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テクノロジーは、言わば黒子のようなものだ。
たとえば私たちが日々使うスマートフォンの中には、GPSや暗号化ソフトウエアはじめとした様々な高度なテクノロジーが存在する。しかし、そんなことは誰も気にすることなくスマートフォンを使っている。私たちの知らないところで、黒子であるテクノロジーは絶え間なく働き続ける。

首都タリンの歴史地区(旧市街)は、1997年にユネスコの世界文化遺産に登録された中世の面影の残る古い町だ。夜、城壁に囲まれた旧市街を歩き、年季の入った石畳に響く足音を聞いていると、本当にいつの時代なのかわからなくなる。しかし、この中世の世界の裏側では世界最先端のテクノロジーやシステムが導入され、人々はそんなことを意識することなく享受している。タリン旧市街にあるラエコヤ広場のカフェでくつろぐ観光客たちは、よもやエストニアが世界最先端を行くIT超大国とは思わないだろう。だが、テクノロジーは黒子のように存在しているのだ。

エストニアの人口は約130万人。九州ほどの面積に、青森県の人口と同程度の人が住んでいる。人口の1/3にあたる43万人が首都タリンに住む。一般にバルト海沿岸にあるエストニア、ラトビア、リトアニアの3つの共和国は、「バルト三国」いう名称で一括りにされることが多い。しかし、エストニアは歴史・文化的にはスウェーデンやフィンランドと繋がりが深い。フィンランドのヘルシンキからは日帰り観光が可能な距離だ(事実、物価の安いエストニアに買い出しに来るフィンランド人も多い)。さらに2017年には国連がこれまでの「東欧」から「北欧」分類へと変更すると発表した。当然のことながらエストニアはEU、NATOにも加盟している。エストニアは旧ソ連の香りのする「バルト三国」というカテゴリーからは、歴史上も体制もすでに卒業しており、欧州の認識ではエストニアは北欧の国だ。

デジタル・ネイティブの国家

現在のエストニアで特筆すべき産業は、IT技術だろう。マイクロソフト社が買収したSkype社など、数多くのIT企業、またスタートアップ企業がこの地に拠点を置く。エストニアが旧ソ連から独立回復をしたのは1991年。すでにこの世界にインターネットは存在していた。エストニアはデジタル・ネイティブ国家なのだ。早い時期からエストニア政府は国策としてIT立国化を進めており、惜しみないベンチャー支援をしている。「e-Resident(電子国民)」という制度を利用すれば、エストニア以外の国籍の者――つまり日本人であれ、誰であれ――が、エストニアで法人設立が可能となり、EU市場にアクセス可能なビジネス口座を開設することができる。エストニアを足がかりに、欧州でビジネスをしたいというスタートアップ企業がエストニアに集まっている。

電子政府、電子IDカード、ネット銀行などが整備され、国民もストレスフリーな行政サービスを受けることができる。「いや、日本にもそれくらいあるだろう……」と思われるかもしれない。が、エストニアと次元が違うのだ。エストニアでは全国民のデータをブロックチェーン化し、全世界のサーバーに分散している。この真の狙いは「国家の存続」だ。エストニアの歴史を遡れば、長年にわたって近隣の国の支配下にあったことがわかる。当然のことながら、国境を接するロシアという超大国の存在が大きいだろう。もし、他国が攻めてきて領土を、そして国内のデータセンターを失ったしても、ブロックチェーン化した国民のデータさえ残っていれば、電子的に国家として存続できる。これはデジタル・ネイティブの国ならではの「国防」だろう。国家とは国民であるという宣言でもあるのだ。当然のことながら、ブロックチェーンで分散された強固なシステムが侵され、第三者に悪性されることはまず考えられない。

紙が必要なのは『結婚』『離婚』『土地売買』くらいのもの

情報をサイバー空間に置くだけではない。エストニア政府は効率的にこれらのデータを活用している。全国民に配布される国民識別番号が記された『eIDカード』とパスワードを組み合わせることで、国民はあらゆる行政サービスを受けることが可能だ。またカードは運転免許証、EU内パスポート、公的身分証明書、健康保険証、電子チケットとしても使える。紙が必要なのは『結婚』『離婚』『土地売買』くらいのものといわれており、ほぼすべての行政手続きがオンラインで行われている。マイナンバーカードでもたついている日本の遙か未来を、エストニア人は日常的に体験している。

しかし、世界の先を行くIT先進国でありながら、人々は自然を愛する。日本人と同じように木や石などへの信仰、アニミズムを持つ。そして、週末には友人や家族とサウナを楽しむという。のんびりとした静かな生活は、高度なテクノロジーやインフラが支えている。私たちの暮らしの先にある、現在のエストニアの日常はどのようなものだろう。中世と最先端が同居するエストニアに向かった。

参考文献『未来型国家エストニアの挑戦』(ラウル・アリキヴィ、前田陽二著 インプレスR&D発行)

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