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21世紀の日本に、これほどまで鮮烈でアイコニックなマラソンランナーはいなかった。2度の日本記録樹立、ラストレースの東京五輪で「100%出し切って」引退。記録にも記憶にも残る第一人者が引退しておよそ2ヶ月で言葉には、走ることの愛と未来への提言が詰め込まれていた。その軌跡にはonyourmarkのこれまでのインタビューともリンクさせながら、彼の言葉を紹介する。

シューズ、そしてオレゴン・プロジェクトで大迫を支えたNIKE(ナイキ)のセットアップによるオンラインでの一問一答に大迫が臨んだ。(順不同)

東京五輪、札幌のレースについて

レース前は何を食べましたか?

「レース前日はうどんで、当日はカステラ。いつもどおりです。レース5時間前に起きて、食べて。時差も残っていたので、帰国してからは早寝早起き生活でした」

東京五輪のレースの感想は?

「自分の集大成。インタビューでは100%出し切れたとお答えしましたが、本当に出し切れたレースでした」

選手生活を終えての今の心境は?

「あまり実感がないというか……いつもマラソンレース後に休暇をとるのですが、いまはまだその延長線上にいるような気がしています。あとはありがたいことにSugar Elite kidsの活動で忙しくさせていただいて、いい意味で振り返る暇がありませんでした」

選手としてやり残したことは?

「追求し続けてしまってはきりがないし、どこかで一つの物語の終わりを作ることは大切なのかなと思いました。『終わり』とは言いましたが、自分が頑張ってきたことの延長線上にこのあとやっていきたいことが出てきています」

camp plus fishing

引退という決断

引退を決めたのはいつ?

動画で夏のレースを現役ランナーとしてのゴールとすることを発表しました。決断自体は、五輪の3・4週間前です」

引退を決めた理由は。なぜこのタイミングなのか。

「一大レースに向けて全力を尽くし、言い訳をする環境を捨ててオールダイブすることが自分にとってカッコいいいと思ったのがひとつ。そしてもうひとつは、アメリカやケニア、日本でいろんな方と知り合う中で、『これは陸上というフィルターを通じてやったら面白いんじゃないか』と新しい興味が出てきた。いろんなことをやりたい中で、今辞めるのが自分の中で一番きれいな形じゃないかなと思ったんです」

ランナーとしての人生

人生の分岐点は?

「アメリカに行ったこと。ナイキの方々の協力を得ながらも、自分自身で一歩を踏み出したこと。世界の見え方が大きく変わりました。もちろん大変ではありましたが、これやってみたらどうなるんだろうというワクワクの方が大きくて。いろんな人と出会い、刺激を受け、アウトプットできる仲間に恵まれるといういい循環が生まれました。あの一歩が大きかったと思います」

<大迫傑 関連インタビュー>
スピードを追い求める覚悟 大迫傑(2014年8月公開)

現役時代で一番思い出のレースは?

「東京五輪。現役最後のレースになりましたし、100%出し切れた。自分を100%肯定して終われたというのが大きかったと思います」

挫折の経験は?

「競技中というよりも、アメリカで初め全く英語が喋れなかったこと。銀行口座ひとつ開設するのにも6回も通いましたし。日頃の生活でタフになったかなと思います。練習や試合は自分が好きなのことなので、やりきれました」

現役時代の一番の支えは?

「こうなりたいという像、こうなったらどんな世界になるんだろう、楽しんじゃないかという期待感。もちろん陸上競技なので苦しいんですが、そういう期待に支えられ、それを掴みたくて全力で走ってきたと思います」

大きな怪我なく、安定的な成績を残した要因は?

「できる限りの無理はしますが、自分のキャパを超え過ぎないことがすごく大事だと思っています。自分を深く掘り下げないとその感覚はなかなか掴めないものではありますが。やらされている練習では、自分の身体と対話することがなくなるので故障が多くなると思います。自分主体でやっていくこと、ですかね。ぼんやりした回答ですが」

マラソン転向を決めたのはいつ?

「トラックを走りながら、いずれはマラソンを走りたいという気持ちはありました。でもトラックも頑張りたいと思っていて。リオが終わって次の年に丸亀ハーフを走ったらよく走れて、そこからコーチと話して急遽ボストンマラソンを走ろうと決まりました」

<大迫傑 関連インタビュー>
大迫傑 遙かな、その先を目指して。(2016年7月公開)
大迫傑 戦いを終え、次へ。(2016年11月公開)

マラソンランナーとしての自信を得たレースは?

「やはりボストンマラソンですね。始まりでもありますし。『本当に走れるのか』『そもそも42.195kmなんて走れるかな』と不安がありましたが、実際に走ってみると3位と予想以上の結果で。マラソンは僕の種目かもしれないと思いましたね」

<大迫傑 関連インタビュー>
大迫傑、フルマラソンへ。(2017年4月公開)
大迫傑、最高の高みに向かって。 ~ボストンマラソン2017を終えて~(2017年6月公開)

厚底シューズと大迫傑の歩み

シューズに関して。シューズの進化は自身に何をもたらしたか?

「最初にナイキ ズーム ヴェイパーフライ 4%が出た、そのタイミングで僕がマラソンを始めたことにもストーリーを感じますし、僕のマラソン人生をサポートしてくれたシューズでもあるので、思い入れが強いです。厚底・薄底問わずシューズは進化していて、それが選手のパフォーマンスを上げているのは事実です。でもNIKEの先を行く力はキャッチーでした。NIKE一強時代になって、急に高いところへジャンプした感じがありました」

初めて厚底シューズを履いた時の印象は?

「びっくりしました。ふかふかで。クッションがあるのに反発もあるシューズって無いと思うんですよ。あれだけ反発をもらって走れるシューズは他にありません。最初はこれでマラソンを走れるのかな? と思いましたけど。」

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履いてきた厚底モデルの中で思い入れのあるシューズは?

「どれも良いシューズですけど、ヴェイパーフライ 4% フライニットが出たときは『ここにニットを使うんだ』と思いました。そのシューズを履いて日本記録で走れましたし、あのニットは僕は結構好きでしたね」

<大迫傑 関連記事>
大迫傑選手が2時間05分50秒で日本記録を更新! 着用していたのはナイキズームヴェイパーフライ 4% フライニット(2018年10月公開

NIKEのイノベーションに対して、刺激を受けたことは?

「理念的なところでは、Just Do It.ですね。どこにもその理念が現れている。プロダクトにも。まずやってみて、挑戦してみて、ベストを追求する。さらにまたそこから挑戦をはじめて、というチャレンジ精神がある。それに刺激されて僕自身、いろんなことをやってきました。今回のSugar Eliteも、オリンピックの前後期間でしたけどまずはやってみよう、とモチベーションをもらいました」

ラストレースで着用したヴェイパーフライネクスト% 2の強みは?

「外側のコーティングされているところ(アッパーとソールの接合部)が良かったです。あとは全体的なバランスがいいです。僕はネクスト%、好きですね」

<大迫傑 関連インタビュー>
死闘を終えて 大迫傑自身が語るMGCの展開(2019年10月公開)

五輪に向けての練習におけるシューズの履き分けは?

「ジョグのときはペガサス、ちょっと速いロングランではナイキ エア ズーム テンポ ネクスト%。ハードワークアウトの後半ではヴェイパーフライネクスト%を履く、という感じです」

「走ること」の未来を見据えて

日本の選手が今後世界で戦うために重要なものは?

「陸上競技に限ったことではありませんが、世界で戦うことを考えると、チームの枠に囚われるのではなく、速くなりたい人が集まることができ、結果を出している人たちが集まって、切磋琢磨できるコミュニティが必要だと思います。僕自身、アメリカやケニアで戦う中で一人で競技をすることの限界を感じました。ひとつ僕ができるのは、その場をみんなに託すこと。みんなができるのは、大学などの枠を超えて強くなっていくこと。お互いにモチベーションになって、常に質の高いトレーニングをしていくこと。それが世界で戦う上で必要なことじゃないかなと思っています」

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企業や学校に所属する指導者の道に興味はある?

「コーチングに興味もありますが、それよりも、先程お伝えした『集まれる輪』を作れたらいいと思っています。企業だといい意味でも悪い意味でもその範囲内でできること・できないことがあると思います。僕はそこから一歩飛び出して走ってきた選手だと自負しているので、外から見て何をしなければいけないのかを提案し、その輪に伝えていく。そうした輪をうまく作っていきたいと考えています」

Sugar Eliteについて

「Sugar Elite kidsを全国10箇所で最近行いました。アスリートが競技をする中で学んできたことやスキルはたくさんあります。例えば、目標を細分化し、一歩一歩真摯に向かっていくこと。それはスポーツの価値だと思っています。その教育位的な価値を広めたい。僕自身が子どものころにそういう価値を知りたかったこともあり、『結果を残す』ということだけじゃないアスリートの2つ目の価値を表現・体現するプロジェクトです。Sugar Eliteのもうひとつの目的はトップ集団を作ること。さらには地域の課題をスポーツの力で解決していきたいというのもあります」

今後ランニングクラブの形態をとることもあり得る?

「チームというかサークルのような形になるかなと。企業や大学にうまく使ってもらって、こちらの情報を提供できればいいと思います」

選手時代と、走ることに関して考え方の変化は?

「走ることって、誰でもできる。許されるならいますぐにだって裸足で走り出すことだってできる。これは他のスポーツにはないものです。ランニングの素晴らしさを、改めて今回いろいろやらせてもらう中で感じました。もっと言えば、スポーツって素晴らしいと思うようになりました」

今後もいちランナーとしてレースを走ることはある?

「走ることは嫌いじゃないので、これからも楽しく走っていくと思いますね」

今後の日本記録はどこまで上がる?

「全然わからないですね。それを別に考えなくてもいいのではないかと。そこであえて限界を決める必要はないですし、行けるところまで行けばいいんじゃないでしょうか」

後進に期待をすることは?

「期待というよりは、一緒になって陸上界のみならず、スポーツ界を良くしていきたい。スポーツを通じて世の中の課題を解決していくということは、僕らみんなが持っているミッションです。僕はこれからはサポートする立場になりますけど、期待をするというより一緒になって頑張っていこうという気持ちです」

トラックとマラソン、どちらが好き?

「それぞれにも良さがありますが、マラソンで学んだこと、2017年からの5年間で学んだことはすごく多いんです。長く走ること。そこで気付かされることの素晴らしさは何事にも代え難いと思います」

インタビューは代表回答の形式で2021年9月28日に行われた。大迫傑という稀代のランナーがこれからの「走ること」をどう楽しくしてくれるのか。この俊英からは、まだまだ目が離せそうにない。

大迫傑(おおさこ・すぐる)

1991年5月23日生まれ、東京都出身。早稲田大学スポーツ科学部 卒業。ナイキ・オレゴン・プロジェクト所属。2016年リオ五輪10000mで17位に入った後、マラソンに転向。初マラソンとなった2017年ボストンマラソンで2時間10分28秒の3位、2018年のシカゴマラソンでは日本記録(2時間05分50秒)を樹立。2019年マラソングランドチャンピオンシップでは3位(2時間11分41秒)となるも、2020年東京マラソンで2時間05分29秒という当時の日本記録を改めて樹立し、東京五輪代表に。2021年東京五輪では日本人トップの6位入賞(2時間10分41秒)を果たし、現役を引退した。
自己記録 
3000m:7分40秒09(日本記録)
5000m:13分08秒40(日本記録)
10000m:27分36秒93
ハーフマラソン:61分01秒
フルマラソン:2時間5分29秒