fbpx
トレイルランナー宮﨑喜美乃は、2022年秋にブルガリアで行われた〈ピリン・ウルトラ〉で女子優勝を果たした。UTMF2022に次ぐ女子優勝で、その強さを確かなものとして示したが、そのレースは決して簡単なものではなかった。宮﨑喜美乃自身による手記は、レースの展開と同時に彼女が心の強さを獲得していくプロセスが見て取れる。

白い大理石の山を讃えるピリンヘ

今にも雨が降り出しそうな厚い雨雲が、頭上に近づいてきた。山の上にいた私は雨雲と鬼ごっこをするかのように急いで山を降りていたが、ついに捕まった。木の下で大粒の雨が滝のように降る様子を幹に頬を当てながら、ぼんやりと眺めていた。すると、耳元からまるで水が水道管を勢いよく流れるかのような轟く音が聞こえてきた。雨水が、木の深部に流れ込み、根を伝い大地深くまで潤している様子が脳裏に浮かんだ。世界遺産ピリン国立公園の神秘的な部分に触れた最初の瞬間だった。

9月中旬、ブルガリアの南西に位置するピリン山脈を160kmに渡って駆け巡る山岳レース〈ピリン・ウルトラ〉に参加するため、ソフィア国際空港から車で2時間半の場所に位置するバンスコの街へやってきた。人口1.3万人の小さな街のどこからでも見える壮大なピリン山脈は、噂通り白い山だった。白いのは、雪ではなく山脈が大理石でできているからだ。今回の舞台であるピリン国立公園は、2,500m級の高山が60も連なるブルガリア最大の自然公園だ。起伏に富み、118の氷河湖が点在する豊かな湧水が特徴のピリン山脈は、一旦山の中に入ると直ぐに街には出られない山奥。大会コースの95%はトレイルだ。街に出ることは一切ない、そんな山奥の自然の中で走った35時間は、弱い自分と幾度となく向き合う旅となった。

旅の仲間たち

9月24日、ひんやりと冷え込み濃霧に街が覆われた朝の8時、石畳のバンスコの街をスタートした。先頭で走っていた私の横をすっと金色の長い髪を三つ編みでまとめた女性が追い越していった。髪を左右に揺らしながら走るその女性は、多くのランナーがジャケットはおって走る中、半袖で軽快に走っていた。

街を出るとトレイルに入り、やがてスキー場に突き当たる。まだ雪のないスキー場の斜面は岩がゴロゴロと点在し、多くのランナーの足取りを邪魔していた。事前のルートチェックのおかげで、この後すぐに細いトレイルに入ることを知っていた私は、歩きはじめたランナー達の横を足早に通過した。やがて前を走っていた金髪の女性に追いついた。その女性の横をスッと抜かすと、ぴったり私の後ろについてきた。ピリっとした空気が一瞬漂った。

女性が「どこから来たの?」と声をかけてくれた。ジャパンだよ!と答えると「すごく遠くから来たね!」と驚かれた。彼女の名前はレンカ、スロバキア出身だと言う。

山道に入る分岐に至ると気づかずロストしたランナーが見えた。コースから大きく外れてしまう。必死に呼んでいると、レンカが指笛を鳴らしてくれた。ピーウイ!と鷹を呼ぶような高い音が鳴った。300mほど先まで登ってしまったランナーは気づいて降りて来た。ウインクしてきたレンカにニコッと微笑み返して、わたし達は再びレースに戻るのだった。

難しいサーフェスと少ないコースマーキング

このコースは大きな登りをひたすら登り続け、山頂へ着くとひたすら降り続ける。日本には無い大きく長い山が6つある。足元の岩は大きく、足を置くとぐらっと揺らぎ、コースマーキングは限りなく少なく、手元の時計のGPSを頼りに進むべき道を確かめる。羊の糞が広い山肌一面に避けては通れないほど点在し、川をジャンプで乗り越え、ハイマツの中を藪漕ぎする。自分の山岳能力を試される素晴らしい山域だ。

前半の50km地点を越えた山場では大会のスタッフと思われる男性が『ホットティーはいるか?』と声をかけてくれた。手には大きめの水筒を持ち、ランナーたちを誘導している。わたしたちの体をなぎ倒すかのような猛烈な風が吹いていたが、雲一つない青空の山頂からは、これから向かう山々や、これまで走って来た山が見えた。ここを降れば次のエイドだよ、と指差す方を見ると、またも大きなぐらついた岩の斜面が、先が見えないくらい真下に続いていた。

美しい夕陽から、夜のセクションへ

黄昏時、一面岩だらけの斜面に太陽の温かい光が真正面から差し込んできた。日が沈む様子がとても綺麗だが、ぐらつく岩場と焦る気持ちで全く前を見ることが出来ない。ここまでの登りでレンカを引き離しトップを走っていたが、思い通り進めないことに歯を食いしばって走った。岩場から森の中へと景色は変わり、太陽の光が次第に木々の葉を真っ赤に衣替えさせた。しかしその魔法のような景色もあっという間に終わり、ヘッドライトの準備をする。

この区間はコースマーキングが全くなくGPSを常に見ながら進む必要があった。60キロ地点にある4つ目のエイド、セノコスに着いた時には、あたりは真っ暗で吐く息は白く冷え込んでいた。スタートから12時間が経過したのに、まだ半分にも達していない。この区間でかなり神経を使い、足も使ってしまった。サポーターにはバレないよう笑顔で話すが、内心もっと休みたい、疲れた、と声がもれそうになるほど疲労感を感じていた。

セコノスのエイドのスタッフの方々はとにかく陽気だった。スタッフたちはランナーであるわたしにお酒を勧めてくるほどだ。静かな山の中に長時間居た分、余計にここでの時間は居心地が良かった。ここは少し長めに休憩するか、そう甘えそうになった瞬間、あたりが賑やかになった。レンカが到着したことにすぐに気づいた。

強烈な眠気

重い腰を上げ、急いでエイドを飛び出しスピードを上げた。焦る気持ちがどんどん空回りしてく。この区間が勝負だ、そう思っていた気持ちとは裏腹に、予想以上の冷え込みとルートファンディングによる脳の疲労は、私に強烈な眠気をプレゼントしてきた。ふらつきが酷くなり、頬を叩き、頭を振り、大声で歌い、自分を鼓舞したがどうしようもならない。思い切ってライトを消し、仰向けになって横になり少し目を瞑ろう、そう思った瞬間に足音が聞こえてすぐ目が覚めた。レンカだ。アーユーオーケー?と聞いてくれた彼女に、アイム、オーケーと、答えるものの全く私の脳は言うことを聞いてくれない。

彼女とは常に抜きつ抜かれつ繰り返して来たが、ここで圧倒的な差をつけられてしまった。勝負どころと思っていた場所で大差をつけられメンタル的にも追い込まれた。

85km地点、マンドラータ小屋の暖炉の前で陣取るランナーたちが多くいた。レンカもその一人だったが、私がエイドに入った途端、荷物を背負い直ぐに出発した。持っているすべてのウエアを着込み、頭から足の先まで覆った。とにかく眠くて、とにかく転んで、朦朧としていた。

全く進まないGPSを見て、サポーターから連絡が入る。食べられているか?怪我してないか?吐き気はないか?そう言われて、初めて自分が吐き気で気分が悪いことに気がついた。人生で初めて自分の指を口に突っ込み、原因となる吐き気を対処した。すると意識がはっきりとして、再び走ることができた。ふと横を見ると、二頭の牛が真横で寝ていた。静かに私の様子を見てくれていた彼らに、ごめんねと謝り通り過ぎた。

勝負はこれから

朝、空が漆黒から淡い青色に変わった。よく耐えたね、と太陽が褒めてくれたかのように私の背中を勢いよく温めてくれ、私の目は潤んだ。このコース最高峰の2,662mへと続く登りは大きな岩肌が剥き出しとなっている。キラキラと輝く岩が、昨夜雪が降っていたことを教えてくれた。稜線に出ると、横殴りの激しい風が私の進行を妨げるように吹き抜けていく。髪が暴れ視界を邪魔し、岩をしっかり手で抑えながらではないと滑落してしまいそうなリッジを突き進む。ちょうど山頂でオレンジ色のまばゆい太陽の光を全身に浴びることができた。潤んだ目を一瞬で乾かし、寒さを吹っ飛ばし、強烈なエネルギーを与えてくれた。勝負はここからだ。

強い気持ちを取り戻し、115km地点のピリンハットへ向かうとサポーターから前に近づいているぞ!と教えてくれた。相手もこのピリンの大きすぎる自然を相手に奮闘している。見えない背中を目掛け、まだ寒い朝に上着を脱ぎ、半袖でスパートをかけた。息が上がろうが、足が痛かろうが、このピリン山脈を風を切って走りたい。歩きに来たんじゃない、走りに来たんだ!

広い高原から岩の急斜面が見えた。これが最後の大きな山だ。上の方に見覚えのあるピンクの服が見えた。きっとそうだ、レンカだ!まだ残り40kmもあるが関係ない、一気にペースアップして追いかけた。スピードを上げ、岩をよじのぼると、彼女はこちらを向いて座っていた。体調を崩して吐き続けているらしい。胃薬を持ってる?彼女のお願いにエマージェンシーキットから胃腸薬を取り出した。嘔吐の苦しさは十二分に理解できる。全部あげるから!と薬を渡すと、彼女はお返しにウインクをして投げキッスをくれた。二人で笑顔になった。なんて強い女性だろうか。辛くて苦しいけど、どうにかして乗り越えたい、その思いがトップ争いをしている相手にさえ助けを求められる貪欲さ、そしてユーモアを持ち合わせている。だから強いのか、私に無いものを教えてくれた。

追いつ追われつ

レンカと別れ、先を行く。最後のエイド、べズボグハットにはよろめきながら到着した。トップで来たことにサポーターたちはハイタッチで迎えてくれたが、身体はボロボロである。苦しさを隠すことすらもうできない。汚れ切った靴を履き直そうとした時、ピンクのTシャツ姿が小屋の窓から見えた。

え、うそ?声に出してしまうくらい、驚いた。一瞬にして緊張感が走った。残り28kmのラストスパートが始まった。レンカが全力で走ってくるのが想像できた。私は132kmを走ってきたことを忘れ、今から28kmのショートレースがスタートしたんだと頭に言い聞かせた。132kmも走って、ましてや31時間も走ってきてもまだ決着はわからない。トップで走り、追われた展開のレースはこれまで無く、すぐ後ろから来ているのではないか、と気になってしょうがなかった。登りはとにかく足を止めない、長い林道を歩きたくなっても、歩く動作は絶対にしない、とにかく走ることを頭にインプットさせて、走りに走った。

次のステージへ

34時間ぶりに山から降り、バンスコの街に戻ってきた。太陽は斜めから私を照らし、二日目が終わることを告げてきた。何度も何度もここで優勝することを夢見て来た。プレッシャーになろうが、何を言われようが、トップでテープを切ることが当たり前だと自分に言い聞かせてきた。街の人たちが手を叩き歓迎してくれて目が潤んだ。石畳みを抜けゴールゲートが見えた時、不思議と涙は消えた。これが私の始まりだ、やっと世界で勝負できるスタートラインに辿り着いた。まだまだ世界にはたくさんの知らない強い人たちがいるが、それでも私はその人たちと、同じように全力でぶつかりたい、そして勝ちたい、次のステージに行くぞ、そう思いゴールテープを切った。34時間36分05秒、〈ピリン・ウルトラ〉の旅が終わった。

ポケットの中にたくさんの経験を詰め込んで

いまや100マイルレースは世界に数多く存在する。数あるレースの中で私がレースを選ぶ基準が2つある。1つはトップランナーが集う中で自分のスピードを極限まで試す事にこだわれるレースだ。モンブランの周りを走るUTMBは、日本でも多くの人が完走することを憧れ、世界のトップランナーたちがこの日に向けて調整してくる、いわば世界選手権のような大会で勝負することは、アスリートとして極限の世界を追求できる無二の舞台だ。

もう一つの基準は”旅”の要素があるかどうか。有名なレースだけがレースじゃない。旅とは、非日常であり、ハプニング、出会い、絆、未知の世界、冒険、スリル、エキサイティングな要素がてんこ盛りだ。しかし私が感じる旅は不安要素の塊だった。知らない場所、分からない言葉、情報の無さ、できるだけハプニングが起こらないように対策をするのが私の旅だった。そんなネガティブな旅から、ポジティブな旅に変えてくれたのが、誰も知らないレースに出ることだった。自分の思い通りなんてならない、そう教えてくれるのが旅の面白さであり、私を強くするのだ。

冒険家・三浦雄一郎に教わった言葉がある。「旅はするものである。思い出、つまり経験というものは心のポケットから時々取り出して磨けるからである。それは、それ以後のいくつかの体験を経れば経るほど、人生の宝石としての輝きが(その体験が本物であれば)ますます輝いてくるものでもある」。私はこれからも、まだ誰も知らないレースに挑み、ポケットの中にたくさんの経験を詰め込んで、世界の舞台へと勝負するための武器として磨き上げていきたい。

EYES IN THE SUN:宮﨑喜美乃/Kimino Miyazaki:Pirin Ultra
YOUTUBEで公開中

プロウルトラランナー宮﨑喜美乃が、2022年9月23日ブルガリアの南西に位置するピリン山脈を160km駆け巡る山岳レース「ピリン・ウルトラ」に参加した様子をまとめたドキュメンタリームービー。