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房総の山
房総半島に標高の高い山はありません。ですが山がない訳ではなく首都圏近郊の人の手が入りすぎた公園のようになってしまった山よりも、人目に触れなかったためにかえって野生を感じることができる豊かな自然が残されている山がたくさんあります。それにこの連載では標高の高さが基準ではなく、人の営み・文化との関係の中で生まれてきた場所を「ヤマ」としてみてきました。

モリヤマ
東日本には多くのモリヤマという山があります。古代にはモリやヤマはハッキリとした区別のない言葉だったそうです。そういったモリ・ヤマは死者の魂が集う場所であり、生命がやってくる場所、生と死が循環する場所でした。前回の諏訪信仰の根源地だった守屋山の古名も「森山」であり、その祖霊の集うモリヤマに宿るのがミシャグジという精霊でした。

房総のミシャグジ
石棒や樹木としてあらわされることが多かったミシャグジ信仰のあった土地は、時代の移り変わりと共にミシャグジが石神井(シャクジイ)と呼ばれる様になったり、宿・夙(シュク)という地名に変化し俤を留めていました。千葉県の君津市にある水田や田畑、鬱蒼とした森に囲まれた三島神社にも石棒が祭られています。60センチほどの男根のような、生命力の象徴とされたであろう石棒です。前回ミシャグジについて書いた時に、この石棒のことが思い出されて「そういえば三島神社のある土地の名前は何ていっただろう?」と調べてみたところ「宿原」という地名でした。

シロ
この三島神社の近くの山には白い沢ガニが棲むという言い伝えがあります。実際に近くの「清和県民の森」に足を運んでみると、道路脇の水路に白い沢ガニの姿を見つける事ができました。また近隣の神社の境内にも白い二匹のタヌキの兄弟が住み着いています。三島神社の周辺はそのように奇妙な土地なのです。しかし神社の前の参道の横には無粋なプレハブが建てられ「パワースポット」と大きく書かれて地元の野菜などの直売所として使われています。古い俤を残していた参道も数年前に壊され、そこに祀られていた仏像も移動させられてしまい、黒々としたコンクリートが風景に溶け込むこともできずに目に飛び込んできます。白タヌキの兄弟が暮らす古い境内も建て直す計画があるそうです。

最も大きな学問
民俗学者の柳田国男は「新しい未来を開いて行くものの最も大いなる学問は、自分の生活に数千年の根があるということである」として、その「大いなる学問」とは生活のすぐそばにある文化のことだと述べました。しかしその文化は身近にありすぎたために見落とされ、忘れ去られてきてしまったと嘆いていました。房総の三島神社の件も、そのような身近な文化にある大切なものに気がつけなくなってしまった現代人の感性の弱まりを感じてしまいます。房総半島の市原では、季節の変わり目の祭で集落の境にたてられ、共同体を護ると考えられていた飾りのついた柱が、本来は朽ち果てるまでそのままにされていたのに、気味が悪いという理由で数日で取り払われるようになってしまいました。

未来のヤマ
未来は過去がなければ形づくられません。哲学者のキルケゴールは過去を反復させることによって現在という時間が成り立っていると述べました。僕たちのすぐ近くにある豊かな過去を無視してしまっては、これから作られていく現在・未来は味気ないものになってしまうのではないでしょうか?今急速にかつての文化が失われていっていますが、僕は失われゆく文化を、もう一度しっかりとつかみとりたいと思っています。その鍵となるものこそが「ヤマ」なのです。

ミカワリ
「山には文化が蓄積される」「山には古い日本人の姿が残っている」と民俗学や人類学では言われます。社会の中で「ヤマ」が文化を包み込み保護する構造になっているのです。例えば房総の館山にある丘の上にたつ安房神社にはミカリ神事という祭があります。安房の一宮とされる安房神社ですが、元々は仏堂だったとも考えられ、そこでおこなわれるミカリ(神狩り)神事は現在では神が狩りをしたという意味にとられていますが、本来はミカワリ(身変わり)という意味がありました。季節の変わり目に家やお堂に籠ることによって神を迎える様に身体を作り変えるのでミカワリなのです。ミカワリ神事でお籠りをした後、村にはミカワリ婆さんという妖怪があらわれると言われていました。ミカワリ婆さんとは神を迎えた巫女の姿が時代と共に妖怪の様にみられていったものだと考えられます。

こもり
籠りによって神を迎える儀式をおこなうことにはとても古い由来があります。安房神社の敷地内には古墳時代の洞窟が発見され人骨も出土していますが、世界に目を向けてみれば洞窟に籠り自然と向き合っていた痕跡は、ラスコーの洞窟、ショーベ洞窟、アルタミラ洞窟などの数万年前に描かれた洞窟壁画にもみることができます。

ヤマとウミ
季節の変わり目に籠り、神を迎えるミカワリ神事のような儀礼は、安房神社だけでなく房総各地や東京湾沿岸、伊豆諸島にもみることができます。そこには黒潮にのって移動してきた海の民の姿を想像する事も出来ます。房総はヤマとウミのつながりを生々しく感じとることができる土地ということもできると思います。そもそも房総半島はかつて市川のあたりに大きな湿地帯があった為に、その名の通り「島」のような土地でした。現在では関東平野として房総一体は平坦な土地の様にしか思われていませんが、そこに時間の流れを加えて考えてみれば、これまでとまったく異なった土地の姿をみることもできるのです。

僕たちと山
冒頭に書いた様に、房総には標高の高い山はありません。でも、僕たちの文化と深く繋がりを持ったヤマは豊かに存在しています。山らしい山がないからこそ、かえって生活と共にあったヤマを再発見できる可能性をふくんだ土地なのかもしれません。どこか遠くの山ではなく、僕たちのすぐ傍にあるヤマに気がつくこと。それがこれからの「僕たちと山」との関わりとして大切なものになっていくのではないかと思います。今回でこの連載は最終回になります。まだまだ山の文化については語り尽くせませんが、このあたりでとりあえずの終わりとさせて頂きたいと思います。ありがとうございました。

【僕たちと山 アーカイヴ】
♯01 仙元山(神奈川県・葉山町)
♯02 大山(神奈川県・相模国)
♯03 肘折(山形県・月山)
♯04 日光山(栃木県・日光)
♯05 守屋山(長野県・諏訪)

(文 /イラスト 坂本大三郎)