1923年生まれの父親フリーマン・ダイソンは物理学者、1953年生まれの息子ジョージ・ダイソンは破天荒なナチュラリストで情熱的なカヤックビルダー。この対照的な親子のそれぞれの夢と葛藤が軸になる評伝だ。世界大戦を経験した世代であるフリーマンとカウンターカルチャーの申し子ともいえるジョージ、ただでさえ世代間の価値観の対立が際立つこの時代にあって、物理学者とカヤックビルダーではとても接点を持てそうにない。けれど、核爆発の推進力を使った星間旅行を夢見る物理学者と、アーキペラゴ(多島海)の水路を旅するシーカヤッカーは、どちらも浮世を離れ自らの夢に没入するという意味では限りなく似ている。あるいは似ているからこそ簡単には交われない。
評伝は父フリーマンのアカデミックな世界と息子ジョージのカナダ沿岸域の自然の中を行き来するが、著者のケネス・ブラウアーが環境保護団体『シエラ・クラブ』の代表だったこともあり、かなりの部分がジョージのナチュラリストとしての暮らしぶりとカヤック製作に占められる。
ジョージはブリティッシュ・コロンビアにツリーハウスを建て、できるだけモノを買わず、加工食品には疑いの目を向ける。ウォールデン湖のほとりに小屋を建て自ら孤独と清貧を選び『森の生活』を著したヘンリー・D・ソローの系譜に属するが、彼はソローよりも少ない金でツリーハウスを建てた。そして気候の厳しいアリューシャン列島に暮らしたアリュートたちのカヌー“バイダルカ”を復活させる。このカヌーで旅をする彼の姿勢は次のようなものだ。
アリュートたちが、あるいは昔シアトルからジュノーに向けて手漕ぎボートで渡ってきた探鉱者たちが、なにげなく日々繰り返していた離れ業こそ、彼をとらえて離さなかった。彼は昔の人がやったことに畏敬の念を抱いていた。昔に比べれば、我々はずっと劣った時代に生きている、彼はそう信じていた。
進歩史観を信じず、古(いにしえ)の技術を復元し我が道を行くジョージに対して、父フリーマンの星間旅行の夢は、大気圏及び宇宙空間での核爆発を禁止した核実験停止条約が1963年に結ばれたことでNASAが最終的なノーを出し、望みは消えることになる。
物語の終盤、親子はバンクーバー島と北アメリカ大陸の海峡に浮かぶハンソン島でキャンプをして過ごす。長い年月顔を合わせることがなかった親子は緊張感を持ちつつも、少しづつお互いを理解していく。そしてある事件を通して、父親は息子を認めるようになる。フリーマンが認めたのは、ジョージの強さだった。それはカヤックを漕ぎ、自然の中で長い時間を過ごしたジョージだから獲得したものだったのだろう。