人類の特徴として真っ先に思い浮かぶのは、大きな脳を持つということだろう。そのわたしたちのアイデンティティをもたらしたのが、料理だとする説がある。食物をすり潰したり、火を用いて焼いたり、煮たりすること、つまり料理をすることによって、食物は化学変化を起こし、吸収しやすくなり、充分な栄養を得られるようになる。それによって、人類の脳が大きくなったという説だ。つまり料理として咀嚼や消化を外部委託することで、効率よくエネルギーを得ることが可能となった。『人間は料理をする』という日本語タイトルは、料理が人間らしさの源であることを端的に表現していて、もしかしたら原題(cooked – A Natural History of Transformation)よりもこの本の本質を表しているかもしれない。
著者のマイケル・ポーランは、この中で料理をさまざまに定義、表現して見せる。いわく「生の食材を栄養のある魅力的な食べ物に変えるあらゆる技術」あるいは「単純なものが複雑なものへ姿を変えていく連続的なプロセス」、そして料理人は「自然と文化の真ん中で、変換と交渉のプロセスを取り仕切っている」という。こう言われてみると料理がなんだか壮大な人類の文化的な営みのように感じられないだろうか。味噌汁一杯にも先人たちの知恵と現代の作り手の工夫が満ち溢れている。
この本はこうした文化人類学的なアプローチと同じくらいのボリュームを著者の料理修業体験に割いている。火、水、空気、土という四元素になぞらえてバーベキュー、煮込み料理、パン、発酵食品の作り方を学んでいく。煮込み料理の章では、身体を動かすことと料理の類似性が語られていることは、COOK&RUN特集のエディターズノートにも記した通りだ。ユーモアに満ちた著者の修行を追体験していると、むずむずと料理がしたくなってくるから不思議だ。
その料理修業の間にも様々なリサーチの成果やデータが示される。なかでも興味深いのは、料理にかける時間と健康とのつながりを調べた研究だ。加工食品の大量生産のおかげで多くの食品のコストが下がった。そのコストには価格だけではなく、それらを作る“時間”というコストも含まれている。経済学は何かのコストが下がればその消費が増えると教える。つまり、食事を作る時間が減ったことで、むしろより多く食べるようになり、健康を損なっているというのだ。1970年代以降、米国では1日あたり500キロカロリーも多く消費するようになったという。
わたしたちにできることは時間を惜しまず料理をすることだ。そしてその料理を味わって食べること、できることなら愛する人たちと一緒に。そうすれば自ずと健康に恵まれる。そのきっかけをこの本は与えてくれるに違いない。