2018年のIFSCクライミング世界選手権ボルダリング優勝。世界チャンピオンとなり、2020年にはボルダリング ・ジャパンカップを制覇。その視野には東京やパリがある若き世界のトップクライマー原田海に、自身が見た世界一の風景と、追い求めるチャンピオン像について訊いた。
19歳にして世界チャンピオンに輝いたクライマー、原田海のたたずまいと振る舞いには、驕りがない。その落ち着いた物腰と言動は、世界のトップで戦い続けているがゆえの冷静さと表裏一体のようだ。
「自分自身を把握しているタイプだと思います。元々の性格もありますが、最近は特に冷静になったと思います。常に冷静であることが、とりえでもあり、……悪いところでもある」。
自らを冷静と客観視する21歳。それはクライミングという競技が持つ特性と無縁ではない。クライミング種目の中で原田が得意とするボルダリングは、登はん前にルートやムーブを確認する『オブザベーション』の時間が重要な役割を果たす。いくつものルートの可能性を考慮し、自らの力量やコンディションと天秤にかけ、そして判断する。ウォールという『外』と自分自身という『内』とを同時に把握する能力は、クライマーには必須のものだ。
その意味で、冷静でいることはとりえでしかなさそうだが、『悪いところでもある』というのは一体どういうことなのだろう?
クライミングは、人との争いじゃない
原田がクライミングを始めたのはまったくの偶然だった。およそ10年前、たまたま近所にあったクライミングジムに家族で遊びに行ったのがきっかけだ。クライミングが五輪の正式種目となり、各地にジムが増えた今日とは異なり、当時は大きな町であっても、クライミングジムが珍しい時代だった。
「子ども心に、高いところに登る体験が非日常で楽しかったことを覚えています。高いところへ向かって、ゴールをつかむという感覚は今も変わりません」
初めから競技としてのクライミングに惹かれたわけではなかった。『高いところ』を目指していくその過程で、スポーツクライミングの競技の世界に足を踏み入れることになった。原田は言う。
「人と競うよりも、自分が高まっていくことの方が好きです。クライミングを、人との争いだとは全く思っていません」。
世界一の舞台で、ゾーンに入る
そんな言葉を体現するかのような出来事が、2018年のIFSCクライミング世界選手権の最中に起きた。決勝、世界の頂点を決めるその時に、原田の感覚はかつてないほど研ぎ澄まされたという。
「苦手意識のある課題を一発で登れた時にスイッチが入りました。自分でも『あぁ、入ってるな』とわかりましたね。登れる気しかしなかった」。
大舞台で経験した、ゾーン。そして原田は19歳にして世界チャンピオンのタイトルを獲得する。
チャンピオンの葛藤と克服
多くの世界チャンピオンが語るように、原田もまた自身が世界一である実感がすぐには湧かなかったという。むしろ身近な人々のかける声、そしてメディアの注目度の高まりによって徐々に自覚していったようだ。だが同時にそれは、見えないプレッシャーにもなった。チャンピオンは常に人々の注目を集める。ライバルからも、メディアからも、そしてファンからも。
「それまで世界の舞台で表彰台に乗ったことがなかったので、急に自分を見る目が変わりましたね。自分では周りの変化を気にしないタイプだと思っていたし、そう思わないようにもしていたんですけど、どこかでひっかかっていたんでしょうね。その後の大会では成績が悪くなりました」。
周囲の視線が変わる中で、己を保ち続ける難しさに直面して、しかし原田は自らの強みを引き出していく。『良くも悪くも』冷静で、客観的に物事を見つめる姿勢。ウォールをオブザベーションするかのように、自身を見つめ直し、考え続けた。
「自分は本当に周囲の目線を気にしないでいられているのか、ということをもう一度考えました。やはりどこかで気にしていたんだと気づき、意識を変えたんです。チャンピオンとして、ではなくチャレンジャーとして臨むべきなんだと」
すべて自分自身で、壁を超えていく
世界の頂点に立った“挑戦者”は、日々壁に挑んでいる。クライマーにとって『壁』は比喩的な意味も、実際的な意味も持つ。
「毎日自分の壁にぶつかっています。超えられる日もあるし、超えられない日もある。基本的に毎日悩みにはぶつかっていますね」。
原田には、トレーニングメニューを組んでくれるトレーナーや、メンタルのケアを行う療法士もいない。自分自身で考え、道を切り開いてきた。
「毎日、何をやるか、どれくらい練習するかを自分で考えています。これは悪い言い方をすれば、いつでもサボれるということ。それも含めて毎日自分と戦えるかどうか、です。クライミングだけじゃなく、どのスポーツでも、いろんな仕事でも言えることだと思いますが、やっぱり考えることって辛いし、考えたくない時もあります。でもそこで逃げちゃうと同じことの繰り返しになる。そこでやらないと、何も残らないんです」。
冷静さを悪いところでもある、と原田は言った。それはもしかすると、周囲を客観視できるがゆえの、主観的な熱量の欠如を危惧しているのかもしれない。しかし目の前で、口調こそ淡々としながらも、クライミングへの取り組みを語るその瞳には強い意志と、情熱が宿っている。
原田海のチャンピオン像
2020年2月のボルダリング ・ジャパンカップでは優勝。再びチャンピオンとしての高みに立った原田に、チャンピオンとはどんな存在かを訊いてみた。
「僕自身が体験したからですが、成績に固執して、成績だけを追い求めるチャンピオンにはなりたくないですね。自分への課題を日々こなしていける人、1日1日を乗り越えていける人。そんな人はみんなチャンピオンなのかな、と思います」
原田は今日も壁と向き合い、超えようと手を伸ばす。その先には東京やパリでの大舞台があるかもしれない。より高いところへ。初めてクライミングを経験した少年時代から変わらぬ情熱が、若きチャンピオンの原動力だ。
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