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徳本一善


写真:YUTAKA/アフロスポーツ


1979年生まれ。法政大学時代、インターカレッジの1500m、5000m、10000mで活躍。その後、日清食品に入社。 2003年、2004年、日本選手権男子5000m連覇。2007年の東京マラソンで初マラソンを走り、2時間15分55秒で5位入賞を果たした。

選んだ人:涌井健策(Number)
https://number.bunshun.jp/

2002年、1月2日。箱根駅伝・花の2区で起きた法政大学のエースによる「涙のリタイア」が二重の意味で心に残っている。当時、徳本は4年生でキャプテン、絶対的なエース。前年は茶髪で1区区間賞を獲得し、テレビのインタビューでは奇抜なオークリーのサングラスをかけて登場し、当時高校生の僕は度肝を抜かれつつ大爆笑し、ファンになってしまう。だが、この年は序盤でスローダウン(腓腹筋断裂)、顔を歪めて走り続けようとするも、成田道彦監督が制止して途中棄権。そしてテレビの前では監督と法大陸上部同期の父親が、苦渋の決断をする姿に涙を流し、声をふるわせていた。注目を浴びる立場での棄権という駅伝のドラマ、そしてそのドラマに感情を揺さぶられている横の父親。画面の中と外、ひとりのランナーが生み出した2つの景色がいまも強く記憶に刻まれている。

廣中璃梨佳


写真:西村尚己/アフロスポーツ


2000年生まれ。2021年に行われた東京オリンピックの5000mを14分52秒84で走り、日本記録を16年ぶりに更新。さらに10000mでは31分00秒71で7位入賞を果たした(この種目では日本人選手として25年ぶり)。

選んだ人:三津家貴也(ランニングタレント)
https://mitsukatakaya.com/

先日現地で観た世界陸上女子10000m。遠くからでも分かるくらいの笑顔で、走る前にあんなに楽しそうにしている選手は初めて観た。もちろん走り自体も粘りのある走りで世界を相手に自己ベストで12位という結果でとても素晴らしかった。自分が選手だった頃は結果を出さなきゃいけないプレッシャーや義務感で走ることを楽しめてなかった。それをあの世界陸上の舞台でできることがカッコいいなと思った。世界陸上で多くの選手を見たが1番心に残った選手だった。

遠藤大地


photo by 和田悟志


1999年生まれ。帝京大学駅伝競走部に所属し、1年時より主力として学生三大駅伝に出場。箱根駅伝では4年連続で3区を担い、区間3位、2位、4位、4位と好走。2年時には3区の日本人最高記録(※当時1時間01分23秒)を樹立した。

選んだ人:和田悟志(フリーランスライター)
https://twitter.com/satoshiwada1980

育成力に定評のある帝京大にあって、1年目からエース級の活躍を見せたのが遠藤大地選手でした。2年目以降は苦しいシーズンを送ったこともありましたが、箱根駅伝には必ず調子を合わせ3区で快走を披露しました。何度も取材した選手ですが、普段の物静かな印象とは裏腹に、箱根駅伝の走りには鬼気迫るものがありました。区間賞こそ獲得したことはなかったものの、2年時には当時の日本人最高記録をマークしています。卒業後は惜しまれつつも第一線を退きましたが、本当に魂を削るように駆け抜けた4年間だったと思います。最後の箱根駅伝で湘南の海を背景に懸命に走る遠藤選手の姿が映し出されましたが、その映像が本当に神々しく見えました。