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東京・馬喰町にあるカフェ『TRIPLE R』で開催しているアカデミーシリーズ『Knowledge is Power(K.I.P.)』。プロフリークライマーの安間佐千さんをゲストに迎え、「スポーツを生き生きと続けるメンタル」をテーマに、ホストの中野ジェームズ修一さんと語らいます。イベント前、安間さんは自身のSNSで「自分らしさは、輝きは、生き生きとした日々は、自分の中から発見していくものだと思う」と書いていました。ワールドカップで優勝するほどのトップクライマーが、“競技”としてのクライミングを辞めて、辿り着いた先に見えてきた、スポーツの本質的な喜びとは。

中野ジェームズ修一 × 安間佐千

――まず、クライミングについていろいろ教えていただきたいんですが。

安間 “クライミング”という言葉は、“登る”ことの総称なんで、たくさん種類があります。「リード」は、ロープを使って高いところを登るスタイルで、僕が得意な種目。今、日本でブームになっている「ボルダリング」は、ロープを使わずに登るスタイル。僕は、そこそこ(笑)。「スピード」は速さを競うもので、僕はやったことがありません。この3種目がメジャーで、東京オリンピックの追加種目にもなっています。リードの難易度は、数字とアルファベットで表示されます。数字が大きい方が難易度は高くて、10a、10b、10c、10d、11aとなっていきます。最高難易度は15cです。難易度は、初めて登った人が感覚で決めます。「このくらい難しかった」という登った人の感覚なんです。初めてクライミングされる方は、7~9くらい、中級者で11、上級者は12~13でこのあたりが国内ユース大会の予選レベル。

――2012年のワールドカップリード種目年間優勝をはじめ、輝かしい戦績ですが、今はどういった形でクライミングに向き合っているのでしょうか?

安間 実は僕、2014年で競技としてのクライミングはやめました。自然の岩だけを楽しんで登っています。

――自然に挑戦する方が、競技としてのモチベーションより高い?

安間 いきなり本質的な質問がきましたね。最初は、人に認められたい欲がすごくありました。なるべく多くの人が見るフィールドで活躍することが夢でしたから。でも、競技は、他人との比較の中で自分の価値を見出していくフィールドで、すごくわかりやすいけども、それだとほんとうの部分が見えなくなると思っていて。今は、競技をやめて岩に向き合っています。

中野ジェームズ修一 × 安間佐千

――中野さんは、アスリートのモチベーションを維持させるために、どんなアドバイスを?

中野 トップアスリートは私がアドバイスするよりも、各アスリートがいろんな形でモチベーションを維持しています。たとえば、伊達公子さんは一回引退して復帰を決めましたよね。それで、すごい成績を残した。そこまで出来るのはきっと今は、とにかくテニスが好きなんだと思います。(※この対談は8月の伊達公子さん引退発表前に行われました。)

安間 僕は、競技というのは他人との比較の中で、自分の価値を見出していくフィールドだと思ってたんですね。自分はもうその価値基準の中にいたいと思わなかったし、そこでやっている人たちに対して、上から目線で見ている自分がいたのも事実です。でも、今、中野さんの話を聞いて、おそらく伊達さんは、自分の価値を見つけ終わってるんだと思いました。競技というものの中に身を置いてやっていることに対して、生き甲斐を感じているから続けているのかなと。

中野 一方で、青山学院駅伝部出身の選手の中には、箱根駅伝ほどの注目を得られず、競技生活を終えてしまう人もいます。箱根駅伝優勝以上に注目される舞台って、オリンピックだけですから、代表にならない限りあの興奮を味わえず、どうモチベーションを上げたらいいのかわからないケース。

中野ジェームズ修一 × 安間佐千

――安間さんは、「箱根駅伝優勝の時のあの興奮を再び!」みたいな欲求は?

安間 (長い沈黙の後に)ゼロではないです。「ちょっとはある」という表現が正しいかな。でも、かなり少ないですね。大きなこと成し遂げるには、膨大な努力が必要だけど、そんなことしなくても、毎日がけっこう楽しいんです。登ることもだし、こうやってみなさんとお話することもすごく楽しい。日本人には、夢に向かって頑張っている人が社会的にちゃんとしているという刷り込みがかなりあると感じるんですが、日々の中に、楽しいこと、幸せなことはたくさんあります。

中野 僕は、アスリートやクライアントとセッションしている空間と時間がすごく好きで、これは安間さんの「登るのが楽しい」という感覚と似ていると思うんですが、それだけでは満足できないんですよね。見ている福原愛がオリンピックで、デュースの連続であと一球でメダルの行方が決まる時の、全身の皮膚がヒリヒリするあの感覚をまた味わいたい。その時は、胃は痛いし、汗も出てくるし、逃げ出したい。「二度とオリンピック選手は見ない」って心に誓うんですけど、もう一回ってなる(笑)。安間さんは僕よりはるかに若いのに、悟りのような境地に達していて、僕はまだまだ未熟だなと思いました。何かをきっかけにモチベーションを切り替えようとしたんですか。それとも、自然とそうなっていった?

安間 目標を達成できたから、じゃ次という感じではなくて、全体の、もっと大きな流れの中で変容している感じがします。僕はワールドカップの総合優勝が夢で、根詰めて練習をやってきて今年こそはもらったという年に、初めてリザルトが悪くなったんです。そこで完全に心が折れてしまって……。「こんなにやってもダメなんだ」と挫折を経験したのが2011年。あれ以上はもうできないし、苦しい。「だったら好きなようにやろう」とシフトした年から優勝し始めるんです。

中野ジェームズ修一 × 安間佐千

――今の状態を維持するために、意識していることは?

安間 「失敗した。もうダメだ。何をやってるんだろう」みたいな、ネガティビティの領域に自分を置き続けないこと。競技をやっていた時は、ダークネスに居続けることもあったけど、今は、ネガティビティの領域に入っていると気づいたら、意識的に這い出そうとしてます。

中野 あるマラソンの優勝経験ランナーが、今、全然走れないんですね。どこか痛いわけでもないのに、市民ランナーレベルにまで下がってしまった。完全にスランプです。彼には、このまま走れないんじゃないかという不安、練習についていけない苦しさがある。でも、どんな選手にもスランプはあるし、必ず上がってくるものなんです。ただ、もがき苦しんでいる人に「続けてれば上がれる」と言っても、そうは受け止められないんですよ。それでやめてしまう子もいるし、精神科に行って薬に依存してしまう子もいる。安間さんみたいな心境に至るには、どうしたらいいんでしょう?

安間 走れなくても、彼がいるというだけで素敵ですよね。人って、自分に価値がないから、周りが注目することをどうにかやろうとするんだと思うんですけど、そんなことしなくても、今、ここにいるってだけで、なんかいいなって思う。彼の場合、結果が出せなくても、中野さんのようにいっしょにいてくれる人がいるじゃないですか。彼のことが好きで応援してくれるのって、愛ですよね。そういうことが、彼の突破口になる気がします。

中野 彼は、悩んでいることを、恥ずかしくて言えなかった。こんな状況になる前に、相談すべきだったと。

安間 陥っている苦境を人に伝えるのは、すごく勇気のいることですよね。僕は、怒りだとか、自分には意味がないという気持ちだとか、直面している問題に付随するする感情が自分自身でわかるので、それをリリースしようとします。それが上手くいかなかったら誰かに相談しますね。

中野 悩むと免疫力って下がるんですけど、苦しいことに対して外向するようになると、NK(ナチュラルキラー)細胞が活性化して上がるんです。内向してしまうと、免疫が下がりぱなしだから、風邪を引いたり体調が悪くなって、ますます落ち込み、悪いスパイラルから抜け出せなくなっていく。悩んだ時、人に相談したり、外向できる環境にいるかは、アスリートにとってすごく大事です。

中野ジェームズ修一 × 安間佐千

中野 日本人アスリートは、日本国内の大会で成績出せるかの方がモチベーション維持に直結しています。世界大会の方が、積極的なプレーをするんですよ。新しい技に挑戦して、失敗しても次に生かそうという感じ。日本の大会は、勝ちたい意欲が強すぎて、守りに入る選手が結構多い。陸上も、誰が日本記録を誰が出したのかとか、日本選手権に出られるだとか、その種目の日本トップにこだわってる人は多いですね。青学の卒業生たちも、神野大地を含めて5人出た大会があったんですけど、仲間の中でいちばんになりたい気持ちが強いんだなあと感じました。同期にだけは負けたくない。

安間 ジェラシーですよね。僕も、自分よりも誰かが取り上げられるとか、嫉妬することはありました。でも、嫉妬は衰えていきます。勝った喜びも。勝利の喜びには、継続性がないんです。僕が今チャレンジしていることって、努力して特別さを手に入れるんじゃなく、ありのまま、自分の価値を見出していくことだと思うんですよね。企業もメディアも、人よりもすごいことをやるところにアスリートの価値を見て、評価していくし、アスリートも評価されるために、自分を作り上げていく。でも、僕は、自分らしいプロクライマーでありたい。スポンサーも、こういう僕のことをとらえきれてないと思うんですよね。表にバンと出るすごいことをやっていないから。それでも、僕の中では毎日、ハッピー度が上がっています。特別なことができなくてもネガティブに思う必要はないし、新聞の表紙を飾らなくても毎日楽しい。そう思えるところに、しっかり立ちたい。

―――安間さんは、ドイツ本社のアディダスと直接契約。グローバルが認めるというのは、そうとうすごいことです。

安間 ありがとうございます。能力のあるクライマーは、日本にいっぱいいるし、東京オリンピックでクライミングが競技種目になると中で、なぜ、僕は、アディダスジャパンではなく、本国契約なんだろうと考えるんです。ロッククライミングがヨーロッパには根付いていて、その土台の上に競技があるという認識ですが、日本では競技が切り離されかけている。そんな中で、競技を離れた僕が世界の岩場を登ることで、可能性が広がっていくんだと感じています。

――改めてですが、ロッククライミングの魅力は?

安間 掴んで登るという行為は、ものすごくピュアな感覚です。赤ちゃんも、何か出したら掴もうとして、一生懸命ハイハイしたり、立ち上がろうとするじゃないですか。ゴールを目指して登っていく感覚は、それに近いですね。あとは、人智を超越した奇跡の中で、自分の身体を使うのは喜び。この岩に偶然穴があいてたから登れたってことがあるんです。その穴は、奇跡ですよ。みなさんを自然の岩場にお連れして、穴のすごさを共有したいです(笑)。

――最後に、目標を教えてください。東京オリンピックは……?

安間 出ないです。ありのままの自分で100%、生き生きと、プロクライマーとして、自分の価値を自分自身に証明してあげたい。具体性はないんですけど、これが、今後実現したいことです。