ランキングトップ10入り(ランキング9位)を果たす。1995年WTAランキング4位に。1996年有明コロシアムでのフェド杯では当時世界1位だったシュテフィー・グラフを撃破。ウィンブルドンではシュテフィ-・グラフと決勝進出をかけて闘うも日没延長。2日間かけての闘いの末、グランドスラム決勝ならず。1996年11月年度末チャンピオンシップス・チェイス選手権で当時16歳だったマルチナ・ヒンギス戦を最後に引退。1994年~1996年の引退までTop10を維持。(引退時ランキング9位)。

2008年4月プロテニスプレーヤーとして「新たなる挑戦」を宣言。「クルム伊達公子」名で選手登録し、復帰初年度に全日本選手権 シングルス・ダブルス制覇。その後、世界ツアーへ挑戦の場を移し、2009年にはWTAツアーハンソルオープン(韓国)にて優勝。