この『ほんとうのランニング』の原題は『BEYOND JOGGING ~ The Innerspaces of Running』だ。直訳すると“ジョギングを超えて”あるいは“ジョギングの先にあるもの”といったニュアンスだろうか。つまりは、ジョギングに対するアンチテーゼとして成り立っている本だということを最初に理解しておかないと出だしでつまづく可能性がある。
著者のマイク・スピーノは冒頭でこう述べている。
“私のような熱狂的なランニングファンが言うと裏切りめいて聞こえるかもしれないが、ランニングのような美しさを秘めた表現が、芝生のフィールドに轍をつくるジョギングの流行に終わるのは忍びない。”
この本が書かれた1976年当時は全米がジョギングブームに沸いていた。その状況は生粋のランナーであるスピーノには、とても単調で美しさの欠けたものに見えたようだ。では、彼にとってランニングとはどうあるべきものなのか。
“ランニングが通常のジョギングよりもやりがいがあるのには、生理学的な理由がある。だが、私の目的は生理学的なものにとどまらない。その目的とは、あなた自身の内なる意義を解放し、あなた自身のビートに合わせて走る手助けをすることだ。”
スピーノにとって、ランニングとは自分らしくあるための手段。心の赴くままに喜びを感じるために走るべきもの。だから苦行のように捉えられることもあるジョギングに反発したくなったのではないか。
実際、スピーノがこの本の中盤で提唱するランニングの生理学的なメソッドには、現在からみれば荒削りなところはあるものの、科学的なランニング理論を先取りしていることに驚かされる。変化をつけたトレーニングやウェイトトレーニングを勧めているのは当時としては最先端だったのではないだろうか。
だが、この本の本質は後半部分にあるといえるだろう。「第4章 未来のアスリート」と「第5章 ランニングの精神性について」は、スピリチュアルすぎてちょっとついていけないと感じる方もいるかもしれない。近年取り沙汰されるマインドフルネスやマインドフル・ランニンングを完全に先取りしたものだが、時代背景もあってかなり神秘主義的だ。
けれど、版元である木星社による「あとがきにかえて」の最後に紹介されているマイク・スピーノのエッセイを読んで、共感しないランナーはいないだろう。「スピリチュアルな体験としてのランニング」と題されたほんの6頁あまりのテキストには彼のある日の崇高なランニング体験が記されている。ここでは引用するのをあえて避けるが、サウナブームの今風にいえば、彼は“整って”しまったのではないか。ぜひ、本書を手にとってスピーノの経験を追体験して欲しい。