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(文 根津貴央 / 写真 松田正臣)

石川弘樹さんと行くFASTPACKING第二弾は、大峯奥駈道。世界遺産に登録された『紀伊山地の霊場と参詣道』のひとつであり、熊野古道のなかでも最も険しい参詣道である。今回、なぜこの道を選んだのか?その理由を、石川さんはこう語る。

「日本には昔から山岳信仰がありました。ここは修行場として開かれた道であり、まさに日本らしい日本ならではの道。以前からずっと気になっていました。行者(修行をする人)さんが、どんな思いでこの道を辿ったのか、いち日本人としてそれを追体験してみたかったのです。もちろん私は行者ではありません。ですから、私なりのスタイルでトライすることでこの道の意味や魅力を理解したいと考えました」。

大峯奥駈道は、奈良県の吉野から和歌山県の熊野までつづく大峰山脈を貫く約90㎞の道。その歴史は古く、1300年前に修験道の修行場として開かれた。修験道とは、奈良時代に役小角(えんのおづぬ)が創始したと言われている日本独自の山岳宗教。日本に昔からあった自然に対して畏敬の念を抱く自然崇拝に、仏教信仰が混淆してひとつになった神仏習合の宗教である。

道中には『靡(なびき)』と呼ばれる行場が75カ所あることから、大峯七十五靡とも称されている。靡は、役小角の法力に草木もなびくという意味があるとも言われ、修験道にかかわる神仏の居場所でもある。これを熊野本宮大社の1番から75番へと辿ることを順峰(じゅんぷ)、逆に辿ることを逆峰(ぎゃくふ)と言う。今回は吉野スタートなので逆峰となる。

吉野〜熊野本宮大社までつづく総延長約90㎞、2泊3日のFASTPACKINGの旅。果たしてどんな世界が待ち受けているのだろうか——。

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#01 屋久島縦断 SEA TO SEA

俗世を離れる(DAY1/標準コースタイム:16時間50分)
眼前にひと際大きな鳥居が現れた。普段の僕たちであれば、その巨大さに驚くくらいで通り過ぎたであろう。しかし、なぜか今回はそうならなかった。鳥居の直前で全員の歩みがピタリと止まる。自らの意志で止めたのではなく、止められた感じがした。霊感などは持ち合わせていないが、誰もが一様に何か(何であるかは分からないし、解き明かす意味もないと思うが)を感じとったのかもしれない——。

早朝4時半。空が徐々に白みはじめた刻に、僕たち3人 — プロトレイルランナーの石川弘樹さん、グレゴリー・プレス担当の佐々木拓史さん、筆者 — は、吉野駅近くの宿を出発した。舗装路中心の道を20分ほど進んだ時、冒頭の鳥居が僕たちを待ち構えていたのである。

金峯山寺銅鳥居(きんぷせんじかねのとりい)。高さ8.2m、柱間隔7.4m、柱径1.1m、銅製の鳥居としては現存最古のものと言われている。ただのオブジェでないことは言わずもがなだが、大きさや歴史がすごいわけでもない。この鳥居は俗界と浄域との結界。行者は、ここで俗界を離れ修行を行なう心を奮い立たせるのだ。

僕たちは気持ちを整えて鳥居をくぐり、本堂で長旅の安全祈願をした。

金峯山寺銅鳥居。石川さんもその存在感に圧倒されていた。ここから別世界が始まるのだ。

役小角が開創したと言われる金峯山寺。高さ34mの本堂(蔵王堂)で参拝し、旅の安全を祈る。

標高が500mに満たないにもかかわらず、山容は幻想的で、張りつめた空気が漂っていた。

修行の道と聞くと険しい道という印象を抱くが、序盤は別段そんなことはなかった。比較的歩きやすい道が多く、僕たちは大天井ヶ岳(標高1,439m)まで一気に駆け上がった。軽く休憩をとった後、200mほど標高を下げると木製の質素な“門”が見えてきた。そこには『女人結界門』と大きく記されている。そう、ここからしばらくは女人禁制のエリアなのだ。

賛否両論あるらしいが、ひとつ言えることとしては、これは長い長い歴史の中で宗教的伝統として受け継がれてきたということ。僕たちは、さらに気を引き締めて門をくぐる。ここから修験道の本山である大峯山寺のある山上ヶ岳(標高1719.3m)までは登り基調。進むにつれて名高い行場が出てくる。まずは鐘掛岩。高さ約20mの一枚岩であり、頂上には役小角の石像がある。看板には「行場案内人同行のもとにその指示に従って行場を行なってください」とあり、その険しさがうかがえる。つづいて西の覗き。これは絶壁の縁から命綱をつけて身を乗り出し、仏の世界を垣間見る行場である。行者は、単にこの道を辿るわけではなく、要所要所で過酷な修行を行なうのだ。

ガスの立ちこめる林を抜け、女人結界門へ。さらにディープな世界へと足を踏み入れる。

不思議と3人も神妙な面持ちに。言葉数は少ない。修行の道らしさを感じながら一本道を走る。

西の覗きから下界を覗き込む石川さん。古の行者に思いを馳せる。

大峯山寺の本堂に着いたのは正午前。順調なペースで進んでいることもあり、しばらく休憩することにした。本堂は、造りは簡素でありながらもおごそかな雰囲気がただよっている。内陣には蔵王権現像が祀られており、僕たちは暗がりの中、心静かに参拝をした。

大峯山寺妙覚門をくぐり、修験道の寺院である大峯山寺へ。周辺には一般登山者も利用できる宿坊がある。

山上ヶ岳から大普賢岳(標高1,780m)までは、シャクナゲや笹原の間を気持ちのいいシングルトラックが走っていて軽快に飛ばしたが、山頂を過ぎるとクサリ場の連続。ガレ場もある。しかも、午後から降り始めた雨も徐々に強さを増してきた。思うように距離を延ばせず、行者還避難小屋に着いた時にはすでに16時。予定としては、ここからコースタイムで4時間のところある弥山(みせん)小屋のテント場が今日の宿泊地である。

さあどうする?行くか行くまいか。3人で話し合う。余力はある。進んだほうが明日からがラクになるのは確かだ。しかし、天候を考えると、頑張っても1時間ほどしか短縮はできないだろう。いや、さらに雨脚が強まれば、視界も足場も悪くなりもっと時間がかかってしまう。ケガ、さらには低体温症のリスクも高まる。結果、万が一が起こってからでは遅いということもあり、避難小屋に泊まることにした。予定を変更して安全策を選択したわけだが、今日だけでも30㎞以上(全行程の1/3以上)の道のりを進んでいた。

辛い中でも楽しみを忘れない石川さんは、鍋セットを持参。3人で寄せ鍋をつつきながら至福の時を過ごした。

最深部『南奥駈』を走る(DAY2/標準コースタイム:15時間55分)
まるで瞑想状態に入っているかのようだった。稜線上を貫く一本道をひたすら走る。繰り返されるアップダウン。それは単に起伏が激しいというよりは、小ピークの連続。いわばピークハントの反復練習。でも、不思議なことに辛くはなかった。歩行禅ならぬ走行禅。誰もが心地よい精神状態に浸っていた——。

4時過ぎに出発した僕たちは、約2時間(コースタイムの半分)で弥山小屋に到着。昨日、無理することなく早めに切り上げゆっくり休んだこともあり、急登はあれども足取りは軽やかだった。小屋で販売していたジュースで喉を潤し、山頂近くにある芸能の神として知られる天河大弁財天社の奥宮を参拝した。

雨上がりの草木は生命力にあふれ、僕たちにも力がみなぎる。石川さんは登りを颯爽と駆け上がっていく。

修行の道とはいえ整備は行き届いている。道標やケルンもあるため、道には迷いにくい。

弥山にある天河大弁財天社の奥宮(弥山神社)へ。芸能の神ゆえ、ここまで参拝にくる人も多いそうだ。

百名山である近畿最高峰の八経ヶ岳(標高1,915m)、二百名山の釈迦ヶ岳(標高1,799m)を経て、太古の辻へ。ここから南側は大峯奥駈道のなかでも“南奥駈”と呼ばれるエリア。険阻な山容ゆえ、足を踏み入れる人は少なく、この分岐から前鬼という里に下りる人が多い。もちろん僕たちは先へと進む。

南奥駈に入ると、雰囲気はガラッと変わった。痩せた道も多く、明らかに歩く人が少ないことが見て取れる。でも、かえってそれが修行の道らしさを増幅させていた。連なる山々をまさしく縦走したわけだが、その時に、前述のような感覚に陥ったのである。不思議だった。体力的にはかなりハードなはずなのだが、心はそうではなかった。歩いていたら、余計なことをあれこれと考えてしまったのかもしれない。走ることにより、そのスピードがそうさせたのだろうか。ゾーンに入ったというか、トランス状態に入ったというか、その行為に没頭することによって感覚すべてが研ぎすまされていったような気がした。

印象的だったのは、釈迦ヶ岳の山頂に建立されている巨大な釈迦如来像。これは、1924年(大正13年)に鬼マサという異名を持つ岡田雅行という強力がひとりで担ぎ上げたと言われているもの。巡礼の道、修行の道であることを、改めて実感した瞬間でもあった。その後、涅槃岳(ねはんだけ)、証誠無漏岳(しょうじょうむろうだけ)、阿須迦利岳(あすかりだけ)を越えていったのだが、その名前からしても、ここはもはや俗界ではないことがうかがえた。

八経ヶ岳周辺の立ち枯れの樹木。要因は台風などだが、その光景はこの山域の険しさを感じさせるかのようだった。

釈迦如来像がある釈迦ヶ岳を過ぎると深仙ノ宿。見晴らしのいい鞍部にはバイケイソウが咲き乱れている。

南奥駈は荒々しく、藪漕ぎに近いエリアも度々見受けられた。修行の道らしさが徐々に増していく。

16時をまわった頃、僕たちは平治ノ宿という避難小屋に到着した。今日の目的地は、ここからコースタイムで5時間のところあるテント場だった。1日目と同様、どうするかを3人で話し合う。天気は悪くないので進めないことはなかったが、水場の存在が不明確だった。幸いなことにここには水場がある。加えて、今日の行程もすでに30㎞オーバー。全行程の3分の2をクリアーしていたため、ここでテントを張ることにした。

2日目はテント泊。平治ノ宿の前にあるスペースにテントを張る。谷側に10分ほど下った所に水場がある。

石川さんのテントは、マウンテン・ハードウェアのスーパーメガUL1(重量807g)。

筆者のテントは、フリーライト×ハイランドデザインのスイングタープ(重量307g)。

佐々木さんのテントは、ファイントラックのツェルトⅡロング(重量340g)。

各自夕食を食べ、シメは石川さんの鍋。シートゥサミットの折畳み式鍋「X-POT」を使用。

雨と風が行く手を阻む(DAY3/標準コースタイム:18時間10分)
深夜から降り始めた雨は、依然としてやむ気配はない。加えて風も強くなるばかり。山が怒っているのだろうか・・・。濡れた岩は滑りやすく、一歩間違えば大ケガにつながる。いや命を落とす可能性も充分あり得る。岩場にかかるクサリも過信はできない。濡れたクサリは想像以上に滑り、まるでウナギのように手中から逃げようとする。一瞬たりとも油断をすることはできなかった——。

最終日。起床は夜中の2時。できる限り早く出発しようとしたが、雨もあって撤収に手間取り、4時のスタートとなった。正直なところ、1日目、2日目の疲労の蓄積を感じていた。事前の計画通りには進んでいなかったため残りの行程も30㎞ほどある。でも、今日は下り基調であるはず。そう思うと気持ちがラクになった。

しかし、早々に考えの甘さを痛感させられることとなる。下り基調というのは事実なのだが、上記のごとく非常に危険な道だったのだ。特に、地蔵岳周辺のコースは地図でも破線になっており、より一層険しさが増す。10mほどの切り立った断崖絶壁もあり、濡れたクサリを辿りながらそこを下降しなければならなかった。石川さん、佐々木さん、僕と、順番にゆっくり下っていく。ベストな足の置き場など、お互い声をかけ合いながら慎重に歩みを進める。万が一があってはいけない。今回の行程の中で、もっとも緊張した瞬間だった。

先陣を切って断崖絶壁を下降する石川さん。雨の中、クサリを頼りに一歩一歩慎重に歩みを進めていく。

筆者と佐々木さんもつづく。この峻険かつ過酷な道のりに、怖さよりもむしろ興奮を覚えていた。

岩場を過ぎても気を抜くことはできなかった。風雨はおさまらず、落ち葉で埋め尽くされた下りはグリップが効かずスリッピー。僕は幾度となく足を滑らせて腰をついた。

端から見れば、風雨にさらされながら厳しい道を進んでいくこの行為は、苦行としか思えないかもしれない。ただ、まったくと言っていいほど苦しさは感じなかった。物見遊山が目的だったら辛いだけかもしれないが、僕たちはそうではなかった。いや最初はそうだったかもしれないが、いつしかその行為だけに夢中になっていた。景色をはじめ目に見えるものに一喜一憂せず、ただひたすらに山を走る。知らず知らずのうちに雑念が取り払われ無の境地に達した、とでも言えばいいだろうか。行者でもなんでもない凡人ゆえに、それは言い過ぎかもしれないし、ただの思い込みなのかもしれない。でも、心地よかったのは紛れもない事実である。

お昼前に、玉置山(たまきやま)を越えて直下にある玉置神社に到着。ここは、世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産のひとつであり、熊野三山の奥の宮でもある。大きな社殿と杉の巨樹群は圧巻で、僕たちは残りの道のりの安全を祈願しつつ、ここでしばらく身体を休めた。

雨脚は弱まる気配がない。僕たちは、視界のすぐれない林間を言葉少なに前へ前へと進んでいく。

国の重要文化財もある玉置神社へ。ゴールまでもうひと頑張り。無事に辿り着けることを願って参拝した。

あたりには杉の巨樹群が。玉置神社には樹齢3000年と言われる神代杉がそびえ立っている。

標高は1,000m超。ゴール地点の標高は約60m。後は下るのみだと思っていたが、さすがは大峯奥駈道。そう簡単にはいかせてくれない。つづく大森山、五大尊岳、大黒天神岳の登りは想像以上で、かつ山深く、ゴールに近づいている気がしなかった。

熊野川を視界に捉えることができたのは、15時過ぎ。ゴールである熊野本宮大社までもう一息。「ようやく下界が見えてきた!」。それぞれの瞳には安堵の色が滲んでいた。

僕たちは下山口から舗装路をゆっくり歩き、熊野本宮大社に辿り着いた。時刻は17時を指していた。

ついに熊野川と本宮町を目に捉えることができた。少しだけ緊張がほぐれ、3人に笑顔が戻った。

国の史跡にも指定されている熊野川。その悠久の流れは、僕たちを優しく包み込み、疲れを癒してくれた。

備崎橋を並んで歩く3人。ゴールはすぐそこ。安堵感と充実感を味わいつつお互いを労いあった。

2泊3日の旅を終え、石川さんはこう振り返った。
「現代人の私たちに、まさしく修行という世界を感じさせてくれる道でした。1300年前に修験者のために開かれたというこの道が、今もなお残っていることがとても嬉しかったです。また今日でも靡をまわる人々の痕跡を目にして、現代においてこの修行を行なう人々は、何を想いこの過酷な道を歩んでいるのか?と進みながら考えたりしていました。改めて日本の山岳信仰は深く、尊く、そして素晴らしいと思いました。私たちは修行に来たわけではありませんが、その精神に一歩踏み入れた感覚を味わうことができました。ただ、とても魅力的な道ではあるのですが、足を踏み入れる人を選ぶ道でもあると私は思います。安易に挑むことは避けたほうがいいでしょう。肉体面でも精神面でもしっかりとした自信を持っていることに加えて、ファストパッキングとはいえども余裕を持った装備と状況に応じた冷静な判断力を備えた上で、ぜひチャレンジしてほしいです」。

今回の旅の終着駅、熊野本宮大社に3人揃って無事にゴール。感動すら覚える素晴らしい3日間だった。

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#01 屋久島縦断 SEA TO SEA

次回は、東北アルプスとも称される飯豊連峰を予定しています。お楽しみに!

3日間の行程&詳細データ

DAY1:吉野〜金峯神社〜大天井ヶ岳〜山上ヶ岳〜大普賢岳〜七曜岳〜行者還避難小屋
※標準コースタイム:16時間50分
※実質行動時間(休憩時間を除いた行動時間):9時間30分
※圧縮率:56%

DAY2:行者還避難小屋〜弥山〜八経ヶ岳〜釈迦ヶ岳〜天狗山〜涅槃岳〜証誠無漏岳〜阿須迦利岳〜平治ノ宿
※標準コースタイム:15時間55分
※実質行動時間(休憩時間を除いた行動時間):10時間30分
※圧縮率:66%

DAY3:平治ノ宿〜笠捨山〜地蔵岳〜玉置山〜大森山〜五大尊岳〜大黒天神岳〜七越峰〜熊野本宮大社
※標準コースタイム:18時間10分
※実質行動時間(休憩時間を除いた行動時間):11時間
※圧縮率:60%

※標準コースタイムは、山と高原地図(昭文社)に準じています。

ファストパッキングを支えたGREGORY

石川弘樹さんが15年前からアンバサダーを務めているグレゴリーは「どこよりもフィットするバッグパックを作ること」をミッションに1977年に創業したアウトドアパックブランド。夏の低山から厳冬期の高所登山に対応するモデルまで、スキー、ハイキング、MTB、トレイルランニング、そしてファストパッキングなど全アクティビティを網羅するラインナップを備えている。