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峡谷の底に佇む静かな町 ウリケ

2013年2月27日メキシコ山岳時間の午後4時頃、ぼくたちはメキシコ北部コッパー・キャニオン(銅峡谷)の谷底に張りつくように佇んでいるウリケの町に到着しました。日本からは飛行機3本、鉄道、チャーターした車を乗り継いでの長い長い移動。途中チワワ鉄道起点の町ロスモチスでの一泊を挟んでいるので、丸二日をかけてここにたどり着いたことになります。

全長653kmのチワワ鉄道 海側のロスモチスから目的地のバウイチーボまでは約6時間の旅

食堂車は西洋料理中心だが 当然オーダーするのはメキシカンフード

バウイチーボからはチャーターした車でコッパー・キャニオンへ 50kmほどの距離を悪路のため3時間以上かけて

峡谷を見下ろすポイントで歓声をあげる一行 今回は日本から個性的な8人のランナーがこの地を目指した

日本から見たら地の果てのように感じるこの町にやってきたのは、4日後に行われる50マイル(約80km)のトレイルレースに参加するため。ウルトラマラソン・カバーヨ・ブランコと名付けられたこのレースは、書籍『BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”』の中で、その破天荒な立ち上げの物語と第一回レースの模様が描かれた、この本の読者にとっては憧れの舞台です。

物語の中で描かれるコッパー・キャニオンは、人を寄せ付けない荒涼とした峡谷地帯で、麻薬組織と毒蛇が跋扈する恐ろしい場所。しかし、目の前に広がるウリケの町は乾いた気持ちよい風が流れ、緑をたたえた街路樹は所々花をつけています。

到着するなり、通りを歩く外国人ランナーから声をかけられました。

「ようこそウリケへ。君たちもランナーかい?オレはエル・セルベッサ(ビール)だ」

自己紹介してきた男性が、早速ここの事情を説明してくれます。メイン通りを端から端まで歩いても数分のこの小さな町、この時期に集まってくるのはレースに参加するランナーばかりで、あっという間に顔見知りになってしまうようです。彼らが滞在するのは町外れにあるアントレ・アミーゴスというキャンプサイト。訪ねてみると力強く育った野菜や果樹に囲まれた美しい場所でした。ここはある種のコミューンのような趣で、この土地に住み着いた外国人が畑を耕し、コテージを建てて住み着いた場所。なんと瑞々しい野菜はだれでも自由に収穫できるそうです。ここに滞在する外国人ランナーたちを見ていると、今回のレースが単なるトレイルランニングの大会でないことはすぐにわかります。彼らの足元を見ると多くの人がワラーチと呼ばれる現地のサンダルや、それに着想を得て作られたルナ・サンダルを履いているのに気がつきます。ランニングをカルチャーとしてを自分の生活に取り入れ、このコッパー・キャニオンに住む走る民族=タラウマラ族(彼らは自らを誇り高く”走るひと”=ララムリと自称しています)の文化を尊重しているランナーだけが集まってきているのです。この土地の隔絶された環境が、そうした思い入れのあるランナーだけを受け入れるフィルターの役割をしているのでしょう。いきおい、集まったランナーの絆は深まる訳です。

到着するなり声をかけてくれたエル・セルベッサ(左)とタイラー(右) 彼らとはこの後も度々顔を合わせた

アントレ・アミーゴスの庭には野菜や果樹、サボテンが整然と植えられている

力強く育ったホウレンソウを頂く

BORN TO RUN の登場人物に出会う

翌日からレースまでの3日間は主催者側がアクティビティを用意しています。我々にとっての初日に用意されていたのはコースの南側で最難関とされているララーヤ橋からアリソスの果樹園までのハイク。その前にまずは腹ごしらえということで向かった先は、”ウリケにはレストランは一軒しかないが、ママ・ティタが切り盛りしているかぎり、一軒で十分だ”(BORN TO RUNより)と著者のマクドゥーガルも賞賛しているママ・ティタの店。中に入るとママ・ティタその人がピノーレを用意してくれていました。

ピノーレとは、タラウマラの人々にとってのエナジードリンク。本の中でも魔法の飲み物として登場します。トウモロコシの粉をお湯で溶いたものですが、ほんのり甘く、日本の甘酒のような味わい。ママ・ティタの店ではシナモンスティックを入れて、風味を出していました。一同はママ・ティタ本人から幻のピノーレを受け取って、物語の中にぐっと入り込んだ気分になったのです。

食事はトウモロコシの粉で作ったクレープのようなメキシコ料理の定番トルティーヤと豆を煮込んだフリホーレス、テーブルには自家製のサルサソースが置かれています。滞在中はほぼこの料理のバリエーションが続きましたが、体調はすこぶる良く、レース前の調整にぴったりのメニューだったのです。

食事を終えて表に出ると、すでに装備を身につけたランナーが通りにあふれています。すると、Nikonのカメラを携えたランナーに声をかけられました。ぼくたちを撮影するために立ち位置や目線を指示する的確な動作から、もしやと思って聞いてみると、そう、2006年のレースに立ち会い、当時世界最強のトレイルランナーだったスコット・ジュレクとララムリの英雄アルヌルフォを同時にカメラに収めたフォトグラファー、ルイス・エスコバーだったのです。ママ・ティタの店でピノーレを飲んで、ルイス・エスコバーに写真を撮られる、完全にBORN TO RUNの世界に入り込んだ瞬間でした。

ウリケ一番のレストランを切り盛りするママ・ティタ

タラウマラ族のエナジードリンク『ピノーレ』はトウモロコシの粉から作られる

ルイス・エスコバーに撮られているのはオフビートランナーズ#01に登場した小松さん

石川弘樹選手とカバーヨ・ブランコ

ララーヤ橋へと向うピックアップトラックが出発しようかというところで姿を現したのが石川弘樹選手でした。2008年と2012年、2回に渡ってこのコッパー・キャニオンを訪れ、レースに参加してきた石川さん。今年も急遽、TVの取材で現地入りすることになったのです。ウリケでもエル・ドラゴンという愛称で親しまれ、今回のレースでも活躍が期待されています。ぼくたち一行にとっても事情を良く知る石川さんの現地入りはとても心強いものでした。石川さん、ルイスとトラックに便乗して目的地へ向かう道すがら話を聞きます。

「随分道も広くなったね。今までは無かった橋も作られている。このトレッキングにしても去年まではララーヤ橋まで歩いて行ったんですよ。カバーヨが亡くなっていろいろ変わってきているのかもしれませんね」

カバーヨとは、このメキシコの僻地で行われるレースを企画し、その執念でスコット・ジュレクを巻き込み、国際レースへと育て上げたオーガナイザー。長年コッパー・キャニオンに住み着き、ララムリの信頼を勝ち取って、海外の選手とミステリアスな峡谷の民が肩を並べて走る機会を生み出した人物です。残念ながら昨年の3月、トレイルに走りに出たまま病に倒れ、帰らぬ人となってしまいました。今年は、彼の功績をたたえる記念レースとして、従来のコッパー・キャニオン・ウルトラマラソンからウルトラマラソン・カバーヨ・ブランコへと名前を変えて行われる最初のレースなのです。

プロ・トレイルランナーの石川弘樹さんは3度目のコッパーキャニオン来訪

ママ・ティタのレストランに飾られたカバーヨ・ブランコのポートレート 彼はいつもこの店先でビールを飲んでいた

土ぼこり舞うガレたコース

この日のトレッキングのスタート地点の吊り橋は実際のレースでは40km地点にあたります。ここからしばらく川沿いを進み、このレースで一番キツいといわれているつづら折れの登りを繰り返し、折り返し点である9km先のアリソス居留地の果樹園を目指します。乾いた空気の中を容赦なく照りつける日差しも、寒い日本の冬から来たぼくたちにとっては今のところ心地よく感じられます。トレッキングの一行はいわゆる試走のようにガツガツ走るというよりは、談笑しながらゆっくりと緑のトレイルを進んで行きます。川沿いから分岐して枯れた河床に入り、角が取れた丸石を踏みしめながら苦労して進むと、いよいよぐっと急角度の登りとなるトレイルの入り口が見えてきました。登りは赤銅色をしたパウダー状の砂の中に大きめの砂利がゴロゴロと転がるガレたトレイル、一歩踏み込む毎に土ぼこりが舞い上がります。ぼくたち日本人のグループは息上がる外国人選手たちを尻目にトルクをかけてグイグイ登って行きます。

「これが一番キツいエリアでしょ?日本のトレイルに比べたら大したことないね」と軽口を叩きつつ、やはり身体が大きく、フラットなコースに慣れた北米のランナーはアップダウンに弱いのかもしれないななどと考えていました。最初の山を登りきり、下りに入るとみんなでびゅんびゅん飛ばして走り始めます。その勢いのまま登りも走れるところは走り、時差ぼけや長距離移動の疲れを抜いて行きます。するとあっという間に折り返し点の果樹園に到着。枝から直接もぎ取って口にするグレープフルーツは程よく疲れた身体に染みていきます。難関といわれる場所をすっと走りきってしまって、ぼくたちの中ではこのレースはフラットな高速レース、難関エリアも余りたいしたことはない、というイメージがなんとなく植え付けられてしまったかも知れません。これが大きな誤りであることは、後のレースで気づくことになるのですが。

ララーヤ橋を渡ったその先アリソスの果樹園まではコース最難関

想像していた以上に緑の多いトレイルを抜けて進む

ここまではみんなに合わせてトレッキングモードの石川さん この後は気持ち良く走り始めた

カバーヨ思い出の場所アリソスでの追悼式

到着したアリソス居留地は背の低いグレープフルーツの木立が陰を作る清涼な場所。心地よく感じられるのは日陰がある為だけではなく、この土地になにか回復を促すような力があるからだと感じられます。その証拠にここはカバーヨのお気に入りの場所であったようで、度々ここを訪れては静かな一日を過ごしていたそうです。今年からレースのオーガナイザーを務めるマリアはカバーヨのパートナーだった人。彼女からカバーヨとの思い出が語られ、彼の遺灰の一部が彼の愛したこの土地に撒かれました。

参加した年齢も性別も国籍も違うランナーたちは、輪になってその様子を厳かに見守ります。カバーヨ・ブランコという無名のグリンゴ(北米アメリカ人)が、この土地と人類最強の”走る民族”を深く愛し、熱狂的な情熱でレースを実現したこと。その物語が本となって世界に広まったこと。そしてそれを読んだ世界中のランナーが、こうしてこの地の果てのような場所に集まってきたこと。そうした全てが”走る”というシンプルな糸一本で繋がって、この瞬間が成り立っていたのでした。

アリソスで振る舞われるグレープフルーツはレース本番でもランナーの身体を潤してくれるはず

カバーヨの追悼式典で抱擁する主催者のマリアと石川さん 立ち上げ当初の想いを知る物同士

『sports travelling メキシコ コッパー・キャニオン #02 ララムリと出会う』
『sports travelling メキシコ コッパーキャニオン #03 灼熱の50マイルレースに挑む』

trailrunner.jpでも山田洋さんの旅の記録が掲載されています。併せてご覧下さい。
#1 ララムリの里、ウリケの町
#2 ピノーレの秘密とララムリの食事

3月18日 岩本町のOnEdropCafeにてレースに参加した8人のメンバーのクロストーク形式でCopperCanyon報告会が行われます。onyourmark編集長松田も参加して、記事に掲載しきれなかった写真やエピソードを披露します。是非ご参加ください。

追記:イベントのお申し込みは好評につき定員に達したため、閉め切らせて頂きました
『Are you BORN TO RUN?』#5 CopperCanyonにいってきた!
日時:3/18(月)
時間:開場19:00 開演20:00(23:00終了予定)
場所:OnEdropCafe 千代田区岩本町2-9-11 (http://www.onedrop-cafe.com/access)
会費:無料
※無料イベントですがOnEdropCafeへの1オーダーを頂戴します。
※お食事等もご用意していますので飲食しながらお気軽にお楽しみ下さい。
※通常のAre you BORN TO RUN?とは異なりカジュアルに交流できるスタイルでお届けします。
トークゲスト:CopperCanyonに行ってきた8人の日本人達
進行:松島倫明

■主催:Run boys! Run girls!
■協力:OnEdropCafe. / 走る.jp

(写真・文 松田正臣)