fbpx

今、ベルナール・イノーがツールを走ったら勝てる?

質問 変わった質問かもしれないですが、イノーさんの絶好調は1980年と伺っていますが、そのコンディションで現在のツールに出場したら勝てますか? もし勝てないとしたら、何が違うのでしょうか?

Bernard Hinault

イノー まぁ勝つね(会場笑) 今日のレースでは選手じゃなくて、監督が指示を出している。選手が自分で考えてレースをしていないんだ。私が現役の時は、私が自分で考えてレースをしていた。だからレース中に、何が起こるかということがわかっていたんだ。80年代の私が現在のプロトンを走ったら、80年代よりも楽しんで勝てるだろうね。選手が無線で「もしもし」ってやっている間に、横からアタックしちゃうのさ(笑)

綾野 当時のイノーさんは平地でも絶対にスピードを緩めず、あるいはアルプスなどの山岳で強いコロンビア人選手を置き去りにして『あいつらに行かせるつもりなんてない』なんて発言がごろごろ飛び出してました。肉体的な強さはさることながら、闘争心、意志の強さは今の選手と比べのものにならないものがありました。そういう闘争心はどこから来るのでしょうか?

Bernard Hinault

イノー モチベーションは勝つことにある。レースの朝、勝つと思わねば勝てないし、2位でいいやと思ったら2位以上にはなれない。私は自分自身の体のことを、どこまで追い込めるかよく熟知していたし、同時にライバルがどうかということもよく判っていた。

小俣 イノーさんのアグレッシブさというところで言うと、いろんな選手に名言というものがありますが、イノーさんの名言はこのジャージの背中にもプリントされているこれです。これを読んでいただいて、どういう意味か教えていただけますか?

Bernard Hinault

イノー 座右の銘だが、“Tant que je respire, j’attaque” というもので「私が息をする限り、アタックする」という意味だ。(日本語のニュアンスだと『生きている限り、勝ちに行く』) 他には “Quand tu veux, tu peux”「望まなくば、得られない」という言葉も大事にしている。

小俣 もう少し、質問行きましょう。

質問 2000年代に入ってロードレースは国際化していきました。そして現在では世界中でレースが行われています。これから2020年、2030年とますます世界的な競技になっていくであろうロードレースの未来を、イノーさんはどうお考えでしょうか?

Bernard Hinault

イノー 自転車の国際化というのはこの20年、30年で起こってきたね。アメリカ人や日本人が活躍するようになった。オーストラリア、ニュージーランド、ノルウェーといった国々もね。今はアフリカ人がやってきている時期だ。おっしゃる通り、世界中でレースが開催され、世界のトップ選手が遠征をするようになっている。こうしたトップ選手と、各国のローカルな選手が同じレースで戦うことで、ローカルな選手のレベルが上がっていく。今は、ヨーロッパの本場のレースが世界各地にもたらされている段階と言うことができる。そしてこうしたトップ選手が世界を走ることは、各地の子どもたちに夢を与えることでもある。自転車競技が世界に広まっているところなんだ。ロードレースの問題のひとつは、公道を使ってやるスポーツだということだ。開催が危険な地域もある。それが普及のネックになっているところはあるね。

小俣 そろそろ時間も迫ってまいりましたので、次を最後の質問にさせてください。

質問 40年来で本物に会うことができて本当に感動しております。イノーさんが現役の頃はビンディングペダルではなく、トゥストラップをメインに使用されていたかと思いますが、現在はどちらが好きですか?

Bernard Hinault

イノー 断然、ビンディングだ(会場笑)。この方が力が入るし、引き足も使えるからね。落車してもすぐに外れるし、今のプロ選手が全員使っているのも合理的な理由だよね。ちなみに私がプロトンでビンディングペダルを使った最初の選手なんだ。そのあとでみんなが真似した(笑)。ルック社の開発にも携わっていて、エンジニアにビンディングペダルのアイデアを伝えたのは私なんだよ。スキーのビンディングを見てひらめいたんだ。

綾野 イノーさんは長年ルックのアドバイザーを務められているんですよね。

イノー 今もだよ。

小俣 イノーさんの影響は今日まで連綿とプロトンにあるわけですね。さぁ、残念ですがお時間も無くなってしまいました。最後にお二人から一言ずつ頂戴できればと思います。

Bernard Hinault

ポデヴァン 今日はこの場にいることができて、本当に感激しています。日本に来るのは初めてで、東京でこれから数日を過ごしますが、いろんな刺激がありそうです。私はパリに住んでいるのですが、多くの日本人を見かけます。でも東京にいたらパリに来たい理由なんてなさそうです(笑) 最後に、ルコックスポルティフのみなさまにはとても温かく出迎えていただきました。ありがとうございます。ベルナール、奥さんのマルティヌ、そして私の家族と一緒に過ごしている1週間は素晴らしいものになりました。

Bernard Hinault

イノー もう10回以上も日本に来ているけれど、まだ日本語が話せなくてすみません(会場笑) 親切にしてくださってくれてありがとう。お越しいただいてありがとう、そしてよい土曜日の夜を。

構成 小俣雄風太/写真 藤原岳人(シクロワイアード)