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雑誌版の〈mark〉は2013年に創刊しました。その時の特集テーマは“EAT&RUN”、伝説のヴィーガン・トレイルランナーであるスコット・ジュレクの著書『EAT&RUN 100マイルを走る僕の旅』をヒントに食べることと走ることが密接につながっていることを紐解きました。コロラド州ボルダーにスコットとジェニー夫妻を訪ね、一緒にファーマーズマーケットで買い物をし、自宅で料理をふるまってもらったのは良い思い出です(オンラインでもこちらに当時の記事をアーカイブしています)。

今回の特集ではそれを一歩先に進め、単に提供されたものを食べるというだけでなく、料理をするということと走ること、身体を動かすことの関連に迫ってみたいと思います。つまり“COOK & RUN”というわけです。

インスピレーションをくれたのは現代社会と人との関係性を実体験を伴いながらユーモアを交えて伝えてくれる稀有なノンフィクションライター、マイケル・ポーランによる『人間は料理をする』です。彼は「料理は人類最大の発明である。人類は料理のおかげで高度な文明を築けた。しかし今、加工食品を買い、料理をしない人が増えている。これは人類に重大な影響をもたらすのではないか?」と問いかけています。この本が書かれた2013年当時、典型的な米国人が料理に費やす時間はわずか27分で、後片付けは4分で済ませていたそうです。1965年にはその倍の時間をかけていたといいますから、わずか50年で一気に人々が料理をしなくなったことがわかります。そのベクトルは不可逆的に見えました。しかし、このコロナ禍で人々は料理をする喜びを取り戻しつつあります。

ステイホームで注目された料理と身体を動かすこと、このふたつには人間の本質に迫るものがあるのではないか?そんな仮説が今回の特集のスタートでした。けれど、実際に取材を始めてみるとなかなかその両者の関係性がうまく溶け合っていかない不安を覚え始めました。料理をする人、身体を動かす人はもちろんクロスオーバーしているのですが、彼ら自身もその両者を結びつける言葉を持ち合わせていない場合が多いのです。

そんな時に『人間は料理をする』を読み返すと、第2部『水ー七つのステップのレシピ』にヒントがみつかりました。著者がUCバークレーの教え子であり地元の若い料理人であるサミン・ノスラットから煮込み料理の手ほどきを受ける場面です。サンフランシスコ・ベイエリアを代表する(というより米国を代表する)レストラン〈Chez Panisse〉で学んだサミンは素晴らしい料理は3つの『P』からできているといいます。

ー「つまり根気(patience)、存在(presence)、そして練習(practice)よ」とサミンは言う。彼女はヨガを熱心に学んでおり、料理とヨガに求められる精神には相通じる部分があると感じている。玉ネギを刻んだり炒めたりするのは、その精神を磨く最良の機会と言えるだろう。玉ネギを刻む「練習」、じっくり炒める「根気」、電話が鳴ったりぼんやりしたりして、うっかり焦がしてしまわないよう、フライパンから目を離さずそこに「存在」すること。(『人間は料理をする』より)

存在(presence)という言葉は少し難解な感じがしますが、これは「いま、ここにある」、「いま、ここに集中する」という感覚のことだと思います。走り続けて気がつくと「無」になっている瞬間、波に乗って海と一体になっている感覚、まっさらなパウダースノウに描く美しい軌跡が脳裏に浮かぶその時、そうしたものを求めて身体を動かすことを続けている方は多いと思います。そのpresenceの感覚こそが、料理と身体を動かすことの最大の共通点であり、コロナ禍において多くの人々がこのふたつに救いをもとめた理由なのではないでしょうか。

そしてその仮説を裏付けてくれたのが、今回取材した日本橋のベーカリーカフェ〈Parklet(パークレット)〉のケイトでした。書籍に登場したサミンと同じように〈Chez Panisse〉や〈Tartine Bakery〉(過去に取材した記事がこちらにあります)といったレストランを中心としたサンフランシスコ・ベイエリアの食コミュニティに属していた彼女に「コロナの間、全米でサワードゥ(酸味の強い天然酵母のパン)作りが流行したと聞いているけど、パン作りには人々を癒す力があると思いますか?」と訊ねました。すると、彼女はこう答えてくれたのです。

「そのことについては考えたことはなかったけど、興味深い質問ね。答えはイエス、完全に。なんていったらいいか、パン作りはとてもmeditative(瞑想的)なの。私にとってパンを作るのはひとつのことにfocus(集中)すること。他のことはどこかにいってしまって、present(いま)しかなくなる。パンは、小麦粉、水、塩というたった3つの材料から、さまざまな結果が生まれる魅力的なもの。こうしたことは本当に多くの人の助けになったと思う」

直感から生まれた企画“COOK & RUN”ですが、どうにか筋道が見えてきたようです。料理と身体を動かすことに共通する集中力とpresenceの感覚、どちらもいまの時代に決定的に必要な要素だからこそ、世界的な不安が高まった時に人々が自然に求めたのではないでしょうか。料理をする人ならきっと身体を動かすことの価値に気づくことができるはずだし、逆もまた然りです。“COOK & RUN”という特集が、いま必要なpresenceの感覚を養う一助になれば幸いです。

COOK & RUN 増刊号は3月15日配信


今回の特集『COOK & RUN』は魅力的な取材対象が多く、一度の配信では盛り込みきれませんでした。という訳で今月は15日に増刊号を配信予定です。

増刊号では、世田谷区代沢にオープンした〈HOMECOMING VEGAN SICILIAN PIZZA〉をパートナーと共同経営するキャサリンさんが取り組む自家製酵母やクロスフィットのお話を伺います。練馬区春日町の〈コンビニエンスストア高橋〉の高橋さんとは、登山をご一緒してきます。また、ワインで人と生産者をつなぐ〈KIKI WINE CLUB〉の埼玉県小川町での活動の様子を紹介。

料理と身体を動かすことをさらに深掘りします。