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2021年3月末日現在、ハーフマラソンの日本記録は1時間ちょうど。この記録を打ち立てたのが小椋裕介だ。かつて「青学四天王」と称され、箱根駅伝における青山学院大学の初優勝に貢献しひとつの時代を生み出した彼は、自らの立ち位置と進むべき道のりをしっかりと見据えている。

2020年の丸亀ハーフにおいて、1時間0分0秒という日本新記録を樹立した小椋は、その時のことを「続くフルマラソンの準備」として走ったと述懐する。そしてその言葉通り、翌月の東京マラソンで2時間7分23秒という自己ベストを叩き出し、先頃開催されたびわ湖毎日マラソンでは2時間6分51秒という、日本歴代十傑入りを果たす好記録でフィニッシュ。着実にトップランナーとしての地位を築き上げている。


“小椋ならやるだろう”

山に囲まれた北海道士別市出身。生まれ育った町ではマラソン大会を毎年のように走る幼少期を過ごしたが、決して足が速い方ではなかったという。そんな彼がハーフマラソンで日本記録を出すほどのランナーになるとは、誰が想像しただろうか。しかし、地元の友人たちは「小椋ならやるだろうと思っていた」と驚かなかったという。

「地元は積雪が多く、除雪しないと人が歩けないような場所です。中学校では野球部に所属していましたが、その練習に先立って、朝に自分ひとりで校内を走り回っていたんです。僕がぐるぐると走った後に道ができるので、そこを通ってまず校長先生、その後に生徒たちが登校していました。みんなからは『頭がおかしいくらい走ってる』と思われていたんじゃないでしょうか」

北海道で最速のランナーとなった小椋の進学先は、青山学院大学。まだ箱根駅伝で常勝校となる前である。1年生からメンバー入りを果たすと、一貫して7区を走った。2年生では区間2位、そして3年生で区間賞を飾るとともに、同校初の総合優勝に貢献。4年生でも7区・区間賞と総合優勝。名実ともに、最強校となった青学を代表する選手となった。

無類のランニングウェア好きでもある小椋がこの日着たのは〈HERENESS〉のウェア。天然素材メリノウールのトップスとサトウキビ由来の生地を使用するショーツなど着心地とサステナブルを両立している。

メディアで明るくスマートに振る舞う青学ランナー。その力走とのギャップも印象的で、箱根駅伝に巻き起こった青学ブーム。その渦中にいた小椋は、しかし世間が思うよりも実直な青学陸上競技部の姿を思い返す。

「青学はチャラい、と見えたかもしれません。メディアで喋る機会が多かったですから。でもやっていることはどこの大学よりも厳しかったと思います。4年間誰1人として門限を破ることはありませんでしたし、監督の命令ではなく選手同士で決めたルールをみんなが守っていました。普段がきついからこそ、人前に出る時は明るくやる、というメリハリが生まれたんだと思います」

ランナーは走り以外もできて当たり前

青学で過ごした4年間は、小椋のランナー観の形成に大きな意味をもたらしたと言えそうだ。実業団選手としての活動にもメディア露出を意識したり、Stravaでデータを積極的に公開したりと、見られることに意識的でもある。

「実業団選手として、内に籠るのではなく、いろんなメディアや市民ランナーの方との関わりをできる限り増やしていきたいと思っています。もちろん結果は出さないといけませんが、別のことをやっていたから結果が落ちるというのは昔の考え方だと思います。ランナーは走ることができて、それ以外のこともできて当たり前、そんな時代にならないといけない。引退後に、走ること以外できません、というのでは本人のためにもならないですし、そういうランナーだけを育成するのはチームの責任になる。いち社会人としてアスリートは成長していくべきだと考えています」

2020年は、2月にハーフで日本新記録樹立、3月の東京マラソンで当時のフル自己ベスト、7月に5000mの自己ベスト、12月に10000mの自己ベストと、軒並み記録を更新するブレークスルーな一年になった。その躍進があっても、本人は自分の立ち位置を冷静に見ている。


「2019年から取り組んでいたウェイトトレーニングが、2020年の成果につながったと思います。シューズの進化もありますし、陸上界のレベルも上がっている。自分が目指していた目標タイムをみんなが簡単に突破してしまう。それならもっと上を、と目指す中で、自分の自己ベストも上がっていったと思います」

今もその進化の途上にあることは、2021年2月のびわ湖毎日マラソンでの自己ベスト更新(2時間6分51秒)が示している。本人はその成長を実感しているのだろうか。

「普段の走りの中では、自分が伸びているか掴みづらいのですが、レースになるとそれが見えてきます。昨年の東京マラソンと今年のびわ湖で、30km通過時の精神的な余裕が全く違いました。実際のレースで強くなってると実感しますね」

高速化する日本陸上界 小椋の分析

しかし小椋も語るように、自身の成長と同じくらい、あるいはそれよりも先をいく周囲の選手の成長もある。びわ湖で小椋が自己ベストを出した一方で、レースの先頭では鈴木健吾(富士通)が日本記録を樹立していた。同世代の選手たちの伸長をどう見ているのだろうか。

「マラソンでは特に、昨今のギアの進化の恩恵が大きいと思います。今まではペースメーカーも3分/kmペースが一番速かったのですが、今では選手も大会側も2分58秒/kmでもできるとわかっている。今回のびわ湖も、ハーフや30kmまではみんなが2分58秒ペースで行ける。そういった状況が繰り返されると、集団のメンタル的に『3分は遅い』となる。そんな風にどんどんレベルが上がっているのではないかと」


周囲のレベルが上がっていることは、ハーフ日本記録保持者としては、追われるプレッシャーにもなるのではないだろうか?

「今は日本記録保持者という称号が自分の手元にありますが、いつ誰が破ってもおかしくない記録。よく一年もったなというのが正直なところです。誰かが59分30秒で走っても全く驚きません。今はたまたま自分が一番速いですが、それこそ相澤(晃)選手や大迫(傑)選手がハーフに焦点を合わせてきたら、日本人でも59分30秒はいけると思います。誰かひとりが59分台を出したら、59分台に到達する選手が続々と増えるのではないでしょうか。自分自身でもまだまだ60分フラットが限界ではないと思っています」

フルマラソンでも日本歴代9位までタイムを伸ばしてきた。自己ベスト2時間6分台の選手には、記録はもちろんのこと、レースで勝つための走りもまた求められる。小椋には理想的な勝ち方のイメージがある。

「理想の選手像としては、レースメイクができて、それでいて勝つ選手ですね。僕はどちらかというと人の力をうまく使って最後に前に出て勝つタイプのランナー。フロントランナーでそのまま逃げ切るというのは本当に実力がないとできない。そういう力があるといい」


ラクに勝てるならそっちの方がいい

ランナーとしての理想像は、近づくとまた遠ざかるジレンマもある。

「マラソンで6分台、5分台を目指すという自分の目標は過去のものになりました。今後は4分台を目指すメニューにしないといけない。精神的なところで勝負所を見極めて、ここだ! というところで前に出て引き離す走りを。今回(びわ湖)は勝負所であえて退く判断をしましたが、その見立てが甘く負けたので、判断に自信を持てるように準備していきたいですね」

この日は、チームの朝練習終わりにインタビューをさせてもらった。毎日、早起きをして走る。実業団選手である彼にとってのルーティンだが、走り続けることは決して容易ではない。

「できることなら寝ていたいですよ。でも朝に走るということに意味があります。起きたての身体は枯渇していて、水分もエネルギーもありません。その状態で走るのは、追い込んで自分の身体にダメージを与えるのに効率がいいので、朝練習の意味はあると思います。

布団を出るのはいつだって辛いです(笑) ラクに勝てるなら絶対にそっちの方がいいと思います。ただ、それができないからキツい練習を積んでいるという。ラクしていると勝てないので。そういう気持ちです」


あんな拍手、二度と浴びたくない

これまで数々のレースを走ってきた小椋に、人生で『忘れられない』レースを尋ねると、彼のランナーとしての中核が透けて見えた気がした。

「まずは3年生の時の、初めて勝った箱根駅伝。注目されていない中でいきなり勝ったのは、“ジャイアントキリング”ですごく楽しかった思い出があります。最近の丸亀ハーフも、自分の人生を大きく変えたレースという意味で忘れられないですね。

あとは……中学生のときの、全日本中学校陸上競技選手権大会ですね。まだ陸上競技を真剣にやる前でしたが、全国大会に出場できてしまったんです。しかも決勝まで残れてしまった。北海道では一番速かったし、正直「陸上ってちょろいな」と思っていました。しかし決勝はとんでもない人たちの集まりで、レースが始まるや、ボコボコにされました。順位は下から2番目でしたが、最後に拍手を浴びるんです。最終走者だから。北海道と沖縄の選手にはなおのことです。『よくきたね』って。

その瞬間、僕は陸上をちゃんとやろうと決めました。ここからちゃんと取り組もうと。あんな拍手、二度と浴びたくないと思った。あれは屈辱でした。同時に、陸上を甘く見ていた自分への罰だとも受け止めました。中学生ながらに、悔しさを抱えてラスト200mを走ったんです」

小椋の強さの根幹にあるものがこのエピソードからうかがえる。己の誇りや尊厳のために、彼は厳しい練習を積むことを厭わない。生粋の負けず嫌い。だからこそ、強い。


ハーフ日本記録保持者はパリの夢を見るか?

いま小椋を証するものは、ハーフマラソンの日本記録だ。しかし本人も語るように、その記録はいつ更新されてもおかしくないほどに、日本の長距離界は躍進著しい。同時に、小椋自身の進化もまた成長著しい。ハーフの日本記録保持者という枠に収まりきらない大器を、言葉や走りの端々に感じさせる。

今年、東京五輪が開催されることがあれば、日本長距離界のひとつの達成がそこに結実するだろう。だが、もう次のパリは3年後に迫っている。ひとりの選手がさらなる進化を遂げるのに十分な時間とも、また目前に迫り猶予はあまりないとも言える。

パリ五輪のマラソン当日、小椋裕介はどこで何をしているのだろう?

「出たいです。走りたいです。MGCでは力がなくて選考に加われませんでしたし、その後のファイナルチャレンジも大迫選手に持っていかれました。ただ自分がマラソンで戦える位置にいると感じているので、パリは絶対に出たいですね。もっと言えば、その前に世界陸上も走りたい」

冷静に自らの立ち位置を見極め、着実な成長を続けるハーフ日本記録保持者が発した『絶対』という言葉には、絵空事ではなく現実を引き寄せていく説得力がある。

ハーフ日本記録保持者はパリの夢を見るか?

否、夢物語では終わらない。


国内外のランニングウェアを着こなす小椋がこの日着たのは〈HERENESS〉のウェアたち。天然素材メリノウールがもつ吸湿速乾性が快適なランニングを実現するSMOOTH WOOL T‑SHIRTと、サトウキビ由来の生地を使用するSUGARCANE SHORTS、足元はやはりメリノウールのFLUFFY WOOL SOCKS(SHORT)でコーディネート。力みすぎないスマートなウェアは、小椋のスムーズでスマートなランニングとも重なる。

SMOOTH WOOL T‑SHIRT(¥9,900)
SUGARCANE SHORTS(¥12,000) ※小椋裕介が着用したDARK REDカラーは4月下旬発売予定。
FLUFFY WOOL SOCKS -SHORT(¥2,200)

小椋裕介

北海道士別市出身。野球部だった中学時代に陸上で全国大会を経験、高校生から陸上に打ち込む。青山学院大学に進学し、3年次の2015年には7区で区間賞を獲得し、同校初の箱根駅伝の総合優勝に貢献。4年次も7区区間賞を挙げ、大会2連覇を果たす。卒業後はヤクルトに所属し、2020年丸亀ハーフにて1時間0分0秒の日本新記録を樹立。2021年2月28日のびわ湖毎日マラソンでは自己ベストとなる2時間6分51秒をマーク(日本歴代9位)した。
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