オーストリアの西部、音楽の都として有名なザルツブルグから、ヨーロッパアルプスへ向けて車を南に1時間ほど走らせるとバート・ホフガスタインという谷間の村に到着する。この辺りには「バート(Bad)」と頭に付く地名が多いが、これは温泉のことを指している。つまりバート・ホフガスタインは温泉の湧く保養地として知られている。とはいえ、村にある標識はドイツ語表記のみのものも多く、国際的リゾートというわけでもなさそうだ。
2019年6月、この長閑な村にヨーロッパはもとより、世界中から700人を超えるランナーが集結していた。アディダスのアウトドアカテゴリー<アディダス・テレックス>が主催するトレイルランのワールドチャンピオンシップ<アディダス・インフィニット・トレイルズ>に参加するためだ。
チームで戦う世界戦<アディダス・インフィニット・トレイルズ>
<アディダス・インフィニット・トレイルズ>は、世界各国で選抜された3人ひと組のチームが、リレーによって順位を競うチーム戦だ。スタート/ゴールが置かれたバート・ホフガスタインを中心に3つのLOOPが用意され、それぞれが決められたLOOPを走り、次の走者にバトンを手渡す。温泉地を中心に3つのLOOPを走るというこの方式、日本の<The4100D マウンテントレイル in 野沢温泉>のリレー部門のヨーロッパ版と考えるとイメージしやすい。
2019年大会は第一走者が25km(累積標高1,900m)、第二走者が60km(累積標高3,600m)、第三走者が40km(累積標高2,100m)という振り分け。そして最後は1kmのフィニッシュループをチーム全員でウイニングランするという全長127km、累積標高7,600mのなかなかタフなレースだ。
さらに、この本戦の2日前にはプロローグと名付けられた個人戦が行われる。15km累積標高900mとバーティカルなこのレースの個人成績によって、本戦でのスタート順が決定する。そう、本戦のリレーはウェーブスタートなのだ。だから、個人戦といえどもチームのために手は抜けない。この駅伝に似たチームのためのレースは、日本人にとっては馴染み深い。一方、海外の選手にとってはトレイルランニングの新しい楽しみ方の提案となる。
なぜ<アディダス・テレックス> は<インフィニット・トレイルズ>を開催するのか
アスレチックのビッグメーカーであるアディダスだが、アウトドア領域では後発だ。それを一気に埋めるかのようにトレイルランニングの分野でも、onyourmarkでもお馴染みの人気選手ティモシー・オルソンや、スカイランニングで抜群の強さを誇るシェイラ・アビエスなどを獲得。日本においても「おっくん」の愛称で親しまれている奥宮俊祐を獲得したことで話題となった。
こうした選手たちを一堂に集め、トレイルランニングの大会におけるニュー・スタンダードを築きたいという意志が<アディダス・テレックス>にはあるのだろう。一足先に軌道に乗り始めたクライミングの世界大会<アディダス・ロックスター>は、その成功例だ。
実はこの<インフィニット・トレイルズ>は、今年で2回目の開催となる。初回となった前回はプロローグは行われたものの、本戦は雪のためスタート直前で中止となった。そうした経緯もあって、主催者の今年の大会に向けての士気は高かったようだ。スタート/ゴールエリアはステージやDJブースが配され、サッカーのスタジアムでよく見る電光パネルで覆われている。華やかさは、ヨーロッパのビッグレースに並ぶものだ。
ドイツ本国で商品開発を行うチームも実際に山を走るトレイルランナーたちだ。アパレル開発を担当するニックなどは、UTMBなどウルトラトレイルにも参加し、トップ選手からのフィードバックのみならず、自らがプロダクトを使い、その経験を開発に活かしている。今回の大会中にもユーザーとの対話の機会を設け、各国特有の事情などに熱心に耳を傾けている姿が印象的だった。
ロードとトレイルを繋ぐ
この第2回大会で目立ったのは各国のロードランニングのコミュニティ<アディダス・ランナーズ(AR)>がチームとして参加している姿だった。その顔ぶれは、NY、LA、ロンドン、パリ、ベルリン、サンパウロ、シドニー、上海、北京などまさにワールドワイド。そして日本からもAR TOKYOキャプテンのKANAこと永山華奈さんが参加した。
「私の使命は世界中から集まったadidas Runnersと日本代表達を繋ぎ、遠く離れた異国でもコミュニティのパワーを感じてもらう事。ティモシーが”We all in this together.” と言っていたように、同志達を支え合いながらレースを皆で完走したいです!」との言葉通り、積極的に世界のARメンバーと交流し、日本と世界の繋ぎ役を買って出てくれた。
興味をひいたのはNYから参加したジェシー・ザポ(写真左)のプレゼンテーション。伝説のランニングチーム<ブリッジランナーズ>の立ち上げに参加した彼女、チーム立ち上げ当初のスライドなどを使ってランニングコミュニティのトレンドを解説してくれた。
「NYのランニングコミュニティにはいくつかの波があった。まずは<ブリッジランナーズ>のようなランニングコミュニティの誕生。ここに写っている私はまるでランナーらしくないけれど、こういった夜の街を楽しんでいたようなメンバーが走りだしたの。いつも決まった時間に決まった場所に顔を出せば誰かがいるという状況が大事だった。
その後、<ブラックローゼス>や<ラン・デム・クルー>など、いろいろなバックグラウンドを持ったチームが自然発生的に生まれていった。各々が独自のアイデンティティとユニフォームを持って、お互いにビーフしたり仲良くしながら育っていった。それはやがて、NYの自転車メッセンジャーのコミュニティがアンダーグランドで行なっていた草レースを真似て、深夜のレースを開催するまでに成長していったわ。これが第2の波ね。
そして私はそうしたランニングコミュニティに第3の波が訪れていると感じている。それが街を飛び出して、自然の中へ分けいるということ。インフィニット・トレイルズに各国からロードランナーが参加して、この自然に触れる喜び目覚めてくれると期待しているわ」
世界から集まったオシャレなロードランナー達が、トップトレイルランナーと触れ合う様子は初々しく、アディダスがトレイルランニングシーンに新しい風を送り込む役割を担っていることが感じられた。
日本からは精鋭が参加
日本からは3名×4チーム=12名が参加することになった。メンバーはゴールデンウイークに行われた奥宮選手主催のワークショップの参加者の中から選抜された6名と、2018年のFunTrails 100K/50Kの成績優秀者3名、そしてメディア・インフルエンサー枠としてonyourmarkから編集長の僕、松田正臣、フイナムから副編集長山本博史さん、そしてAR TOKYOキャプテンのKANAさんが選ばれた。
4つのチームは以下の通り
TEAM adidas Runners 1
TEAM adidas TERREX JAPAN
TEAM FTR
TEAM adidas Runners 2
ウェーブスタートの妙
プロローグランを経てのメインレース当日、ヨーロッパは記録的な熱波に襲われていた。昨年雪で中止になったとは思えないほどの気温。給水に対する注意が喚起され、体温を下げるために身体を濡らすためのスポンジも配られた。
とはいえ、午前4時スタートのLOOP1にはちょうど良い気象条件。まだ暗いスタート会場はライトで煌々と照らされ、早朝にも関わらずMCの熱いコールが始まっている。ここで興味を惹かれるのはウェーブスタートの方式だ。190チームがプロローグランの成績によって、1時間かけてウェーブでスタートする。MCが各選手の名前をコールし、次々出走していくさまは他のトレイルランレースにはない興奮を呼び起こす。
我がTEAM adidas Runners 2は4時44分58秒となかなかの後方スタート。コールを受けてスタートラインを超え、仲間に見送られながらゲートを抜けて街へと飛び出す。華々しいスタートはLOOP1の役得だ。登りが苦手な僕は、スタートダッシュと後半の下りでタイムを稼ぐ作戦。とはいえ小さな街はすぐに通り過ぎ、沢沿いの登りへ。
山道の作り方は国民性が出る。日本のトレイルは細かなスイッチバックを繰り返すテクニカルなものが多く、米国は大きなスイッチバックで距離は取りながらもなだらかに登っていく印象だ。それに対して欧州のトレイルは、できるだけ無駄を省いた直登が多い。事前レクチャーで奥宮選手にアドバイスを受けてストックを用意していなかったらかなりキツかったと思う。全身を使いながら淡々と登り続けること1時間半、ようやく第一エイドが見えてきた。けれどちょうど体が温まりノッてきたタイミング。そのままスルーして登り続ける。
このエイドを超えると、森林限界を超えたのか周囲の風景が変わり始める。標高2,000mを超えるレースの醍醐味だ。しかしここからも長い登りが続く。日本でここまで登り通しのレースコースを取ることはほぼ不可能だろう。国内の急登で有名な甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根が約8kmで標高差2,200mだから、それの8掛けくらいのイメージだろうか。山の大きさにヨーロッパアルプスを感じた。
コースの辻々には地元のボランティアの人たちが立っていてくれる。トッランペットを吹いている人もいれば、大音量でハードロックを流していたり様々だ。みな選手を見かけると「ホップ!ホップ!」と掛け声をかけてくれる。それぞれの国特有の応援に触れるのも海外レースの楽しみのひとつだ。
コース最高地点の山小屋は第二エイド。ここでも前日から準備のために泊まっていたボランティアがもてなしてくれる。しばし、360度の山並みを堪能して下りへ。
ここまでくるとARから参加しているロードランナーは苦しそうだ。下りで脚を痛めてペースダウンしている選手も多い。そんな中、マンチェスターのARチームに所属しているという選手と走力がぴったり合って、長いこと一緒に走った。
「マンチェスターに山はあるの?」と尋ねると「スコットランドの湖水地方に走りに行くよ」と教えてくれた。こうした情報交換から次のトレイルトリップのヒントを得られるのも海外レースのメリットだろう。後半、高低図に現れない登り返しの連続に閉口したが、なんとか想定タイム内で第二走者の山本さんにタスキを渡すことができた。
灼熱の太陽と切り立ったキレットの最難関
LOOP2は距離が最長である上に、日中の暑い時間と重なり、最も厳しいLOOPとなることが予想された。実際その通り、ゴールしてくる選手の表情は一様に険しい。日本チームトップで戻ってきた青木純さんは、一部コースロストしたということで、メンタル的にも追い詰められた中、チーム戦ということで頑張ってゴール。続いて入ってきた町田さんは「一部、すごく怖いキレットがあって全然突っ込めませんでした」とコメント。すぐに続いた原さんは爽やかな笑顔でゴールしたものの、同じくコースの難易度を訴えていた。
我がチームの山本さんもなかなかに苦戦しているよう。レース中にLINEで「序盤の高所で息切れしてめっちゃキツイ。マイペースに行きまーす」と連絡が。連戦に加え、高度の影響もあるようだ。
そして更なる問題は関門時間。「ワールドチャンピオンシップ」と名打たれている通り、本来は各国の選抜チームが参加するこのレース、なかなかに関門時間が厳しいのだ。4時にレーススタートし、LOOP1のゴール関門が6時間後の10時(ただしウェーブスタートのため遅いチームには5時間以内を要求される)、LOOP2は19時までにもどらなければ3LOOPにタスキを渡すことができない。僕たちTEAM adidas Runners 2は、机上の想定タイムでみてもLOOP2からLOOP3へのタスキはほぼ不可能だった。
カットオフの19時を迎え、走者以外の日本人メンバー皆でKANAさんを送り出す。LOOP3は40km。レース終盤のため途中には細かく関門時間が設定されている。完走はほぼ不可能だが、できるだけ進んで稜線の美しい風景を堪能してほしいと祈るような気持ちで見送った。
そしてLOOP2を走り続けていた山本さんは、21時54分に無事ゴール。タスキは繋がらなかったものの、最後の関門をすり抜けてしっかりと60kmを走りきった。一方、KANAさんも夕暮れの美しい時間に稜線に到達。33km地点まで走りきることができた。
日本チームはTEAM adidas Runners 1が16:45:11でMIX部門7位、TEAM FTRが16:45:48と僅差でMIX部門8位と素晴らしい結果を残した。また、奥宮選手が参加したアスリートチームadidas TERREX6は14:14:54で男性部門の6位とさすがの強さを見せてくれた。
トップ選手達がトレイルランニングをチームとして戦うという珍しいレースを実際に体験してみた結果は、ただただ楽しい!といえるものだった。一般的なビッグレースのピリピリとした雰囲気は皆無で、トップ選手同士もリラックッスして旧交を温めている姿が印象的だった。
数日間をかけて、ロードランナーとトレイルランナーが、トップ選手と一般ランナーが、そして街の人々が、自然のフィールドを分かち合い、お互いの理解を深める。これが毎年続いて行くならば、<インフィニット・トレイルズ>に行けばアイツにまた会えるよ、というようなランナーたちの拠り所ような場所になるんじゃないか。そう思えた。