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園芸業界で植物の仕入れや装花、ディスプレイを担当していた井上隆太郎さんが、生産者に転身したのは2014年。無農薬・無化学肥料でハーブやエディブルフラワーの栽培を始め、その約1年後には千葉県鴨川市に家族で拠点を移した。鴨川で出合った土地や里山など範囲を拡大し、植物の「栽培と採取」をテーマにした〈苗目(なえめ)〉の活動はさらに本格的に。そして2023年の春、井上さんが長い時間をかけて進めてきた場所が、シェアファームや直売所&カフェという形で、一般に解放され始めた。

地域に開いた、オープンな場づくり

耕作放棄されていた農地を2年前に買い取り、始めたシェアファームは今年で2シーズン目を迎えた。F1品種の禁止、無農薬、無化学肥料をルールに、15組前後の申込者が各々で作物を育てている。棚田を修復した古代米作りも、これから子どもたちを巻き込んで田植え作業を一緒にやる予定だ。棚田の上には池を掘って山の水を溜め、田畑に水を送る役目を果たしている。

「敷地内の梅林で梅が採れたり、日本ミツバチの養蜂をしていたり、田植え体験もできる。自然のいろんなことが学べる場所にしたいと考えています。近所に外国人の方も住んでいるので、夏には一緒に英語の勉強を兼ねたサマーキャンプをやろうかと話していたり。放課後に子どもが外で自由に遊べたり、学童みたいな感じ。畑は一年でだいぶ土がよくなったので、今年はさらにいい野菜ができるんじゃないかな」

「土地を無理に整えてきれいな形を作るんじゃなくて、今ある環境を活かした再生の仕方を考えたい。ここも段々になっている場所があって、上は池、中腹に畑、下には川が流れているっていう起伏がある。平たく区画整備された畑の方が作業効率はいいから、こういう土地は放棄されやすいんですけど、逆にいろんなことができるし価値があるということも伝えていきたいです」

場内を歩いていても、いろんな発見があり、自然と触れ合える。湿地と乾いている場所の差、段差や境界線など、“エッジ”がたくさんあるほど、植物や動物にも多様性が生まれるのだ。

今年は敷地内にある築187年の母屋の改装に着手し、直売所とカフェ〈naeme farmers stand〉が4月にオープンした。縁側からの風が心地よいカフェでは、週末のランチ営業をメインに、無農薬野菜や苗目で栽培したハーブを使った加工品の製造を行う。メニューのテーマはオーガニック・ジャンクフード。地元の厳選した素材で、ラザニアやハンバーガー、タコスなど子どもたちがお腹いっぱい満足できるようなものを中心に提供していく。

採れたての苗目のハーブや無農薬で栽培された地元の野菜などが並ぶ。グローサリーの棚には、山で採取した梅の花を使ったシロップや、甘夏ビネガーに漬け込んだ木蓮の花のピクルス、ハーブクッキーやナッツ、在来種の大豆を利用した加工品などが充実している。

移住者だけが集まる閉鎖的なコミュニティよりも、地域の人とのコミュニケーションも大切にしながら、農を中心とした場所に。さらに観光客や都市部からやってくる人など、多様な人が行き交う〈naeme farmers stand〉は、農作物を適正価格で売買する場をもつという狙いもある。

「ここで販売している無農薬の野菜やハーブは、JAの買取価格や道の駅と比べると3,4倍の値段なんです。それは儲けるためにやっているわけではなくて、実際の農家の苦労や手間を計算した適正価格で販売したいから」

適正な価格を反映したとしても、都市部と比べると土地が安いぶん新鮮なものが安く提供できる。珍しい無農薬野菜、無農薬の米、形が均一でなくても、求めている人に届く。「売る場所さえあれば、無農薬で手間をかけて作ったものはきちんとした値段で売れる」ことは、直売所を通して地域の農家の人たちに見てもらうことができる。

「この直売所は無農薬のものしか扱わないから、(無農薬で)作ってくれたら買い取れますよっていう話を農家さんにもしているので。そうやって農薬に頼らない農業を地域でも少しずつ広めていけたらいいなっていう思惑です。農協の基準、トマトは大きくしなきゃいけないとか、米は真っ白じゃなきゃいけないっていう規格を守るために殺虫剤や除草剤を撒いたりする悪循環は、売る先がそこしかなかったから。僕がいくら言葉で無農薬の良さを説くよりも、実際に目で見た方が明らかですよね」

採取の拠点、里山の環境再生

〈naeme farmers stand〉に続いて井上さんが案内してくれた次の拠点。15分ほど車を走らせ、傾斜のきつい坂を登りきった先に、3年前から環境再生に取り組んでいる里山がある。

「もともと俳句の先生が持ち主だったということもあって、鑑賞目的ですばらしい花木たくさん植えてあったんです。でもこういった樹木たちは、人の手が入っていないことで全部死にかけたんです。高い杉が密に生えていて、光も風も入らないし、もう下はドロドロの状態。だからまずは、環境再生から始めました」

農地から山林に転用するために大量に植樹した杉の苗木は、30年の年月で30m級まで成長していたそうだ。荒れた里山に溝を掘り、バイパスを作って水を下に流す。そしてチェーンソー技術を取得して、2年で150本の杉を間伐・製材するという途方もない作業は、なんとすべて手作業だった。

「ここは重機を上に入れるのが無理だし、ユニックも入らないのですべてが地道な作業。1シーズンに200本とか一気に伐採しすぎると、木が吸い上げていた分の水が流れちゃうから、土壌が再生する速度と、倒す本数のバランスと、切っていく場所を計算しながら。そこはどうやっても早送りはできないことなんです。
杉を倒して再生されてくると、元から植わっていた紅葉、金木犀、梅、桜、柑橘類が少しずつ復活してきて。多分俳句のおばあちゃんが意図して作った、一つの場所で春夏秋冬の景色が見えてきたので、ああ面白いなって」

人が手を入れて息を吹き返した里山は、野草や山菜の採取、甘夏やゆず、みかんなどの柑橘類も収穫できるようになった。何気ないところに生えているものでも、井上さんの目にかかれば食材に。美女柳、冬苺、花茗荷、「これいい香りだから」と教えてもらい香りを嗅いで、口に含んでみるのが楽しい。

「ここが、収穫の拠点ですね。千葉に自生しているニッケイ(和製シナモン)の葉とか、香りのいい葉を採ってきて乾燥させてお茶にしたり。新芽を天ぷらにしたり。一瞬のタイミングでしか採れないものって山にはたくさんあるので。季節によって新芽が採れる時期もある。農場とシェアファームと山、この3つの場所をぐるぐると。里山は本当に食材の宝庫だっていうことをもっと伝えていきたいし、人が入って手入れをしていけば山も綺麗になるし、美味しいし、いいことずくめ」

自然に還っていくログビルド

薪材にしても持て余す量の杉をどうするか。ログビルダーと建築家の仲間に相談し、ログビルド計画が始動した。ボルトやナットなどを除けば90%以上自然に還っていく家が、もうすぐ完成する予定だ。

「採取する拠点を作るために里山再生を始めたけど、いざ始めると切った木を有効利用するためにはどうしよう?って。木を切るところからスタートして、しっかりした家が完成すればそれはなかなか圧倒的じゃないですか。やっぱり僕は、他の人にも『うちも裏庭あるからやってみよう』とって思ってもらいたいから。お金がなくても、チェーンソー1本あればできるんだよっていうところを証明したい。めちゃくちゃ大変なんだけど、でもやろうと思えばできるんで。30年、50年後には朽ちて腐っていくかもしれないですけど、でもそれでいいじゃないですか」

作るからには設計はきっちりと、丸太のミリ単位の調整も行う。水回りも自然に流せるように、毛細管ドレンチ(素焼きの管を繋いでいくと排泄物とかを途中で微生物が分解してくれる方法)を採用。Aフレーム※の構造は、雨水集水にも適し、溜まった水はトイレを流すのに利用できる。
※Aフレーム=A文字型の屋根は建材や施工の手間を節約できるセルフビルドやタイニーハウスに適したデザイン。

「まず基礎の地面のぬかるみをなくすまで半年、丸太で基礎作りをするまで1年半かかっている。倒した木を1本の梁にするだけで、丸一日かかるんですよね。ピラミッド建設みたいにみんなで押して、それをユンボを使って乗せてってやり続けて。基礎づくりだけですでに2年以上です。多くの人は荒れた里山とか農地を買うと、一気にお金を使って木を全部伐採して禿山にしてそこに新しい建物をどんと建ててしまう。でも木をすべて切った瞬間に、水はもちろん溢れてしまうし。あるものを利用してどうやって作るかっていうのを第一に考えないと。みんな焦りすぎですよね。すぐ完成させたいみたいな。3年かけてここまでしかできてないので。自分たちの手で作ったものが、(製材を買って、急いで作った家と)どのくらい違うのかって。しっかりしたもの作って、すごいなって思わせたいんです」

野原を目指したハウス栽培

最後に、「栽培」の拠点であるハウス農園の見学へ。高鶴山のふもとに合計1000坪の温室があり、約200種類の植物が中で育っている。ハウスというときっちり整列された窮屈そうなイメージもあるが、苗目のハウスで育つボタニカルは、ゆるやかな区画内で、生き生きと枝葉を伸ばしていた。加温や冷房は使わず、できるだけ野の環境に近づけながらも、安定した生産ができるようなバランスが保たれている。

「これオイスターリーフっていうの、食べてみてください。びっくりですよね、牡蠣(オイスター)の味なんですよ、不思議ですよね。この辺はセントジョンズワートっていう抗うつ剤にも使われる植物。これはストロベリーミント、苺ミルクみたいな味がするでしょ? この紫の豆はシュガーマグノリアっていう固定種のスナップエンドウです」

出合ったことのない植物の味わいに五感を刺激されながら、生産者である井上さんの解説に興味が尽きない。

耕作放棄地の課題解決に向けて

コミュニティの場である〈naeme farmers stand〉と、採取の場でありログビルド計画が進行中の里山。そして栽培のハウス農園の3つの拠点。井上さんに連れられて、一巡してみるとそれぞれの場所の相互性が見えてきた。

「いろんなことやっているね、ってよく言われるけど、僕の中では3つで一緒というか。もし里山がなかったら、ハーブの農場がなかったら、人に伝える場所がなかったら。みんなリンクして一つのものなんだよっていう意識でしたが、最近ようやくそれぞれが形になってきたところです」

そしてそれは、「耕作放棄地をなんとかしたい」という問題意識が出発点になっているーー小規模な農地の個人農家が、限られた面積でどのようにしてお金を生み出すか。薄利多売では大希望農業には太刀打ちできないとなると、農作物をただ作って売ること以上が必要だ。農家には技術と経験があり、良い環境や場所もある。相応の対価が得て『農家は儲からないから辞める』をなくすことが、巡り巡って耕作放棄地を出さないことにもつながる。

「決して人をだましてお金を取るとかではなく、そこに価値を感じてくれる人と農家さんを繋いでいきたい。畑に関わりたい人、自然に触れたいと思っている都会の人たちは、なんならお金を払ってでも体験を求めている。だから農地を有効に利用することから派生して、コミュニティ作りが必要なんです」

この場所を体験した人たちが、例えば自分の田舎に帰ったときに山でちょっと木を切ってみようかなとか、家の裏の畑ちょっとやってみようかなっていうアクションが生み出されていけば本望。結果的に全国で耕作放棄地が減り、自然破壊がなくなるみたいなことが起きたらいいなと願いながら、井上さんは実際に手を動かす。里山の環境再生のようにどんなに時間がかかっても、実践を続けていく。

「ここ2、3年くらい前までは、SNSなどもあまり発信していなかったのですが、今年はコミュニティの場から発信しようと思っているので。やっと栽培の農園も5年経って、山も手入れすることでどんどんきれいになって良い方向に変化している。ここからいろんな人が関わって、参加してくれればいいなと思っているところです」

井上隆太郎

井上隆太郎

〈苗目〉代表。千葉県鴨川市でハーブとエディブルフラワーの生産を中心に、環境負荷のない農業に取り組む。2023年4月からは、コミュニティファーム内に〈naeme farmers stand〉をオープン。ハーブや採取した植物を使った加工品、地域の無農薬農産物を扱う直売所と、カフェ、食と農に特化したイベント行う場所をスタートする。

〈naeme farmers stand〉

〈naeme farmers stand〉

千葉県鴨川市細野1125-1
https://naeme.farm
Instagram:@naemekamogawa