別れは突然やってきた。
それはサイクルコンピューターとの別れ。
そうです。
自転車はコンピューターを積んで走っているのです。
かつてのサイクルコンピューターというモノは自転車の速度や走行距離がわかる程度のコンピューター?とは呼べないシロモノだったわけですが。
現代のサイクルコンピューターは進化しています。
心拍数や出力まで表示して、まるで動く実験室のようになりました。
起動にも時間がかかってまさにコンピューター然としたものです。
GPSを搭載し、ナビゲーションも可能。
そのGPS機能を活かして、WEB上での仮想競争やルートの共有ができるようになって楽しみの幅までも広がりました。
これは数年前からすれば夢物語のようでして。
道に迷えばコンビニに飛び込んで地図を立ち読みしていた頃がなつかしいと遠くを見る眼が細くなってしまいます。
今では、想定するルートをWEB上に描けばそのとおりに走る事が出来る。
とても便利な時代になりました。
おかげで、知らない道でも臆することなく飛び込んで行くことができるようになりました。
最短距離を狙う事も、走りやすい道を追求することも簡単になりました。
記録されたデータはWEB上に反映して練習日誌がデジタルになりました。
ほんとうに夢のようです。
夢の生活をおくってきました。
そうです。
このサイクルコンピューターと夢の生活をおくってきたのです。
けれども今日という日は突然に。
それは5月4日のことでした。
起動はするけれど、まったく反応がナシ。
オールリセット、初期状態にしてみましたが駄目でした。
つまり、わたしはサイクルコンピューターの寿命を看取ったのであります。
思い出は走馬灯のようによみがえってきます。
いっしょにたくさんの旅をしてきました。
何万キロでしょうか。
4年の歳月。
地球を1周できる程度はいっしょに走ったはず。
使い続けて、使い続けて。
まさに使いきったのです。
わたしは自転車をはじめとする森羅万象のモノを愛する男でありますが。
モノ好きが高じてしまいますと、なかなかモノの寿命が尽きるときに立ち会えないもの。
新しいモノ、さらに新しいモノへと更新されるのと同時に。
心は浮つき。
体は揺さぶられ。
記憶はどこかにいってしまう。
衝動買いはしてないか?
ああ!消費生活!!
叫んでしまうのです。
そして、使い切っていないモノは知り合いや欲しいと言ってくださる方に譲ったり、もしくは物置のなかで沈黙をしたり。
洋服だってそう、クルマやケータイだって、もう、モノといえばあらゆるモノがそうであると思うのです。
わたしにまったく新しい自転車生活を授けてくれたこの夢のサイクルコンピューターは静かに役目を終えました。
別れは突然やってきたのです。
明日のジョーの最終話が予告もなしにやってきたのです。
リングポストを背もたれにした矢吹丈のように灰になってしまったわたしのサイクルコンピューター。
そんな姿を見て。
わたしはありがとうしか言えない。
まさにリスペクトしかない。
今回はそういう別れの話です。
ほんとうにありがとう。
そして、さようなら。