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自転車やランニングなどのエンデュランススポーツをする上ではもはや欠かせなくなったGPSログアプリ、その代表ともいえるSTRAVAに〈セグメント〉という機能があるのはご存知だろうか。〈セグメント〉を最もシンプルに説明すると、GPSデータの特徴的な一部を切り取ってタイムトライアル区間を設定、挑戦する機能だ。アプリで探せばすでに無数の〈セグメント〉が世界各地に設定されている。

コースレコードを手軽に競うことのできる〈セグメント〉

これに挑戦するのは簡単で、そのコースをSTRAVAを使って走って記録するだけだ。自動的にその〈セグメント〉での順位が示され、コースレコードを記録した強者にはキング/クイーン・オブ・ザ・マウンテンの称号「KOM/QOM」が与えられる。総合順位10位以内にはトロフィーが授与されるし、他のアスリートとの競争に勝てなくても何度か挑戦して自己ベストを更新すれば「PR」メダルを獲得することができる。さらには、同じ〈セグメント〉に繰り返し挑戦することでローカルレジェントと認定され「ローレルクラウン」を得ることもできる(90日間で最多エフォート回数記録で獲得)。

〈セグメント〉を自分で設定することも簡単だ(STRAVA:セグメントを作成する)。自分が愛するコースを〈セグメント〉に設定すれば、誰かのモチベーションを高めることに一役買うことができるかもしれない。

〈セグメント〉機能をセレブレイトする物語が展開中

この〈セグメント〉機能は、単なるタイムトライアルの域を超えてエンデュランススポーツにおける文化となりつつある。世界各地の〈セグメント〉の数だけ物語があるといっていいだろう。いまSTRAVAは、そうした各地のセグメント・ストーリーを見つけ出し、その生き生きとした物語を動画やブログ記事として紹介している。今回はグローバルに展開するこのキャンペーンの中でも、日本を代表するセグメント・ストーリーとして登場した峰岸良真さんに、彼が愛し挑戦し続ける群馬県桐生市のセグメント「吾妻山VERTICAL」についてのお話を伺った。


STRAVA セグメント・ストーリー「吾妻山と峰岸良真さん」

スカイランニングが自分の生活に合っていた

桐生市で生まれ育った峰岸良真さんは、東京の大学を卒業後しばらくその地で働いた後、25歳の時に地元桐生にUターンしてきた。トレイルランニングを始めたのは、桐生に戻ってしばらくした頃のこと。

「鏑木剛さんが出演したNHKの番組『激走モンブラン2011』を観て、こんなスポーツがあるんだな、面白そうだなと思ってはじめたのがきっかけです。それまで習慣的にスポーツをするということはなかったんですが、朝焼けが見える時間帯がものすごく好きで、その頃に起きて、朝ご飯の前に山へ行って、帰ってきてごはんを食べて仕事に行くってルーティンができはじめた。トレイルランニングをやることも大事だったんですけど、山の中に自分が身を置くこと、そこに居るってこと自体、〈being〉という部分が自分にとって大きかったと思います」

山に身を置くことが桐生の生活の軸になっていった峰岸さん、そこにスカイランニングとの出会いが重なった。

「その後、日本スカイランニング協会の松本大くんとの出会いがあって、スカイランニングを地域スポーツ、生涯スポーツにしようとしている彼のミッションやビジョンに共感しました。それでスカイランニングに集中していきました」

スカイランニングの定義は難しいが、簡単に表現するならば山岳を空に向かって駆け上るスポーツ(参照:日本スカイランニング協会)。水平移動距離よりも標高差を重視し、一般的には比較的短い距離を一気に駆け上がるレースが多い。それまでは長い距離に挑戦することに憧れがあった峰岸さんだが、子どもが生まれて家庭の時間との両立のためにも短時間に集中するスカイランニングは向いていた。

桐生のコミュニティからセグメントが生まれた

スカイランニングにぐっとのめり込んで毎日のように山を駆け上っていた峰岸さんは、地域コミュニティに自然に受け入れられていった。ほぼ365日地元の山に登っている福田さんという方を中心にした山頂カフェのコミュニティだ。

「福田さんが毎週土曜日に山頂でコーヒーを振る舞ってらっしゃったんです。そこに自然と人が集まる環境があった。その中で山を行ったり来たりしている変な奴がいるぞって、ちょっと声かけてみようって僕に声をかけてくださった」

やがてコミュニティの中から山を走るグループが派生し、それがスカイランニングチームになっていった。現在のメンバーは30名ほど。そのうち女性が半数くらいで、年齢は中学3年生から60代後半までとダイバーシティにあふれたチームとなっている。このチームの中でSTRAVAが活用されるようになったきっかけが〈セグメント〉だった。

「チームメンバーの茅野さんが2019年くらいからSTRAVAを使い始めて、それがチームに広まるきっかけとなったのが〈セグメント〉でした。これまでもみんな挑戦していたコースに「吾妻山VERTICAL」という〈セグメント〉が生まれて、一気に面白いじゃん!ってみんなで価値が認められて、それが共通の話題になっていきました。最初は16分台をだせればトップ10に入れる状況だったんですけど、最近高速化の波がきて(笑)。CRは13分52秒で牛田さんという方が持ってらっしゃいます(2022年2月時点)」

〈セグメント〉の過去・現在・未来

峰岸さんはこの〈セグメント〉という機能に大きな可能性を感じている。それはログが過去・現在・未来を繋いでくれるという部分だ。

「他の人との競争という部分もあると思うんですけど、自分自身の過去のタイムとの競い合いがひとつ大きなものだと思います。努力しないといけない領域ってスポーツの中にあると思うんですよね、例えばそれがこの「吾妻山VERTICAL」では16分台というタイムを出すにはある程度やらないと達成できない一つの基準、物差しになると思っています。この〈セグメント〉に興味を持った息子や未来のランナーたちが、残されたログを見て、この人たちはどれくらい努力してたんだろうって考えて何か汲み取ってもらえればと思います。一生懸命になることの大切さみたいなことをですね」

各地のセグメント・ストーリーに感じたこと

自身もSTRAVAのグローバルキャンペーンに出演した峰岸さんに、世界のセグメント・ストーリーに対する感想を伺ってみた。すると〈セグメント〉にチャレンジし続けるアスリートならでは視点で答えが返ってきた。

「英国の女性サイクリストのドミ二・ラドウェイさんのストーリーでは、すごく印象に残ったことが2点あって、ひとつめが自転車を漕いでる時は他のことを考えている余裕はない、そこに集中してるという話。僕も「吾妻山VERTICAL」や「吾妻山DOWNHILL」といったセグメントに挑戦する時は、このセグメントに本当に集中してるなって。

もうひとつは、自転車場というのが一番安い託児所だという話。支える側のスポーツの喜びが表現されていた。素晴らしいコミュニティで歴史があって面白いなって思いました。楽しいと思える限り自転車を続けていくっておっしゃってましたけど、ぜひずっと楽しいままでいて欲しいなと思いました。

一方、米国コロラド州ボルダーのヒラリー・アレンさんはプロとしてスポーツの楽しいところだけじゃなくて大変な部分、怪我からの復帰というストーリーがある。“ランニングができなくてもありのままの自分で十分だと自分自身がわからないと何も始まらない”という部分、そこの領域まで僕はいっていないなって思いながらも面白いなって。

また、どんな時にもそこに彼女のホームマウンテンであるグリーンマウンテンがあったって話をされていて、ああ、まさにそれは僕にとっての吾妻山だと。自分がどんな状況にあっても、あの山は変わらずに泰然として佇んでいる。その感じ方は同じマインドだなと思いました」

各地で「峰マラソン」が生まれる未来

峰岸さんはSTRAVAの〈セグメント〉機能によって、コミュニティが強化された出来事とスカイランニングが合わさることで、日本の山岳地域に多様な文化が生まれる可能性があるのではないかと指摘する。

「日本は山間地が7割くらいあって、地域には必ず吾妻山みたいなシンボリックな山があると思うんですよね。そこでこのSTRAVAの〈セグメント〉を使って町の中心から山の峰まで走る「峰マラソン」というものが桐生だけじゃなくて日本全国に横展開できればスカイランニングというスポーツが文化、カルチャーとして根付いていくんじゃないか。まさにそれがスカイランニングの哲学だと思っていて、こういったものが広がってくれないかなって思いがありますね」

挑戦しがいのある〈セグメント〉が身近にあって、それに地域のアスリートたちが日々挑戦する。時には他地域からその〈セグメント〉に挑む道場破りのようなコミュニケーションがあっても面白いかもしれない。峰岸さんの思い描く未来には、STRAVA〈セグメント〉とスカイランニングの可能性が無限に広がっているように見える。