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精霊ミシャグジ
いつとも分からないくらい古い時代、日本列島には樹木や石に宿る精霊がいました。その精霊は狩猟採集の時代から稲作の時代に移り変わる頃に「ミシャグジ」 という名前で呼ばれるようになったと言われています。子供や胎児のような姿をしていると考えられた精霊ミシャグジは列島に広く存在して、現在でもその信仰の痕跡が石神井(シャクジイ)とか宿(シュク)、石神(イシガミ)という地名として残されています。

ミシャグジ信仰の聖地、守屋山
長野県にある諏訪大社はミシャグジ信仰の一大聖地とされています。一年の間におこなわれる様々な祭の中で、ミシャグジが今でも重要な役割を担っているので す。その諏訪大社の信仰の根源地が、諏訪湖の南方に位置する守屋山です。この山の神であるモリヤ神はミシャグジと同体視され、それを祀る者が守矢一族でし た。

征服される先住民の神話
諏訪は古事記に記された国譲りの神話の舞台ともなっています。朝鮮半島から渡来してきたと考えられている天皇一族の神「天つ神」が、日本列島の先住民で あった「国つ神」に国を譲るように迫り、州羽(すわ)まで追い詰め「此の地を除きては他処に行かじ(もうこの土地の外には出ません)」と誓わせ服従させたという神話です。この神話は実際の出来事を元に作られたものと考えられており、先住民だった守矢一族を「逆賊モリヤ」と呼び服従させた天つ一族が諏訪氏であり、この辺り一帯を政治的にも宗教的にも支配したのでした。

神の化身、大祝
諏訪氏は諏訪を支配するにあたり、一族の中からこの地域の祭で神の化身の役割をする「大祝(おおほうり)」という幼い子供を輩出することになりました。祭を執り行う守矢氏がミシャグジを大祝に寄り憑かせることによって、この地域の人々は自然、宇宙との繋がりを持つことができたのです。

一つ目小僧伝説
大祝は精霊と交渉を持つ為に心身を常にトランスできる状態に保つ必要がありました。その為に大祝は一年のほとんどを光の射さない小屋の中に閉じ込められて過ごさなければなりませんでした。また大祝は性の欲求のない幼い子供でなければならず、成長して大祝を務められなくなった時に殺害されたと言われています。このように神や精霊につかえる者がその役割を終えた時に殺害される習俗は、かつて日本列島に普遍的に存在したと考えられ、その役割を担う者はある時に は片目を潰されたり、片足を切り落とされたと推測されています。民俗学者の柳田国男は日本各地に広がる「一つ目小僧」の伝説は、そのような片目を潰された神や精霊につかえた者たちの零落した姿だったのではないかと考えました。そう考えると、諏訪氏はこの土地を支配する代償として、一族の中から大祝を神や精霊に差し出す事になったとも言えるでしょう。

死霊の山
ミシャグジの宿る守屋山は、かつて森山と呼ばれていました。縄文文化の色濃く残る東北では大森山や黒森山など「モリヤマ」と名のつく場所は死者の埋葬地でした。山形では夏にそのような山でおこなうモリ供養という儀礼があり、「モリ」という言葉が「亡霊(モウリョウ)」「祖霊」を意味していると伝えています。連載第一回で書いたように、そのよ うな集落から近い死者霊の集う山はハヤマとも呼ばれました。守屋山・モリヤマも諏訪湖をのぞむ集落から見てハヤマにあたる山でした。

自然の中に偏在する精霊
先にも書きましたがミシャグジは守屋山だけでなく、日本列島のいたるところに存在した古い由来を持つ精霊でした。東北地方や関東には諏訪と同じように石棒が祀られている祠を多く見る事ができます。ミシャグジはその音の響きから杓文字(シャモジ)の信仰にも姿を変え、柳田国男が博物館に保管されていた東北地 方の女性が祀っているオシラサマという布に包まれた神様の布を解いてみたら、中から杓文字が出てきたという話もあります。

芸能の神
このようなミシャグジでしたが西日本では社会の中から姿を消してしまいます。そして芸能者や職人といった卑賤視されていった人々の手によって「宿神(シュクジン)」と名を変えてひっそりと祀られていきました。神や精霊に訴えかける言葉からウタが、その時の所作から舞が生まれたように、芸能は人々が自然と向 かい合った時に生まれてきたものです。また職人の技術は自然の中から豊かさを取り出すワザでした。西日本ではそのような自然と直接繋がりを持つ人々が差別され闇に追いやられてしまったのです。

海を渡ってきた穢れ
僕は神道や仏教が日本列島に渡って来る以前の山伏の姿に関心を持っています。その頃彼らの事は山伏と言わず、日知りという名で呼ばれていました。神道や仏教が日本列島に持ち込んだものが 「穢れ」という概念でした。肉食や血や死を穢れたものとして社会の中から排除しようとしたのです。前回書いた僕が関心を持っている山中で狩猟をしていた 「エトリ法師」という山伏や日知りの仲間が、後にエタと呼ばれるようになったとも考えられています。また東北などで猟師を意味する山立という言葉が、京都では山賊の意味になったり、東日本で自由の象徴である商人の「連雀(れんじゃく)」という背負いカゴは西日本では差別の対象とされました。

縄文的、弥生的
諏訪は縄文文化の盛んな土地でしたが、弥生系の勢力に支配されてからは東北の先住民を侵略する拠点ともなりました。縄文的なものと弥生的なものの葛藤を生々しく残す土地と言う事もできるでしょう。現在はレプリカが使われるようになりましたが諏訪の祭ではおびただしい数の鹿やウサギなどが狩られて供物とされます。弥生的な感覚で動物を狩ることを穢れと考えるようになってからも、諏訪ではその穢れを浄める呪文が創作され、全国の猟師に伝えられもしました。現 代の社会からは隠されて見えづらくなってしまった「死」がこの土地では濃厚な気配を漂わせています。生き物を殺害して食べなければ人は生きていけないように、生とは死によって成り立っているものです。僕たちの生活している社会は奇麗なものばかりが溢れ、死が排除されてしまっていますが、そんな状況がとてもいびつなもののように僕には思えます。諏訪という土地と自然は僕たちの文化の足元がどのようなものに繋がっているのか思い出させてくれます。諏訪のモリに 足を運べば、ミシャグジがきっと僕たちが訪れるのを待っていてくれるはずです。

【僕たちと山 アーカイヴ】
♯01 仙元山(神奈川県・葉山町)
♯02 大山(神奈川県・相模国)
♯03 肘折(山形県・月山)
♯04 日光山(栃木県・日光)

(文 /イラスト 坂本大三郎)