(写真 加藤潤 / 文 小泉咲子)
カラダとココロのメンテナンス・ステーション『TRIPLE R』で開催しているアカデミーシリーズ『Knowledge is Power(K.I.P.)』。知識を力に変え、よりクオリティの高いスポーツライフを応援する本シリーズの3回目のテーマは「フィジカルトレーニングはなぜ必要なのか?」。ロンドン五輪バドミントンダブルス銀メダリストの藤井瑞希さんをゲストに迎え、フィジカルトレーナーの中野ジェームズ修一さんが語ります。
知られざるオリンピックの秘密やアスリートの本音も飛び出しました。
中野 僕はフィジカルトレーナーとしてロンドンとリオに関わり、選手と接していたわけですが、オリンピック期間中の選手はすごく神経が高ぶるじゃないですか。それは悪いことではなく、誰にでも不安や恐怖はあるし、そうでないとメダルは獲れません。しかし、オリンピックは、他の大会とは比較にならないほど感情のコントロールが難しい。何が選手の中で起きているのですか?
藤井 私自身はオリンピックも国際大会のひとつとして臨んだので、「オリンピックだから」という意識はなかったのですが、オリンピックを特別視している人は感情の起伏が激しくなる傾向があるのかもしれません。実際、ナイーブになっていて話しかけられないと感じる選手もいました。これはオリンピックへの注目度の高さからくるのでは。みなさん他の国際大会の結果は知らずとも、オリンピックだけは見て知っていますから。メダル獲得が確実視されている選手や連覇のかかった選手は、ほんとうに大変だと思います。私はロンドンの準決勝でかなり世界ランキングが下の組が相手になり、誰がどう見てもメダル確定だろうという組み合わせだったんです。その前日だけは、呼吸ができなくなるほどプレッシャーがかかり、必ず金メダルを獲らなければいけないプレッシャーの中で結果を出す選手たちへの見方が一気に変わりました。
戦術や技術だけではけっして勝てない。
中野 前回のロンドン、そして今年のリオオリンピックでもハイパフォーマンスセンターという施設が選手村の外にあり、日本食が食べられて、日本のテレビが流れ、お風呂にも入れる。日本のハイパフォーマンスセンターには、さらに映像分析チームが入っていて、欲しい映像やデータがすべてもらえる。でもリオでは戦術・技術の映像分析が世界中で当たり前になっていました。
藤井 バドミントンで国際大会に映像チームを連れ、全試合を撮影するようになったのは、日本が初めてだったんです。ロンドンの2年前かな。それ以前は、選手自身に任されていて、相手の試合があるけど観に行くか迷った末に、体力的にきついからやめるといったことがあったので、ビデオを撮ってくれる人が来るようになったのは大きかったですね。分析はまだ選手自身に任されているのですが。
中野 データ分析により、戦略・技術への対策が各国で進み、当たり前になってくると、体力の差によって勝敗が分かれるケースも。
藤井 戦術を行うために必要な体力もあります。頭を使うにも体力がいる。私は、身体を動かすための体力がないのを、戦術・技術でカバーするタイプ。でも、体力を使い果たして頭が回らず、集中できないことがあり、考えるための体力強化、その必要性を痛感しました。
中野 とくに球技は、頭を使いますよね。担当している卓球の福原愛選手に言われてびっくりしたのが、卓球は100mダッシュをしながらチェスをするスポーツだと。2手、3手先を読むための体力がなくなれば、ただ球を当てるしかできなくなり負けてしまう。最後の最後まで考えられる体力が重要です。
藤井 私は、試合が終わるといつも頭痛がして。考えるための体力をつける練習をしなさいと言われていました。
中野 なぜリオで日本のマラソン界は負けたのか。フィジカルの弱さなんですね。車で考えると、一定のスピードで一度もブレーキをかけないのが最も効率的なわけですが、アフリカ勢は、日本勢を振り落とすために急にスピードを上げたり下げたりを繰り返して仕掛けた。日本人選手は惑わされず、自分のペースで走ればメダルが獲れるレースなのに、ここがオリンピックの難しいところで、自分より前に3人いるとメダルが獲れないと焦るからつられてスピードを上げてしまう。結果、振り回されて自己ベストよりもはるかに遅い記録になってしまいました。日本人選手は、一定のペースを守るペースメーカーについていくように育てられ、それでいい記録を出してオリンピックに選ばれる。今回の結果を受けて、自己ベストが遅くてもフィジカルの強い選手を連れていくべきという世論が出てきています。
藤井 選手としては、結果がすべてだと思っているので、体力を基準にタイムが遅い選手が選ばれるのはちょっと複雑です。
中野 僕が賛同しているわけではないですよ。ただ他国の場合、世界ランク1位の選手がフィジカルが弱くオリンピックのように長期間の連戦になると試合を落とす可能性がある。よって世界ランク2、3位が選ばれた。そういうケースもあるのです。
フィジカルトレーナーの地位向上を。
中野 リオからの帰国便で、隣りに座っていたのが、他国のフィジカルトレーナーだったんです。アメリカ人なのですが、彼は「日本スタッフを見ていると、選手に契約を切られないようにしているのがわかる」と言うんですね。悔しいけど、確かにそうなんです。つい選手の顔色をうかがって「今日、トレーニングする?」と聞いてしまう。でも、聞くということは、こちらにはトレーニングをしなきゃいけない根拠があるから。彼は「選手に切られたとしても、トレーニングしなきゃいけない時はしろと言う」と。選手を強くするには言わなければいけないんですよ。選手の顔色をうかがっていた自分が恥ずかしく、指導スタイルを変えていこうと心に決めました。
藤井 私は、中野さんのトレーニングを受けていますが、こっちはもうできないところまで出し切っているつもりなのに、中野さんは止めない。すごく厳しいですよ(笑)。
中野 (笑)。最近よく言われる“アスリート・ファースト”は大事ですけど、意味をはき違えてるアスリートも多い。アスリートは優先されるべきですが、自分たちの意見がすべて正しいという風土が作られつつあるなと。そうした時に叱ってくれるスタッフが大切なんだと、選手に思ってもらえる自分でありたいです。ただ、今の日本ではフィジカルトレーナーの地位はけっして高くない。オリンピックの選手村位には大規模なフィットネスセンターがあるんですが、スタッフはゲストパスがないと入れないんです。国別にパスの枚数が割り当てられており、フィジカルトレーナーは、パスの優先順位がなんと最下位。もうショックでショックで…。フィジカルトレーナーがメダル獲得に重要な存在だということを、みなさんの目に見える形で伝えてこられなかったんだという反省です。もっと成果を出せるトレーナーを増やし、わかってもらうしかない。
トレーニングは充実した人生を送るのに不可欠。
中野 さて、2020年、東京にオリンピックきますが、スポーツを見る人は増えてもやる人は増えないんじゃないかと思っています。僕が運動をしてほしい理由に、筋肉量の問題があります。運動をしなければ、下半身の筋肉量は年に約1%ずつ減ってしまうんです。下半身が衰えるということは歩けなくなり、やがて要介護になってしまう。
今、問題なのが“ロコモティブシンドローム”。“ロコモティブ(locomotive)”は、骨や筋肉、関節など身体を動かすのに必要な“運動器”を表します。ロコモティブシンドローム=運動器症候群になると、歩く、立つといったことができなくなり、自立した生活を送れなくなってしまう。その予備軍は今の40歳以上の5人中4人もいるんです。仮に、現在40歳の人が60歳から要介護になると、20年後はますます世の中は便利になって動く機会が減ります。さらに、現在の平均寿命の80歳まで生きる頃には、医療の発達によって平均寿命も100歳近くまでいくと言われており、40年もの間、車椅子やベッドの上での生活を余儀なくされるんです。iPS細胞では、骨格筋は作れません。運動をする以外に、自立した生活をするための筋力は維持できないんです。
老年について研究する医師のロバート・N・バトラーが「もし運動を錠剤の中に詰め込んでしまえるならば、その錠剤は、この世の中で、最も広範囲に処方され、恩恵をもたらす薬になるだろう」と言っています。運動するくらいなら薬をという発想の人がいかに多いか。でも、運動が嫌いと言っている場合じゃない。アスリートにも練習はするけど、トレーニングは嫌いな人が多いんですよね。
藤井 私も、中野さんと出会う前は、トレーニングは100%でやらないタイプでした。でもやってみると、結果が出て面白いんです。ダイエットでも、腹筋が割れてきたとか、体重が1kg減ったとか、結果が見えると楽しくなっていきますよね。結果が、運動やトレーニングをしたくなるモチベーションになると思います。
中野 結果を出すためには、正しい運動を正しいやり方でやること。多くの人は、間違ったやり方をしているから結果が出ず、違うことを始めるというサイクルを何十年も続けている。何かを巻くだとか(笑)。結果の出るトレーニングや運動はきついんです。「簡単」だとか「ラク」な運動は、効果が出ないことを謳っているようなもの。みなさんには、正しいトレーニング方法を選ぶ目を養ってほしいと思います。
次回『K.I.P』は11月17日(木)に!
11月17日(木)に「K.I.P (KNOWLEDGE IS POWER)」の第4回目を開催。今回は「やせる冷蔵庫のつくり方」をテーマに日本初のアスリートフードマイスターで、自身もトライアスリートとして日々身体を動かしている村山彩さんを迎えます。話題の新著『やせる冷蔵庫』、この書籍は200件以上の冷蔵庫を分析し、運動なしでやせられるダイエット法を編み出したもの。明日を豊かにするヒントは、もしかしたら冷蔵庫の中身に隠されているのかもしれません。
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アカデミーシリーズ『K.I.P(Knowledge Is Power)』とは
2016年春に馬喰町にオープンした、カラダとココロのメンテナンス・ステーション『TRIPLE R』にて定期的に開催されるアカデミーシリーズで、ホストをフィジカルトレーナーの中野ジェームズ修一が務める。
TRIPLE R公式サイト:http://afd3r.com