タントラという言葉をご存知でしょうか?
一般的には性的なヨーガという意味に誤解されていますが、真の意味は”行”です。
その対語はスートラ。ヨガ哲学を学んだことがある人はパタンジャリの『ヨーガ・スートラ』といった書物で馴染みがあるかもしれません。
スートラとは日本語にすると顕教。これは学問的な教えといった意味です。
タントラ=行とは逆に肉体的な直接的経験。今回なぜそのような話題で始めたかと申しますと、あらゆるスポーツはその目的や方向がある種の哲学をともなう精神的な意義を帯びるとタントラになり得ると思うからです。
それが茶道であれ何であれ、日本語でいうあらゆるー道とはすなわちタントラだといえるでしょう。サーフィンとは即ち立派なサーフィン道だと思います。
そしてあらゆる道がどこへ向かう道かといいますと、それはするものとされることが一味になる精神的覚醒でありそれを総合してタオイズム=道教だともいえるでしょう。そのような意識でスポーツジムのヨガや始めたばかりの波うち際のサーフィンに取り組んでみると大きくその味が変わるかもしれません。
そしてこんどはそんな意識を日常に広げてはいかがでしょうか? すると日常の全てが道と化すでしょう。買い物道、お茶汲み道、子育て道、上司に怒られ道。つらいことですら、楽しい修行に変わるかもしれません。
そんな日常の煩わしいすべての行為を楽しみに変容させる基盤として、まずは手元にあるスポーツに取り組んでみましょう。そしてそのスポーツのうちの所作をひとつひとつ味わってみてはどうでしょう?
私は手を上げている。私は前屈している。私は息を吐いている。と。
するとそれは有意義な禅の修行になります。スポーツ=体を動かすとは本を読む以上にスピリチュアル行為になり得るわけです。
本当に道を極めるとは“上手くなる”ということではなく、それをしているようで本当はしていないと知ることが、実は本当にしていることとなる。そんなレトリックのようなマジックが達人への鍵なのでしょう。
そして生活のあらゆることが道になった時、いつしか生きているようで生きていないことが本当の命を生きることだと悟るうちに、そこはかとない、生かされることへの感謝が胸のうちより沸き起こるでしょう。
このように皆さんが不安や焦燥や倦怠や怒りからリリーフされることを心よりお祈り申し上げて、この連載を結びたいと思います。
(写真 Barry Silver)
信國大志/TAISHI NOBUKUNI
1970年熊本県生まれ。1994年渡仏、ジョン・ガリアーノの元で働く。1996年セントマーティン美術学校、修士過程(ウィメンズウェアー)修了。 1998年TAISHI NOBUKUNIを設立。2004-2008年、TAKEO KIKUCHIのクリエイティブ・ディレクターを務める。2005年毎日ファッション大賞新人賞受賞。現在はBOTANIKA taishi nobukuniを手掛けるかたわら、今秋銀座にオープン予定のテーラーの準備を進めている。
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