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久しぶりに海外選手を受け入れ、世界と繋がった〈Ultra-Trail Mt. Fuji 2023〉。そのゴールにひとりのランナーがたどり着いた。長年、市民ランナーとして走り続け、11位という好成績でゴールしたその選手の名は岩垂晋。そして彼をサポートしたのは〈OSJ KOUMI 100 2022〉で準優勝を飾った矢崎智也だった。これまで、多くの大会でパートナーとして支え合ってきた二人。今回は岩垂のレースをサポートした、矢崎による記録だ。

今年こそは必ずうまくいく

大会当日、スタート会場の富士山こどもの国は去年と同じように直射日光が強く暑かった。早めに合流して、僕らは室内で腰を下ろしてエイドワークの最終チェックをする。すでにエイドごとに小分けにされた補給食、スペアのウェアとシューズを選手から受け取って、スタートまでの時間をゆっくりと過ごした。

「山中湖きららまでどれだけゆっくり走れるか」

本人が一番わかっているはずなのに、いざスタートが近づくとその話題ばかり触れてしまう(おまけに、自分よりも遥かに経験豊富なランナーだ)。余計だとわかりつつも、自分が走るわけじゃない手持ち無沙汰なサポートは、つい何かしてあげたいという気持ちが勝ってしまう。

スタート地点には一年ぶりの光景が広がっていた。開会式を終え14:30の出走を見送ると、預かった荷物をもって車に戻り、サポート専用バッグに詰め替えてから車のエンジンをかける。私的サポートができるエイドステーションは去年同様に、F2の麓(51km地点)、F4の富士河口湖町精進湖(73.1km地点)、F5の富士急ハイランド(96.4km地点)、そしてF7の山中湖きらら(124.7km地点)の4箇所だ。長い一日の流れを簡単に整理して、ゆっくりと最初のサポート地点となる麓に向かう。

世界との再接続

Ultra-Trail Mt. Fuji 2023

パンデミック以降2度の中止と、国内在住者のみでの開催となった2022年を経て、今年は世界に接続されている大会としての魅力を改めて発揮した。

男子は初出場の Jiaju Zhao(チョウ・ジアジュ)、女子は2019年以来の出場となったFuzhao Xiang(シャン・フージャオ)の優勝で幕を閉じた。どちらも、本命にふさわしい安定した走りで、Jiaju Zhaoは19時間35分、Fuzhao XIANGは24時間14分でフィニッシュした。印象的だったのは2位の川崎雄哉で、最後までJiaju Zhaoを追い19分差の19時間54分という好記録を残した。歴代のトップと比べても遜色なく、記録上は2018年のDylan BowmanやPau Capell、2019年のXavier Thevenardとも近い。2019年大会に4位だった小原将寿が、同年のUTMBを8位でフィニッシュし表彰台に立ったことは記憶に新しいが、その事からも今後の川崎雄哉への期待値が膨らむ結果となった。

僕自身は縁に恵まれず、この大会をまだ走ることはできてないものの、大きな目標であり、夢として、出走を目指してきた。10年以上トレイルランニングを続けていると、見える景色が少しずつ変化する。トレイルランニングをはじめたきっかけはUltra-Trail Mt. Fuji(以下、マウントフジ)だった。それから、「いつか100マイルを走りたい」という夢は、僕の場合2019年に出場した信越五岳トレイルランニングレースで7年越しに実現した。

続けていくことで身体は強くなって、走れる距離はどんどん伸びていく。キツかったはじめての10kmは日常のルーティンになり、エントリーするレースの距離感はだんだんと麻痺していく。目標をクリアするとより高い目標を設定して、ハードなレースを求め続ける。ぼんやりと眺めていたマウントフジの表彰は、気づけば目標になっていた。不思議なことに、同じような仲間がまわりに多くいる。みんな続けてきた連中だ。

理想的なカーブを求めて

2023年4月21日、今日の主役は僕ではない。選手の名前は岩垂晋、彼も長く続けてきた屈強なトレイルランナーだ。たまたま近所に住んでいたことや、似たような走力(今は遠い背中を追っている)から、よく一緒に走るようになった。最近のトレーニング事情から、仕事や家族の話、本や映画の話をしていると、一日がかりのトレイルもあっという間に終えることができる。お互いに出場する大会で選手とペーサーをしたこともあり、選手としての特徴からパーソナリティまで、気心の知れた関係だ。

大会2週間前に、打ち合わせも兼ねて高尾のトレイルを数時間一緒に走った。たいてい、僕が後ろについていくのが普段のスタイルで、その日も同じように連なって走った。聞くまでもなく、後ろ姿とリズムから調子の良さが伺える。疲労度の確認と、エイドワークについていくつかすり合わせを済ませたら、本番にまつわるトピックはほどほどに、いつも通り最近のあれこれについて話しながら軽く汗を流した。

あえて聞かなくても、今年のテーマは決まっている。確認すること自体が、なんだかムードを下げてしまう。そんな気がしてならなかった。同じ目標をもって目指した2021年大会(中止)の頃から、僕たちは過去の大会で刻まれた、ある選手のリザルトに夢中になっていた。コースを思い浮かべながら、通過タイムを照らし合わせると、右肩上がりする美しいカーブが描かれる。こんな風に走れたら、きっと最高なんだろうな。

それは、端的に言えば序盤抑えて終盤に向けて上げていく。100マイルの本番は70マイルを過ぎてからというやつだ。言葉ではわかっていても、その通りに走ることは本当に難しい。そもそも100マイルという超長距離を走りきれるベースがあって、さらに半分以上は余裕をもって走る力がなければいけない。自分の走力を客観的に把握して、その上で意識的に序盤を抑えなければいけない。

マウントフジの場合、抑えながら賢く天子山塊を走ること。そして、後半に待っている杓子岳を中心とした連なりを辛抱強く進む必要がある。対照的に、中盤の走れる区間を飛ばさず、流されず、マイペースに進む。これがどれだけ難しいことか、現地でトップを走る選手を観察しているとよく分かる。

2019年、メディアとしてトップ選手をゴールまで追いかけた。選手に最も近い部外者として観察していると、距離が伸びるごとにトップ選手の表情がグラデーションのように変化していく。特に、山中湖きらら以降に余裕度の差が顕著に現れる。その経験があっただけに、神業のようなタイムチャートをトレースすることの難易度は走らずとも理解できた。

同じような走りが、今年の僕たちにできるんだろうか。

わずか15分のコンタクト

F2の麓はすでに暗く、トップの到着まで30分はあるというのに、すでに多くのサポートが集まっていた。スタート前の暑さはひいて、立っているだけだと肌寒い。サポートバッグに一通り詰めて、去年と同じ位置で待つことにした。シートの上にドリンクを詰めたソフトフラスク、次のサポート地点までに必要なジェルなど必須のものから並べていく。その次にタオルと替えのTシャツ、長袖とシューズを用意しておく。気温は安定しているし、着替えることはない気がするが念の為、すぐに選べるように並べておく。補給はあらかじめリクエストがあった味噌汁のほかに、おにぎり数種類といなり寿司、甘いものをいくつか持ってきた。まだ序盤なので、食べてもせいぜいおにぎりだろうか。

そうしているうちにトップが着き、止まらずに一瞬でエイドを抜けていく。少し離れて2位、さらに離れて3位以降のトップ集団が到着する。すでに疲れている様子の選手もいて、エイドの滞在がみんな比較的長い。走っていると暑くて湿度も高いようだ。手前のF1富士宮エイドからは27.2kmもあり、水切れした選手もちらほら出ていた。

トップの到着から1時間後に彼がやってきた。予定より10分ほど遅れているものの、だいぶ調子が良さそうだ。リラックスした表情で、ペースを抑えながらリズムよく走れている感じが伝わった。やはり暑いようだけど、あまり気にならずに動けているらしい。

・足に疲労は感じているか
・ペースは抑えているか
・ジェルはとれているか

軽く補給をしている間にコンディションの確認をしながら、ジェルとボトルをザックに詰め替える。立ったままサッと済ませて、「やることないからもう行くね」と言ってすぐに出発した。
「まだ抑えてもいいくらいですよ」と一応告げたものの、この様子だと心配なくきっと次のエイドでも同じ表情で会えるんだろう。

目標タイムの23時間がサポート業務となるが、実際に接するのはわずか4箇所で、時間にして15分程度。エイドに滞在している数分の間に、必要なサポートをしながら、余力を察知して適切そうな言葉をかける。ほとんど一緒にいないので、タイムと表情から疲労度を察知するしかない。どんな言葉をかけたって大して役に立たないと思いつつ、それくらいしか出来ることが見当たらない。前向きな言葉をいくつか用意しておく。そして70マイルまでは順位や前後差のことはなるべく触れないようにする。

深夜の時間帯になるF4の精進湖と、F5の富士急も順調にやってきた。「胃の調子が悪い」と言いつつも、必要なジェルは摂取して、見た限りダメージもなさそうだ。ほんの少しずつ疲れがうかがえるものの、富士急まではすでに96kmも走っている。何よりマイペースに走れている様子に安心した。

富士急エイドの次はいよいよ最後のサポートができるF7の山中湖きらら。エイドで迎える頃には日が昇って明るくなっているだろう。そこから本当の勝負がはじまる。自分との勝負であり、先行する選手をキャッチしていく本当のレースがはじまる。先に富士急エイドを出発していったランナーの表情を静かに観察して記憶する。次に会う山中湖きららで、それぞれがどんな様子でエイドに入ってくるか、予測しながら車で先回りする。

明け方の山中湖、すぐそこにあるはずの富士山はガスに覆われて姿が見えない。車のなかでゆっくりと待ちながら、去年サポートしていた日のことを思い出す。今年とは対照的に富士山は幻想的で、そしてレース展開は最悪だった。

序盤のハイペースが影響して、精進湖以降徐々に失速していった。富士急エイドでは疲労が色濃く、山中湖きららでDNFするつもりだという連絡が予めあった。エイドで迎え入れたものの、かける言葉が見当たらなければ、無理やり押し出すほどの勇気もなかった。くたびれた表情をみて何も言えなかったのは、良いサポートができなかった責任を感じたことと、自分が選手だとしたらきっと同じレース展開だったろうと想像がついたからだ。現実は厳しく、にくいほど美しい富士山が記憶に残る。

去年も作戦は同じだった。前半は抑えて、後半上げていく。今年と違ったことは、表彰台に登ることを目標としていた。事前の打ち合わせでも、はっきりと順位は口にしないものの意識はしていた。もっと正確に表現するなら、本人の意志以上にサポートとして夢を託したい気持ちが強かった。そんな苦い記憶があって、事前の打ち合わせの段階から今年は順位のことには触れず、理想的なタイムテーブルを再現するためのサポートをすることに集中しようと決めた。

燃えつきる、ということ

午前7時、去年と同じ位置で待っていると、タイムテーブルより10分早く到着した。控えめに言っても良い状態で難所を越えてきた。少なくとも去年の記憶は洗い流されて、本当のレースがはじまるスタートラインに準備万端な状態で立つことができた。

靴下だけ履き替えて、テキパキと準備を済ませたらすぐに出ていった。気の利いた一言でもかけたかったが、言葉が喉につっかえて上手くいかなかった。サポートはここで終わり、あとは本人を信じるのみ。そしてここからが本当の勝負。自分との勝負であり、他者との勝負となる。

F9の富士吉田(150km地点)から最後の一山となる霜山に入る手前。遅れて到着した彼の奥さんと合流し、最後の応援のために路上で待っていた。ここまでのレース展開を伝えると、奥さんも嬉しそうにしている。そうしていると予定より早くやってきた。前を走るどの選手よりも力強く、自分の走りに集中している。さっと声をかけ、後ろ姿を見送る。

ゴールまであと10km、順位は現在11位。

あと一人で表彰台。なんとか届いて欲しい。同時に、すでに順位は関係ないという気持ちもある。このペースで進めば間違いなく目標タイムを超えるだろう。理想的なレース展開と、確かな表情を追っているとすでに答えはでている気がしてくる。勝ち負けを競うわけではないウルトラトレイルにおいて、「納得感」以上の指標はあるんだろうか。

ゴールにたどり着いた時、本人にとって満足のいく結果なのかどうかはわからない。ただ少なくとも、僕らは結果を受け入れた上でしか前進することができない。ひとつの納得が土台となって、次の目標をまたひとつ目指していく。

2012年5月19日、Ultra-Trail Mt. Fuji史上最初の選手としてJulien Chorierがゴールした。まずはひとりのランナーが完走できた事実に、実行委員長の鏑木毅が安堵した。以降、毎年多くのランナーがゴールテープをきってきた。

2013年 原良和は日本人初の優勝者となり、山屋光司は2年連続表彰台に立った唯一の選手となった。
2014年 男子はFrancois Dhaeneが、女子はNuria Picasが、世界トップの実力をみせつけた。
2015年 秋に開催され、ベテランのSébastien ChaigneauがSTYをトップでゴールした。
2016年 大雨で短縮となったレースはFernanda Macielが制した。
2018年 Dylan Bowmanが劇的な大逆転の末に優勝した。
2019年 気迫あふれるLiang Jingの走りと、降雪による中止が記憶に残る。
2022年 宮﨑喜美乃はゴールとともに右手を高く突き上げた。

世界中のトップアスリートが歴史を築いてきたと同時に、アマチュアアスリートの夢の舞台として毎年多くの挑戦者を受け入れ、日本のウルトラトレイルの裾野を広げてきた。あるランナーにとっては初めての100マイルレース挑戦として、あるランナーにとっては限界を押し上げるために。富士山をぐるりと囲むように長い轍が続いてきた。

ノンフィクション作家の沢木耕太郎は短編集『敗れざる者たち』のなかで、『クレイになれなかった男』として未完のボクサー・カシアス内藤を取り上げている。類まれな才能を持ちながら、最後まで発揮することなく幕を閉じたボクサーの挑戦を綴った作品だ。著者の沢木はカシアス内藤をこのように表現する。

以前、ぼくはこんな風にいったことがある。人間には「燃えつきる」人間とそうでない人間の二つのタイプがある、と。
しかし、もっと正確にいわなくてはならない。人間には、燃えつきる人間と、そうでない人間と、いつか燃えつきたいと望みつづける人間の、三つのタイプがあるのだ、と。
望みつづけ、望みつづけ、しかし「いつか」はやってこない。内藤にも、あいつにも、あいつにも、そしてこの俺にも……。

急所を突くような言葉に胸が痛くなると同時に、こうも思う。目標を達成すればさらに高い目標を設定して登り続けるトレイルランナーという人種にとって、「燃えつきる」瞬間とは何だろうか。白黒はっきりするものではないこのスポーツにおいて、ひとつのレースで答えがでるとも限らない。望みつづけ、望みつづけ、挑戦し続けたある瞬間に振り返って気づくことは多くある。「いつか」はやってこないかもしれない。ただ少なくとも、続けたものにしかチャンスはやってこない。続けたものだけが、振り返って自らの轍を目にすることができる。

もうすぐゴールにたどり着く彼にとって、今日が「燃えつきる」日になることを、小さくなる背中を眺めながら声に出さずに祈った。

矢崎智也

北海道出身、高尾在住。 ウルトラディスタンスを中心としたトレイルランニングに情熱を捧ぐ。 markでは過去にエッセイ『コーヒー ランニング ハートビート』を寄稿したほか、オンラインコーチングサービス〈Tomo’s Pit〉内のBLOGでランニングにまつわる連載をしている。 最近では、2023年2月に広島県尾道市で初開催された〈せとだレモンマラソン〉の大会ディレクションを担当するなど、走ること以外での表現方法を広げている。