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2020年に世界を襲った未曾有のパンデミック。春先には各地の小学校で休校措置がとられ、子どもたちが外に出られないという事態になりました。そんな状況に心を痛めていたのは、小学校教員のマウンテンランナー志村裕貴

山梨を代表する山、八ヶ岳でのFKT(Fastest Known Time)チャレンジ。自分が走ることで地元の山や自然の美しさや外遊びの喜びを、子どもたちに伝えたい。2020年夏の挑戦には、“憧れでありライバルである”と意識する山本健一もペーサーとして加わり、いよいよ山梨が誇る名峰を最速踏破する舞台は整ったーーー。

その様子をドキュメントしたフィルム『EIGHT∞』の公開に合わせ、志村裕貴のスペシャルインタビューをお届けします。聞き手は、彼が世界のマウンテンランナーと比肩した2019年の〈OURAY 100〉にも立ち会ったonyourmark編集長の小俣雄風太。まずは、下の『EIGHT∞』をご覧いただいて、インタビューをお楽しみください。彼の実直で熱い気持ちにほだされること、うけあいです。

自分と、子どもたちに宛てた挑戦

onyourmark 小俣:今回の八ヶ岳を往還するFKTチャレンジは、距離90km・累積標高8200m。まずはなぜやろうと思ったのか教えてください。

志村:コロナ禍になって、家に閉じこもってしまう子どもたちがたくさんいる中で、家の近くにこんなに美しくて面白い自然があるんだよ、って知ってもらいたかった。学校では環境教育をするけれど、酸性雨や温暖化は子どもたちからすると遠い話。身近に素晴らしい自然があることを伝えることで、そういう意識や自然への想いが芽生えるかなと。そんなメッセージを届けたくて今回の挑戦に至ったんだ。

OYM:裕貴さんはコロナ禍の2020年をどう過ごしていましたか?

志村:ランでは基本的に人と走らなくなって。幸いなことに自宅の周りには人がいないので(笑)、トレーニング自体はできていた。でもどこかで人と繋がっていたいという思いがあったのと、「何のために頑張ってるのかな」って目的意識が薄れてしまう時間もあった。


OYM:2020年、元々のプランでは目標としていたレースもあった、と。

志村:今まではアメリカのレースを走ってきたから、ヨーロッパのレースに挑戦しようと準備をしていたんだけど、その矢先でのパンデミックだったね。

OYM:学校での仕事はどう変化しましたか?

志村:4〜6月まで学校が無かったというのが一番大きかった。一部の学校ではオンラインで授業を行なっているところもあるけれど、自分の学校では宿題制のリモート学級。その春に新しい学校に赴任したばかりだったので、児童たちとは一番最初に会ったきりだったんだ。初めまして。それではさようなら、という状態(笑)

OYM:子どもたちもその状況を受け入れるのに苦労したのでは。

志村:それに関しては、違和感を覚えているところがあるんだ。子どもたちはその状況にすぐ順応したんだよ。それまでも子ども同士のコミュニケーション手段はゲームだったから、学校が休みになってもゲーム上で友達に会える。認めなきゃいけないところだけれど、そこに違和感がある(笑) 遊ぶ約束が「何時にログインしよう」なんだもの。

OYM:でもだからこそ、そんな子どもたちに届けたいメッセージがあった。

志村:コロナでの休校期間中、家にこもってゲームで遊ぶ。それは致し方ないところもあると思う。でも学校が始まって、友達とも遊べるようになった。しばらくの休校から明けたこのタイミングを、外に飛び出して新しいことを始めるきっかけにして欲しいと思ったんだ。それで、身近にこんなに素晴らしいフィールドがあると伝えたかった。

五感をフルに使う遊びをしてほしいなと。子どもたちと勉強していると、大人にはないすごい発想力に、しょっちゅう驚かされる。そういう発想力って、遊びの中で遊びの中でどう表現したらいいかわからない色や匂いに出合うことで培われると思っている。ゲームは枠の中の遊びだけれど、自然という、枠の外に出る遊びをしてほしい。まさに今回のタイトルの『EIGHT∞』も、無限大を示す文字にしているけど、これは子どもたちの無限の可能性にもかけているんだ。


八ヶ岳、マウンテンランナーを魅了してやまない山

OYM:今回のFKTチャレンジを決めたのはいつ?

志村:コロナが始まって学校が休みになってから。何か自分にできることはないかと。

OYM:今回は、八ヶ岳のFKTチャレンジでしたけど、八ヶ岳は裕貴さんにとってどんな場所ですか。

志村:山梨県民の自分としては、八ヶ岳は小さい頃からキャンプをしたり、スキーをしに行ったり、星空を見たりと自然と触れ合う場所だったね。

OYM:ではマウンテンランナーの志村裕貴にとっては、八ヶ岳とはどんな山?

志村:小さい頃は目の前にある山ひとつしか見ていなかったんだけど、マウンテンランナーの視点から見ると、八ヶ岳ってめちゃめちゃ面白い場所なんだよね。一言で語れない山。南は笹から始まり、岩場になって、急登あり、ガレ場あり、走れるところあり……と。そこから北に進むと、苔むした緑の森に変わっていき、命の息吹を感じる。その多様さが魅力的。定食ではなくて、好きなものだけを揃えたビュッフェみたいな感覚。いろんなサーフェスを楽しめるからね。

OYM:今回は南八ヶ岳から北に縦走し、そしてもう一回戻ってくるというルートでしたが、八ヶ岳の縦走自体はしたことがありました?

志村:全山縦走はやったことがあったけど、今回はなるべく登山者と接触をしないように迂回ルートもとった。王道ルートからは少し外れているところがある感じだね。


実感したFKTとレースの大きな違い

OYM:2020年は世界的にFKTが脚光を浴びた一年でしたけど、それまでFKTって裕貴さんにとってどんなものでした?

志村:今回のチャレンジ以前から、日本にはまだ根付いていない文化だなと感じていた。フランスのコルシカ島FKT(GR20)は多くのランナーにとって自身のレベルを確認する指標になっていて、ヤマケン(山本健一)も挑戦しようとしているわけだけど、そういうFKTの価値はまだ認められていないのかなと。

OYM:確かに、海外のバリバリのトレイルランナーはFKTを保持している人が多いですよね。キリアン・ジョルネしかり、〈OURAY100〉で終盤まで先頭を走っていたオレリアン・サンチェスもジョンミューア・トレイルのサポート無しFKT保持者でした。

志村:FKTによって、レースだけではない山の楽しみ方が増えるよね。

OYM:自身のFKTチャレンジを控えて、インスピレーションを受けた他のアスリートのFKTはありましたか?

志村:やっぱり、パウ(・カペル)の〈BREAKING 20〉は大きかった。FKTであれだけ世界から注目されるなんて。チャレンジ中はずっと見てたよ。キプチョゲの2時間切り(Ineos 1:59 Challenge)みたいに、どんどんペーサーが変わっていって……あのスタイルが主流にならないとは思うけど、レースがなくてもあんな挑戦ができるんだと思わされた。

OYM:今回の映像を見て、レースとは違うFKTの難しさもあるのではないかと感じました。「レースだと周りに流される」とも語っていましたが、レースとFKTの走り方の違いはどこにありますか?

志村:レースだと「誰かに勝とう」「目標の順位は」と強く意識する。反面、FKTはいつもの山に行く感覚に近い。友達と山に行こうぜ、というワクワク感だね。ヒリヒリするような緊張感とは違う気持ちを今回感じていて、それが心地よかった。

OYM:早くスタートしたくて仕方ない、のような?

志村:今回のチャレンジ自体が雨で何度も延期になったので、なおさらだね。昨年は長雨だったから、当初予定していた6月から8月まで結構日が延びてしまった。レースだったらその都度、モチベーションを保つのが大変だったと思うんだけど、今回は全くそれがなくて。開催日が延びたことでワクワク時間も延びていって。そこまでの準備過程が楽しかったんだ。レースとは違うよね。でも、もしかしたらレースでもそうやってスタートを楽しみに待てるようになれたら良いかもしれない。

OYM:その領域は、選手としてひとつ上のステージに登った感覚になりそうですね。

志村:今回、FKTを通じてその感覚に触れられたことはいい経験だったと思う。


100マイルレースは、守られている

OYM:フィルムの冒頭ではザックを背負うなり「重い!」という言葉が飛び出していましたが、装備の量も100マイルレースとは違う?

志村:全然違う。100マイルレースって、やっぱり守られているから。山の上に水が飲めるところがあって、ご飯だって無料で食べられるんだから(笑) 今回は、下山場所でしか補給はもらえなかったので、普段の山行装備でFKTに挑んだんだ。だからこそ、より山に対して責任を感じた。FKTは人に迷惑をかけてまでやるものじゃない。止めるなら止める場所とタイミングをしっかり見定める必要があるし、そこはレースとは違うところだね。すべて自己責任、だから難しくもあり、面白いところでもある。

OYM:序盤はかなりのハイペースで入ったようですが、走るペースはどう決めました?

志村:試走をする中で、これぐらいの斜度とサーフェスならこれぐらいのペースだろうと事前に見積もっていた。でも走り始めたら、だんだんと路面や標高にも慣れてきて、ペースが上がって行った。結果として設定タイムをどんどん上回るペースになった。


OYM:調子の良さも感じていた?

志村:すごく良かった。というよりも、走っていることが楽しくてしょうがなかった! 小学生の時の遠足みたいな感覚だったのかもしれない。1週間前からソワソワしてして。行ったら行ったでやっぱり楽しくて。

OYM:一方で、ヤマケンさんが加わってからの後半パートではかなり苦労した印象を受けました。

志村:ヤマケンと後半スタートしてすぐの八子ヶ峰〜蓼科で天候が崩れはじめたんだ。ジャケットの脱ぎ着を繰り返す中で疲労感が一気に出てきた。気温や雨によって自分の身体に変化が起こり始めて、辛くなってきた。


ヤマケンという偉大な存在

OYM:その後の消耗ぶりを見ると、中間地点でヤマケンさんと合流していたことが心身ともに助けになっていたと思いますが、ヤマケンさんとはそもそもどんな関係ですか?

志村:自分がトレイルランニングを始めたときからのスターで、憧れのランナー。今でこそ一緒に練習したり、クロカンを走ったりしているけど、そんな関係になるなんて正直思っていなかった。最初はただの憧れでしか無かったけれど、今は、おこがましいかもしれないけどライバルだと思っているし、いつか超えなきゃいけない背中だと思ってる。教員をしていた/しているという共通項もあり、切磋琢磨しあえる存在なんだ。

OYM:教員をしながらレース活動を続け、そしてプロになったヤマケンの立ち位置に、志村裕貴も刺激を受けているのでは。

志村:正直、プロ選手の練習時間を羨ましく思うことはある。プロになってから、ヤマケンが山と向き合う時間を増やしているのも見ているし。果たして、自分は今のままでこの人と戦えるのか、と不安感に駆られることもある。でも、「伝える」ということに関しては、今の自分だからこそできることもある。トレイルランナーとしてThe North Faceのサポートを受け、それでいて教員でいられることは自分の強みでもある。

「憧れであり、ライバル」である山本健一が後半パートのペーサーとして志村をサポートした

OYM:その辺の葛藤はヤマケンさん自身も長い間抱いていたものかもしれないですが、そういった点でもアドバイスされることはあるのでは?

志村:すごくある。冗談まじりに、「いつでも教員の辞め方を教えてあげるよ」と言われたりする(笑)

OYM:今回ヤマケンさんがペーサーを担当することになった経緯は?

志村:自分からお願いした。山梨の人と一緒にやりたかったのもあるし、自分の憧れにしてライバルでもあるし、夏も24時間超のトレーニングを一緒にこなして、お互いのことを理解しているので、頼りにできた。そばにいて欲しいと思う存在だから。

停滞することの辛さ

OYM:フィルムの後半は苦しむ志村裕貴の様子が描かれるわけですが、今回の辛さはどんなでしたか? 〈OURAY100〉では辛そうな場面を度々目撃してきましたが、あれ以上ですか?

志村:OURAYとは辛さの質が違う。比べられるものじゃないけど、ひとつ言えるのは、辛さというのは、いつだって辛いものだということ(笑) それにしても長時間の停滞は初の体験だった。身体中冷えながら、頭の片隅では「どこで止めるべきか」と考えながら再スタート。あれは辛かった。

OYM:その辛さはフィニッシュまで続いた?

志村:それに関しては大きなターニングポイントがあって。再スタートして辛さを感じながら東天狗岳まで登った時に、ふと周囲を見渡したら、夜なのに昼間の空に黒い絵具を塗ったような空が広がっていて。明るさがあるんだけど、黒。みたいな。月明かりが周りの山々を照らしていて。

その瞬間までは意識が自分にしか向いていなかったんだけど、はっとマインドセットされて。欲とか雑念が削がれていく感覚があり、そこからは一歩踏み出すことだけに集中できた。自分のやっていることを誇らしく感じたんだ。あの瞬間は大きな意味を持っていたと思う。

OYM:東天狗岳ではからずも、裕貴さんが子どもたちに伝えたいという「五感で自然を感じること」を自身でも実感したんですね。

志村:FKTはすごく楽しいと思いながら走っていたけれど、辛くなると周りの景色を楽しむことを忘れ、心も視野も狭くなっていた。そのことに自分では気づけなくて、教えてくれたのは自然だったね。「辛そうにしてるけど、どうしたの?」って呼びかけられた気がしたよ。東天狗岳から赤岳までは引き続き辛かったけど、辛さの質が変わったね。前に進みたいと思える辛さだった。

心に綺麗な受け皿が

OYM:辛い時間帯にも声をかけ続けてくれるヤマケンさんの存在もフィルムでは描かれていました。

志村:彼は常にニュートラルでいてくれたと思う。自分が辛い状況に陥っていても、それを悲観も、過度に応援するでもなく寄り添ってくれる感じで。映像にもあるけれど、東天狗岳で自分が前に進もうと辛さを引き受けたときに、「俺は半分しか来ていないのに、ヒロキはもうあそこまで行って、帰ってきてるんだね」って声をかけてくれて。単純な言葉だけど、それを聞いて「やってて良かった」と思えたんだ。

そういう言葉が響くのも、自分の中のいろんなものが削ぎ落とされていたからだと思う。辛さを受け入れて、周りの自然に触れて気持ちが切り替わっていたから、単純な言葉がスッと入ってきんだろうね。自分の心の受け皿がすごく綺麗になっていて、曇りなく受け止められたんだ思う。

OYM:その言葉を発したのがヤマケンさんだからというのもありそうですね。

志村:やっぱり近くて遠い存在だから、というのはあるかな。尊敬している人に、「お前にしかできないよ」と言われたらそれはやっぱり嬉しいものだよね。

FKTのフィニッシュ

OYM:レースと違って、派手なゲートもテープもないFKTのフィニッシュ。終えてみての率直な感想は?

志村:フィニッシュしてみると、こんなにも美しい自然に囲まれた山梨に生まれ育ったことが改めて誇らしく思えた。マウンテンランナーとして、純粋に山を楽しむという原点に帰れた気がする。そこにあったのは、ゴールではなくて、次の挑戦へのスタートなんだと思う。これから、どんな面白いことが待っているのか、どんな挑戦をしていこうかと考えるとワクワクが止まらないね。

OYM:今回の八ヶ岳FKTチャレンジは、やってよかった?

志村:正直に、やって良かったと思う。目標を見失いがちな世の中だけど、レースじゃなくても楽しめることはいっぱいある。プロ選手や甲子園球児にとっては綺麗事に聞こえるかもしれないけど、レースがないという現状は変えられないのだから、その状況の中で自分にできることを考えるのが大事だと感じたね。

OYM:FKTは、記録として樹立するもので、一度成し遂げたらあとは記録が破られるのを待つ状態になりますね。正直なところ、どんどん記録を更新して欲しい? 

志村:もちろんどんどん挑戦して欲しい。自分個人としては4-5時間の停滞があったことは心残りなので、またチャレンジしたい。でもそういうトラブルも含めて、山に入るということだよね。FKTと銘打たなくても、また八ヶ岳には行くよ。好きな山だから。

記録を破ってほしいという気持ちもあるけど、単純に足を運んでもらいたいなと思う。映像を見て、こんなところがあるんだと知ってもらえたら嬉しいな。

OYM:子どもたちへのメッセージとしても、伝わるといいですね。

志村:ちょうどこのフィルムの公開前に、保護者の方から、先生のチャレンジを子どもたちに伝えて欲しいと依頼されたんだ。それで先行して、元教え子たちに試写会をやって、いろいろ話をしてきたんだ。彼らはこの春に高校を卒業する世代。この状況で社会へと出ていく彼らに何か伝わるものがあればと願う。

子ども達にも私達にも無限の可能性が広がっている。何かを始めるのに遅すぎるなんてことない。自分の可能性を信じ、その一歩を踏み出して、新たなことに挑戦して欲しいと思う。この映像が、そのきっかけとなってくれたら嬉しい。

『EIGHT∞』

志村 裕貴

志村 裕貴

1986年山梨県生まれ。実家はブドウ農家。地元で開催された〈UTMF〉を目の当たりにしたことで山を走り始める。2018年〈HURT100〉7位、〈UTMF〉29位。2019年〈OURAY100〉4位。普段は小学校の先生として教壇に立つ。2020年八ヶ岳往還FKTを30時間52分26秒で樹立。
Instagram: @sim46_aozora