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「マウンテンバイク(MTB)とロードバイクを足して2で割った」と紹介される自転車競技の種目、シクロクロス。五輪種目となっている両競技と比べると、シクロクロスは世界でも限られた地域でのみ盛んな、マイナースポーツである。

日本ではコアな人が楽しむ競技という印象が強かったが、近年ではバイクロア野辺山シクロクロスといったフェス的な参加型シクロクロスイベントの興隆もあり、一般サイクリストが気軽に参加できる土壌ができてきた。こうした楽しむイベントを入り口に、熱心に競技へと取り組む市民アスリートも増えている。まだ一般にその名を聞くことの少ないシクロクロスだが、この11月末に開催された全日本選手権から、その競技特性や、トップ選手たちの横顔に焦点を当ててみよう。

これでも自転車レースのコース
農耕地……ではなくシクロクロスのコースである。深い泥で乗車は困難。自転車を降りて押しても、路面の泥が車体について重くなってしまうので、担ぐしかない。レースなので歩くわけにもいかず、ランニング力もまた問われる。
泥にまみれることだってある
特にレース序盤は選手間の距離が近く、身体と身体がぶつかり合う肉弾戦になることも。弾かれ、落車することだってある。勝負をしていれば、泥まみれになることは珍しくない。
女子レースには2人の東京オリンピック代表選手が顔を揃える
全日本選手権は年に1度だけ開催される「日本一決定戦」。今年は長野県飯山市が舞台となった。女子エリートレースのスタートラインに着いたのは23名の精鋭たち。MTBクロスカントリー競技で全日本チャンピオンの今井美穂(CO2 Bicycle)と、ロードレースで全日本チャンピオンの與那嶺恵理(OANDA JAPAN)もラインアップ。二人は今年、東京オリンピック代表に選出された、共に日本の最高位にある選手。種目の違うチャンピオンが相見える稀有なレースとなった。
東京オリンピック ロードレース代表の與那嶺がリード
ロードレースにおいて、国内では無敵の強さを誇る與那嶺。本場ヨーロッパのトップチームと契約し最前戦で戦う唯一の日本人女子選手である。リオ五輪に続いて東京五輪代表選手の座も射止めたが、彼女の主戦場はあくまでロードレース。ランニングを多く要求される泥だらけのコースは決して彼女の得意とするところではない。だが、序盤に先頭に立つと、ランニングセクションすら快調に、後続との差をぐんぐんと開いていく。誰よりも重いギアで、誰よりも安定したフォームで踏み抜く舗装路区間のスピードは、明らかに他の選手と一線を画していた。
追う立場となった優勝候補
レース前に優勝候補の筆頭に挙げられていたのがMTB国内女王、東京五輪代表の今井。陸上競技を出自に持つ彼女にとって、ランニングセクションが多い重馬場は得意とするところ。しかしスタート直後に前走者と接触し、最後尾からの追い上げを強いられる。常に前で展開することが必要となるシクロクロスにおいて、後ろからのレースは圧倒的に不利。すでに遠く離れた先頭の與那嶺を追うレースが続いた。
勝者の涙が意味するもの MTBチャンピオン今井美穂が逆転勝利
果たして逆転劇が起きた。最後尾から諦めることなく追い続けた今井は、持ち前のフィジカルの強さを活かし階段セクション(!)で與那嶺を抜き、残り1周を逃げ切った。MTBの国内女王にして五輪代表。シクロクロスでは事実上の国内最強選手。「勝って当たり前」と誰もが考える中で、本人のプレッシャーはいかほどだったか。心が先に折れてもおかしくない展開の中で、気持ちをつないで勝利をもぎ取ったその走りは、この数年彼女が五輪代表を得るためにどれだけの修羅場をくぐってきたかを伺わせるものだった。現役の小学校教員である彼女は、この1年勤務の合間に海外遠征を重ね、落とせないレースを数多く経験してきた。勝利が彼女のこれまでを肯定した瞬間、頬に涙が伝った。未舗装路の女王が走る、東京五輪のMTBが今から楽しみだ。
死闘に健闘を称え合うふたり
逃げる、追うの息も詰まるレースを展開した二人。フィニッシュラインを2位で切った與那嶺(左)はしかし悔しがるよりもさっぱりとした表情で勝者を称えた。「自分でも驚いた」という好走の末の2位だったが、與那嶺が主戦場とするヨーロッパの女子ロードレースではシクロクロスに取り組むトップ選手も珍しくない。むしろ、未舗装路のレースであってもこれぐらいは走れなければヨーロッパでは通用しないという、無言のメッセージでもあるようだった。今シーズンはチーム内の有力選手をアシストするため走った與那嶺だが、来季はアメリカのチームに移籍し自身がエースとして成績を狙うことを表明。4年前のリオ五輪ロードレースは17位。高みを求めて止まない舗装路の女王が走る、東京五輪のロードレースが今から楽しみだ。
男子はヒリヒリするような一騎討ちに
男子エリートレースは脚力だけでなくテクニックや状況への対応力が問われた。2016年の全日本チャンピオン沢田時(右、チームブリヂストンアンカー)と、若干22歳で年齢枠を「飛び級」して参戦した織田聖(左、弱虫ペダルサイクリングチーム)の一騎討ちに。沢田が前を引っ張る展開が続き、会場にいる者は織田が後ろで力を溜めているのでは……と最終局面を固唾を飲んで見守った。だが沢田が全日本チャンピオンのタイトルを勝ち取った。強き者が常に前を走っていたのだった。
勝者の涙が意味するもの
勝利した沢田もまた、涙をこらえることができなかった。私たち観る者は、プレッシャーやこれまでの苦しいトレーニングが実を結んだ安堵、あるいは喜びの涙だと安易に解釈を与えようとしてしまうが、きっとその涙には名状できない感情の発露がある。その感情を味わうことができるのは、レースにおいてただ一人、勝者だけなのだ。
もし、……もしシクロクロスをやってみたくなったら
これらの写真を見て、「シクロクロスを自分もやってみたい!」と思う奇特な方がどれくらいいるかはわからない。しかし、実際にレースを見ていると怖いもの見たさで走ってみたくもなるのだった。日本でもこの2月まで誰でも参加できるレースイベントが全国で予定されている。元々はロード選手の冬のオフトレーニングとして始まったシクロクロスは、落車のリスクも比較的少なく、競技時間も短いという特徴がある。フィットネスの維持や、違った運動に挑戦してみたい人にもお勧めできる自転車スポーツでもある。感度の高いトレイルランナーの中にはすでに注目している人もいるとか。自転車フリークならずとも、シクロクロスの門扉は開いている。

*とはいえ、自転車は始めるのに敷居が高いのも事実。もしシクロクロスに参加したい、興味を持った!という方は、onyourmark編集部までお便り(DM)を。自転車の選び方や出場イベントなどアドバイスします。
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