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走ることと食べることを世界でいちばん突き詰めて考えているランナーはスコット・ジュレクかもしれない。彼はヴィーガン(完全菜食主義者)というライフスタイルを選びながら100マイルという過酷なレースを走り、数々の記録を塗り替えてきたいわば“伝説のウルトラランナー”だ。昨年刊行した自伝『EAT&RUN』の中で彼は、菜食を選ぶことでいかにアスリートとしてのパフォーマンスが上がったかを明かしている。そしてヴィーガンというスタイルは、彼にとって単なる食事や栄養学を超えて、自然と寄り添って走り、オーガニックな生活をするためになくてはならないライフスタイルになっている。それを可能にするコロラド州ボルダーという街を『EAT&RUN』日本語版編集者である松島倫明が訪れた。

ウルトラトレイル界の「リビング・レジェンド」

アメリカではこれまでに3度、ランニングブームが起こってきたと言われる。それは常に危機の時代に対する人類の本能的ともいえる反応で、最初は大恐慌の時代、2回目がベトナム戦争が泥沼化した70年代、そして3度目が9・11の翌年だ。でもこの21世紀のブームがこれまでと違うのは、人々が街や公園をジョギングするだけでなく、大自然の山々を走り始めたことだった。トレイルランニングと呼ばれるそのスタイルは、この10年、アメリカでもっとも急成長を遂げたスポーツのひとつと言われ、特に「ウルトラ」と言われる、フルマラソン以上の距離を走るレースでは、ランナーたちが半日、24時間、あるいはそれ以上の時間を走り続けながら、己の肉体と精神の限界の先に何があるのかと、大自然に向けて問いかけ続けてきた。

そのウルトラトレイルの世界で「リビング・レジェンド」と言われるランナーの一人がスコット・ジュレクだ。ミネソタ州出身で今年で40歳になるスコットは、1990年代からウルトラを走り始め、アメリカでもっとも伝統ある100マイルレースの最高峰、ウエスタンステーツを7連覇した偉業は、いまだ誰にも破られていない金字塔だ。彼は過酷な難レースとして名高いハードロック100や灼熱の死の谷(デスヴァレー)を走るバッドウォーター・ウルトラマラソンを大会記録で制し、ギリシアのスパルタスロン(230㎞)優勝や24時間走アメリカ記録樹立など、まさに現代を代表するウルトラランナーだ。

ゴールを踏むことだけが目的じゃない

だけどスコットが他のランナーと違うのは、残してきた偉業の数だけではない。彼は走ることと同じぐらい、その精神性を追求し続けてきたランナーだった。走ることは、とりわけ彼のように速く走ることは、ゴールを踏むことだけが目的じゃない。その時、いかに自分の心を無にして、踏みしめる大地と身体を一体化できるかが問題だった。それはウルトラを走る時に必然的に訪れる苦しみと限界をいかに乗り越え、その先に眠っている新しい力を手に入れるかという問題であり、走ることを通してより良い人間、大地に根ざした生き方、周りの世界との調和を目指すことでもあった。彼の愛読書のひとつが『武士道』なのは、けっして彼の日本贔屓だけが理由じゃない。

それに、スコットがヴィーガン(完全菜食主義者)であることも、彼のキャリアをとりわけユニークなものにしている。つまり、毎日山を何十㎞も走ってトレーニングを積み、世界で最も過酷な100マイルレースを完走するだけでなく、一番最初にゴールラインを駆け抜けるランナーが、動物性食品を一切食べずにそれを成し遂げてきたわけだ。大方の反応は、「無謀だ」「信じられない」「肉なしでパワーが出るはずがない」というものだった。もちろんそんな声が上がるのは、スコットが“伝説の”スコット・ジュレクになる前の話だけれど。

9月初旬の抜けるような青空が広がる週末のボルダーを訪れた僕らは、走ることと食べることを高い次元で心から楽しむスコットとジェニー夫妻のライフスタイルを目の当たりにした。

ロッキー山脈が練習場
3000メートル超のトレイルへ

朝6時、まだ夜が明けない時間に僕らはボルダーのダウンタウンにあるユニバーシティ・インというモーテルの前で待ち合わせた。外はまだ肌寒く、Tシャツの上にソフトシェルを羽織る。前日、朝のランニングに同行したいとスコットに尋ねると、このモーテルの裏からすぐにトレイルに入れるし、ふだん平日はそこを走ることも多いけれど、せっかくなら少し車で走って、ロッキー山脈のほうに行ってもいいかもしれない。どっちがいい? と返ってきた。僕らは迷わず後者を選んだ。スコットとジェニーは愛車のスバルで僕らをピックアップすると、そのままボルダーの街を見下ろす山塊へとハンドルを切った。蛇行するゆるやかな傾斜の舗装路を軽快に登ること1時間、降り立った場所はインディアンピークス原生地の入り口だった。目の前には美しい針葉樹林と、その先にそびえ立つ岩山がいくつも広がっている。

「ここは週末にトレーニングをする時によく来る場所なんだ。車を1時間走らせれば来られるし、いくつものトレイルがあって、いくらでも高い山があるから、本格的なトレーニングが積めるんだ」そう言ってスコットは残雪がところどころに見える灰色の頂きを指さした。

ロッキー山脈のフロントレンジに位置するこの原生地には1万3000フィート(4000m)を越える頂きが7つもある。最高峰はノース・アラパホー・ピークの4115mだけれど、面白いのはどのピークも高低差が30mほどしかないことだ。縦横に張り巡らされたトレイルによって、いくらでも距離を伸ばして走ることができるのだという。

ボルダーに集まる世界中のランナー

一方で僕らが車を停めた原生地の入り口でも、すでに手元の高度計は3200mを指していて、山の麓の森に着いた気分でいたけれど、富士山でいえば八合目あたりに相当する。この日はそこからほとんど高度を上げずに、雄大な森の中を池や沢にそって巡る美しいトレイルを堪能した(それでも僕の息が3分で切れたのはここだけの話だ)。足元には高山植物が花を咲かせ、水場では巨大な角を持つヘラジカの家族に遭遇した。ハイカーに混ざってたまにすれ違うランナーたちの中には、スコットとジェニーに気がついて声をかける人もいる。ボルダーのランナーコミュニティで、当然ながらこのカップルは身近な有名人たちだ。

そもそもボルダーは高地トレーニングの聖地として日本でもよく知られた存在だ。マラソンの高橋尚子や野口みずきをはじめ、世界の名だたるトップランナー達が、ここでメダルへの実力を養っていった。ただ、そうした陸上選手たちにもっとも愛されてきたコース「マグノリアロード」は標高が2500m前後の場所にある。そう考えると4000m超のピークまで走っていくスコットたちの心肺は、“下界”を走ったら笑いが止まらないんじゃないか思うけれど、「ここでは速く走る練習はできない」という悩みもあるようだ。とはいえ、実際のトレイルレースも山岳レースが多く、つい2週間前もこのロッキー山脈で行われた100マイルレース、レッドヴィル100でスコットは8位に入っている。マラソンとウルトラトレイルに要求されるスピードとスタミナのバランスの違いが、練習で走り込む標高の差となって現れているようで面白い。


街の中心を流れるボルダー・クリークは市民の憩いの場。クリークに沿って自転車用、歩行者用それぞれの専用レーンがあり、一部は未舗装のトレイルにもなっている。

クリークを中心に広がるアクティブな街

ボルダーの街を一言で表すのは難しい。住人の9割を白人が占めるアメリカ西部の典型的なエスタブリッシュな街かと思うと、そこにさまざまなカルチャーが重なりあっているからだ。コロラド大学ボルダー校がある学園都市として全米の優秀な頭脳とヒッピー以来のカウンターカルチャーが息づく一方で、近郊にはIBMをはじめとする研究機関やグーグルのオフィスなどもあって技術者が多く働いている。ユートピアのような美しい街並みに惹かれてリタイア後に移住する人もいれば(全米で老後に住みたい街ナンバー1と言われている)、スコットのようにロッキー山脈の麓という環境を求めて移ってくるアスリートたちも多い(現代を代表するウルトラランナーであるアントン・クルピチカやクリッシー・モールもボルダー在住で、クリッシーとは週に一度は一緒に走るという)。 

でもそうしたトップアスリートが必ずしもこの街の主役ではない。街の中心を流れるボルダー・クリーク沿いを歩けば、木々に囲まれた水辺で憩う住人に混じってランニングやサイクリングを楽しむ老若男女にひっきりなしに出会うことになる。スコットが日頃走っているというトレイルには、街の中心からそのまま走ってアクセス可能で、2000m級の山(1600~700mの高地にあるボルダーの街から行くと、感覚的には低山なのだけれど)からは、コンパクトにまとまったボルダーの街並みと、その先にいつまでも続くプレーリーの地平線が見渡せる。

街中で目につくのが自転車で、目抜き通り沿いにはいかにも住民に愛されてきたような自転車屋をいくつも目にする。どこまでもフラットな市街の車道には自転車レーンが設けられ、街角には駐輪用のバーも豊富だしバスにだって自転車を載せられる。ここは全米有数の「自転車に優しい街」でもあるのだ。


街は限りなくフラットで自転車に優しいが、背後には雄大な山々をたたえる。

全商品の97パーセントがオーガニック

住人が自然の中でアクティブに楽しむボルダーは、一方で自然とともに暮らすというオーガニック志向のライフスタイルが当たり前のように定着している街でもある。街の中にはオーガニックを謳うカフェやレストランが軒を並べ、家庭菜園だけでなく養蜂や養鶏、チーズ作りまで手がけられるようなアーバンファーミング(都市生活型農園)のお店がカフェのようなおしゃれな佇まいで目抜き通りにあったりする。街外れの巨大なホールフーズ・マーケットではオーガニックフードからベジタリアンフードまでなんでも揃うけれど、地元の人々に愛されているのがボルダー発祥のオーガニック・スーパーマーケット「アルファルファ」だ。

食材から加工食品まで全商品の97パーセントがオーガニックで(全米平均で7割の加工食品に遺伝子組換え食品が使われ、6割以上の農産物で農薬が残留し、家畜に成長ホルモンや抗生物質の投与が禁じられていない中では、この数字がいかに高いかが分かるだろう)、しかも可能な限りローカルな生産者から新鮮な食材を直接仕入れることで地元の有機農園を支援し、地域コミュニティを作りながら環境や持続可能性にも配慮する。アメリカではお馴染みの店内のデリに並ぶ料理の数々を見れば、「これならベジタリアンでも楽しんで暮らせそうだな」と思えるほどに、多様なオーガニック惣菜が並んでいて、僕たちも滞在中大いにお世話になった。


ベジタリアンレストラン『leaf』のヴィーガンスクランブルは、豆腐を使ってスクランブルエッグのような食感を生み出している。


毎週開かれるファーマーズマーケットには多くの個性的な生産者が集う。

地産地消の最前基地

もちろん、“オーガニック”は長らくアメリカを席捲する流行語だ。でもボルダーの地に足の着いたオーガニック志向とローカル志向を何よりも象徴するのが、ダウンタウンで週に2回開催されているファーマーズマーケットだ。僕らはロッキー山脈からスコットの自宅に戻ってスムージーで一服すると、毎週通っているという彼に連れられて、昼前のマーケットへと向かった。「午前中ならまだそれほど混まないから」という通りはすでに地元の人々でいっぱいで、老夫婦から小さな子連れの家族まで、まるで縁日のように楽しそうにそぞろ歩きしながら、テントの中の食材を物色していく。スコットとジェニーも、自転車を停めるとさっそく桃を並べたテントに入っていった。「ここの桃は美味しくてお気に入りなんだ」そういいながら一つひとつ手にとって選んでいく。ここは地元の生産者たちが直接自分たちで作ったものを並べにくる地産地消の最前基地で、スコットのように常連客はみな贔屓の生産者がいるようだ。トマトはここで、サラダ用の葉野菜はあそこで、果物は今日はあっちのものが美味しそうだといった具合に、楽しそうにテントからテントへと渡り歩く2人についていく。

キーワードは“農園からテーブルへ”

このボルダーのファーマーズマーケットで目にとまった新しい流れが「ファーム・トゥ・テーブル」(農園からテーブルへ)というコンセプトだ。もともと地元の食材を地元の消費者に届ける運動として始まったファーム・トゥ・テーブルは、有機農園や持続可能な農業、それにコミュニティ・サポーテッド・アグリカルチャー(CSA:地域支援型農業)の流れとともに全米で大きな広がりを見せているという。『雑食動物のジレンマ』がベストセラーとなったマイケル・ポーランなどがその理論的支柱となったほか、先駆的な人物としては、カリフォルニア州バークレーで40年前に世界初の“オーガニックレストラン”シェパニーズを始め、今では“最も予約が取りにくいレストラン”に育て上げたアリス・ウォーターズが挙げられるだろう。

いわゆる“工業的オーガニック食品”ではなく、地元の小規模農家が作る有機野菜など健康で新鮮な食材をシンプルな料理で提供する。その当たり前のことが、「美味しい革命」として進行しているアメリカ。そのひとつのロールモデルとなっているのがここボルダーで、レストランが自ら自家菜園や牧場を所有し、そこで採れた食材をお店で直接提供する「ファーム・トゥ・テーブル」なレストランがいくつもある。そしてそのシェフ自らが、このファーマーズマーケットで自分の菜園の食材を並べて売っているのだ(そう、買いつけにくるのでなく!)。

スコットがテントの脇で長話を始めた相手もそうしたシェフで(マーケットにいると農家のおじさんにしか見えないのだけれど)、何やらスコットにとっても見慣れない緑のひよこ豆の調理の仕方について事細かに議論している。料理が大好きで凝り性なスコットは、こうした会話を心から楽しんでいるのが見て取れる。生産者であれば旬の食材やその美味しさは知っているけれど、生産者+シェフであれば、その美味しさの活かし方、具材の合わせ方、調理の仕方までプロの視点からアドバイスできる。食材を介したコミュニケーションによって、レストランの存在を知ってもらえるし、店で出す食材を味わってもらうことで、ファンが生まれていく。こうしてファーム・トゥ・テーブルは、このボルダーのコミュニティにしっかりと息づいているのだ。


ファーム・トゥ・テーブルを体現するこの男性はレストランオーナー兼生産者。味や香りの異なる無数のリーフを並べているが、それぞれの調理法について丁寧に教えてくれる。

料理は生活のリズムを作り出す
大切な時間

ファーマーズマーケットで買った食材を使って、スコットとジェニーがさっそくランチを作ってくれることになった。2人はダウンタウンから自転車で数分のところに築100年を越える一軒家を購入し、半年以上かけて友人の建築家といっしょにリノベートしてきて、最近やっと数ブロック先の賃貸の家から引っ越してきたばかりだという。中に入るとまず目につくのが大きくスペースをとったコの字型のモダンで機能的なキッチンで、午後のやわらかな日差しが入る特等席に位置するそれは、彼らのライフスタイルにおける料理へのプライオリティを物語っている。実際に料理をするのはもっぱらスコットで、ジェニーはアシスタントに徹するそうだ。

「彼は自分で作るのが大好きで、そして美味しいの」とジェニー。長くパタゴニアのデザイナーだった彼女は、今ではフリーランスとしてランニングギアなどもデザインする売れっ子だ。お互いに海外を飛び回ることも多い多忙なスケジュールの中で、家で料理をすることは生活のリズムを作り出す大切な時間。ボルダーにいる時は、友人知人が訪ねてきて外に食べに行く時以外はたいてい家で食事をするし、週に一度は友だちを招いて料理を振る舞うのだとう。

そもそもスコットの料理好きは、料理家として活躍していた母親の影響だった。何でも自分で作るのがモットーで、手作りのクッキーや、湖で釣った魚のフライが当たり前のように食卓に上った。その母親が多発性硬化症という難病にかかり、スコットは幼くして弟や妹など家族の面倒を見なくてはならなくなった。当時の彼が料理を好きでやっていたかはわからないけれど、料理の腕前や、食事を生活において大切に考える価値観は(そしてウルトラを走り切るそのメンタルも)、間違いなくそのころにベースがある。

「祖父母の時代の暮らしこそ理想なんだ」とスコットは言う。自分たちで育てた野菜を食べて、自分たちで獲った動物の肉を残さず食べる。家族で昔作っていた食事、伝統的な料理こそ本物の味で、「そのルーツに僕らは戻るべき」なのだと。

自分で作った方が
バリエーションを楽しめる

それに、家で料理をすることはヴィーガン(完全菜食主義)という彼らのスタイルにも完全に合致している。つまり、動物性の食品を一切とらない食生活を続けようと思ったら、外で買ったり食べたりするよりも、自宅で料理をしたほうが圧倒的に食のバリエーションが増えるのだ。それを僕は経験的に分かっている。というのも東京で3か月間、ガチなヴィーガン生活を試したことがあるからだ。

東京にベジタリアンやヴィーガンのレストランは極端に少なく、一般のレストランで「ベジタリアンなので」といっても、野菜サラダが出てくればマシな方だ(間違っても「ヴィーガンなので」と言ってはいけない。ほぼ誰にも理解されないからだ)。和食なら健康的じゃないかと思うけれど、ほぼすべてに鰹出汁が使われているから蕎麦も和風サラダも揚げ出し豆腐も食べられない。けっきょく家で椎茸と昆布の出汁をとって蕎麦や鍋を楽しんだり、さまざまな野菜カレーに挑戦したり、普段は手を出さないメキシカンや中東のレシピにトライしたりと、家で作れば圧倒的なヴァリエーションを楽しめることになる。


つい先日改装が終わったばかりの新居の中心を占めるのは、陽が燦々と降り注ぐキッチン。こどもの頃から料理をしてきたスコットの理想を具現化した場所だ。

ヴィーガンになって新たな食材と出会えた

一方で、ボルダーでは事情は大きく違う。オーガニックなスーパーで、ベジタリアンやヴィーガン食材や惣菜はいくらでも手に入る。でもここで強調したいのは、圧倒的な食材の豊富さだ。もちろん、海外に行けば目新しい野菜や食材に目を奪われる。でもそのことを言っているわけじゃない。たとえばトマトひとつとっても、単に日本とは違う種類のトマトがあるだけではなく、本当に色も大きさも味も多彩なトマトがたくさんあって、つまりは選択の幅が圧倒的に違うのだ。それはポテトの種類にもペッパーの種類にもケールの種類にも豆の種類にも果物の種類にも言える。体感的には日本の一般的なスーパーの5倍から10倍の多様性があるように思う。だから植物ベースの食事と言っても、そこで味わえる食のヴァリエーションは、圧倒的に豊かなものになってる。

スコットはその著書『EAT&RUN』で同じようなことを言っている。食事から動物性食品を除いたことで、嬉しいことに(そして驚いたことに)「かえって食べる食材の種類が増え、新たな美味しい食べ物に出会う」ことができた。彼にとって新しい食べ物とは、新鮮な果物や野菜、豆類、木の実、種、全粒の穀類、そして味噌や豆腐、テンペといった大豆食品などだ。ベジタリアンの料理本を読み、エスニックのスーパーを回って未知の食材や香辛料にトライすることで、彼はヴィーガンメニューのレパートリーを増やしていった。豆腐入りの味噌スープやうどんなどの和食はもちろん、ビビンバなどのコリアン、メキシカン、インディアン、ギリシアなどの地中海料理……レースで訪れた先の料理を貪欲に取り入れていく彼の探究心を支えるだけの食材のポテンシャルが、このボルダーの地にはあるのだ。

なぜウルトラの王者はヴィーガンを選んだのか

そもそもスコットがヴィーガンという食生活を選んだのは、それがウルトラランナーとして最適のスタイルだからであり、「ヒッピーの食べ物だと思っていたものを食べると、体調が良くなってレースでも結果を出せることに気がついた」からだった。ヴィーガンでいると、かつてないほどに調子が良くなった。これまで長い距離を走ると経験していた痛みがなくなった。ハードな運動のあいだの休息時間が短くて済むようになった。軽くなったし、強くなったし、速くなった。そして今までより若くなった気がした。

こうしてスコットは、自分の食べたものと走ることをつなげて考えるようになり、食事とランと人生がつながっていると考えるようになった。ただがむしゃらに走るのではなく、より賢く走り、より賢く食べ、より賢く生きることを学んでいった。食べることは身体に必要な燃料と薬であり、エネルギーが湧き上がる健康な身体を作るための大切な投資だった。『EAT&RUN』にこんな一節がある。

「質のいい食事を取れば取るほど、体の調子が良くなった。調子が良くなると、もっと食べることができた。ヴィーガンになったことで、脂肪が一層落ちた。僕は今まで以上に食べて、楽しんで、同時に人生で一番痩せることができた。ヴィーガンになってから、全粒穀物、豆類、フルーツと野菜をもっと食べるようになった。頬骨が目立つようになり顔の輪郭もすっきりした。自分でも存在に気づいていなかったような筋肉も現れた。ヴィーガンでありながら、食べる量が増え、体重が落ち、筋肉量が増えた。レースとレースのあいだや、トレーニングのあいだの回復時間も短くなった。50マイルのレースに出ても、もう筋肉痛にならなかった。毎日、起きる度にエネルギーがみなぎっていた。フルーツを食べるとより甘く、野菜は歯ごたえがあってさらに味わい深く感じた。朝起きて短いランに出かけ、それから8~10時間働き、それから夕方には10~20マイルまた走っていた。集中力も日に日に高くなっている気がした」

こうしてヴィーガンになった彼は、“伝説”のスコット・ジュレクへの道をひた走ることになる。でもそれは同時に、地球にできるだけ優しく、大地に寄り添って生活することも意味した。大自然のトレイルを走ることと、環境や地球へのインパクトがより少ない植物ベースの食事をとることは、彼の中では同じように大地とつながる方法だった。スコットがメキシコの秘境まで行って一緒に走り、後にベストセラー『BORN TO RUN』で一躍世界的に有名になった“走る民族”タラウマラ族には、「大地の上を走り、大地と共に走れば、いつまでも走り続けられる」という言い伝えがある。それこそがまさに、スコット・ジュレクがいまボルダーで実践している生活そのものなのだ。

ライフスタイルとしての
EAT&RUNを伝えていきたい

何種類ものトマトと葉野菜を使ったビッグサラダに豆腐と椎茸のソテー、大ぶりのトマトのスライスと、昨日の残りというケールとナッツのサラダが庭のテラス席に運ばれて、豪華なヴィーガン・ランチが始まった。スコットは僕らが美味しそうに頬張るのを眺めながら、「それぞれのトマトの味の違いは分かるかい? このワサビ味のサラダ菜は?」と嬉しそうに訊いてくる。走ることと食べることを高い次元で調和させているスコット。でも、第一線で走ることをやめたら、そのバランスはどうなるんだろう? つまり、僕たちのように、週末に楽しみでトレイルを走るようになったら。

じつは先月のレッドヴィル100でスコット・ジュレクは有終の美を飾るんじゃないかという噂もあった。けれど「そんなことはない、まだ走り続けるよ」とスコットは笑って言う。「24時間走が次の目標なんだ。自分の持っているアメリカ記録を去年塗り替えられたから、取り返さないと」。あくまでも狙うのは頂点。でも同時に、あらゆるアスリートが直面するように、いつまでも自分がトップランナーのままではいられないこともわかっている。「今は移行期だと思っている」という彼が今年エチオピアに出かけたのは、現地の教育と視覚障害者への支援などの活動をするNPOに参加するためだった。国内でも、義手や義足を付けた人々がスキーやクライミングなどのアウトドアスポーツを楽しめるように尽力している。こうしたNPO活動には今後もっと積極的に関わっていきたいというスコット。アスリートとしてレースに傾けていた情熱を、より広い社会との関わりに向けていきたいと考えている。

同時に、人々が運動や食事を通して自分の身体を大切にし、健康な生活を送ることや、何かにチャレンジしてベストを尽くすための手助けをしていけたらと思っている。「ランニングというのは一見とても自分勝手なスポーツだけれど、一方で周りの人々に影響を与え、生き物や、地球に対してもインパクトを持つことができる。食べることも同じ。僕が思うに、それはみんなつながっているんだ」

スコット・ジュレック

スコット・ジュレック

世界的に著名なウルトラマラソンのチャンピオン。伝統あるウエスタンステーツ・エンデュランスラン7連覇、灼熱のデスヴァレーを走るバッドウォーター・ウルトラマラソンの2度の優勝、24時間走のアメリカ記録樹立(266.677km―1日でフルマラソンを6回半走る)などこれまでに数々の伝説を作り続けてきた。理学療法士、コーチ、シェフとしても活躍する。コロラド州ボールダー在住


EAT&RUN
もっと遠くへ、もっと自由に! 彼はなぜ、完全菜食主義者にしてウルトラマラソンの王者に君臨し続けたのか?ベストセラー『BORN TO RUN』に登場し、世界中のランナーを魅了しつづけるランニング界の「生ける伝説」が初めて明かす、食べること、走ること、そして生きること。極限を求め続けたランナーの魂の彷徨、ニューヨークタイムズ・ベストセラー!