〈pignon〉の吉川倫平さんに続き、編集部が料理とスポーツをテーマに取材した人物はアーンショー・キャサリンさん。フィラデルフィアから酵母とオーブンとともに日本に渡ってきた彼女は、パートナーと協力して今年の1月にヴィーガンピザのお店をオープンさせたばかり。住宅街の一角で「PIZZA」の看板が目を引く〈HOMECOMING VEGAN SICILIAN PIZZA〉のウィンドウには、2人で研究を重ねたシチリアンピザとクッキーが並んでいる。毎日の仕込みや営業で慌ただしい日々でも、ストイックなトレーニングを欠かさないキャサリンさんの、ある休日の1日に密着した。
理想を求めて二人三脚で研究した、懐かしいあの味。
― まず〈HOMECOMING VEGAN SICILIAN PIZZA〉はどんなお店ですか?
天然酵母による生地を使った、オールヴィーガンのシチリアンピザのお店です。2022年の1月にオープンしました。シチリアンピザは、アメリカ東海岸ではとても馴染み深いピザです。“シチリア”と言いながらもイタリアにはなくて、その昔にイタリア系の移民が、ニューヨークやロングアイランドでアメリカ人が好むようなピザを作ったのが発祥だと聞きました。ニューヨーク、フィアデルフィア、ロングアイランド……東海岸の街には、おじさんが営んでいる昔からあるピザ屋にあるような、すごく庶民的な存在。スクエア型で生地が厚いのが特徴です。
シチリアンピザは、普通のピザと違って型に入れて焼くから時間がかかるので、ホールピザの購入はうちのお店では事前予約制。スライスは店頭でテイクアウトできます。お菓子もすべてヴィーガンで、2種類のクッキーと、ブラウニーやクラムケーキなど週替わりで何種類かを出しています。
― シチリアンピザはアメリカ東海岸のソウルフード的な存在なんですね。
そうですね。アメリカはピザのことを何故かパイって呼ぶんです。だからマリナーラのことは「トマトパイ」。「アップサイドダウン」と呼ばれるピザも本場では定番で、チーズを下に敷いて、ソースを上からかけて焼く普通とは逆の形です。でもうちのお店では、あえてその形は踏襲せず、わかりやすい普通のピザのスタイルにしています。やっぱり上にチーズ載せないとピザって分かりにくいだろうし、自家製のビーガンチーズが売りなので。まだまだ東京で知られていないシチリアンピザを「これなんだろう?!」って好奇心を抱いてもらえるように、トラディショナルな形から私たちなりにアレンジしています。
― そんなシチリアンピザのお店を、東京で出店した経緯は?
シチリアンピザのお店にしようと思ったのは日本に来てからです。パートナーであり共同経営者のフランシスの影響が大きいです。彼はニューヨーク出身で、シチリアンピザが大好き。子供の頃からずっと食べて育ったそうです。2人で一緒に住んでいたフィアデルフィアのお店のトマトパイが本当に美味しくて、よくテイクアウトして公園で食べたんです。
2021年、新型コロナウイルスが流行し始めたころ、私たちはまだアメリカにいました。飲食店も閉まっているし自宅で過ごす時間が増えたのをきっかけに、趣味だったパン作りの延長で、今度は家でピザにチャレンジしてみようと。早速ピザオーブンを買って、初めはナポリタンピザを作ってみたらすごくハマっちゃって。そのあと日本に戻ってきて、アメリカで使っていたオーブンと酵母も一緒に持ってきたんです。酵母は乾燥させて飛行機で一緒に(笑)アメリカで食べてたシチリアンピザが恋しくなって日本で作ってみたら、友だちからも「こんなピザ見たことない」って反響があったので、面白いかなって。もともと2人でヴィーガンのお店をやろうとしていたんですが、それがどんな形になるのか考えていたときに「これだ」って思って。
―〈HOMECOMING VEGAN SICILIAN PIZZA〉のピザのポイントのひとつは生地ですか?
酵母は繊細なので、そこが難しいですね。気温や湿度にも気を使います。生地を混ぜてから1日寝かせて、そこからまた低温発酵させた後に使う当日にも発酵させなきゃいけない。生き物みたいですよね。酵母によって味や仕上がり、弾力とかが全然違うのでとても大事な要素です。
あとはやっぱり自家製のチーズ。とても苦労して研究したので、誇りに思っています。日本ではヴィーガンチーズって全然手に入らないし、手に入ったとしても理想のチーズからは程遠い。だからフランシスと2人で、一から数ヶ月かけて研究を重ねて作ったものなんです。詳しいレシピは企業秘密なのですが、オーガニックの豆乳を原料に作っています。
― すごい、チーズから手作りなんですね。
アメリカでは本当にたくさんの種類のヴィーガンの食材が売っていて、ヴィーガンチーズも1種類だけじゃなく、多種多様。スーパーに行くと、必ずいろんなヴィーガンチーズがあってしかも美味しいので、向こうで食べたチーズの味に近づけたくてたくさん研究を重ねました。
― 研究タイプ、というか凝り性ですか?
そうですね、パンにハマる前はヴィーガンのお菓子作りに夢中だったので、ヴィーガンベイキングのオンライン教室に1年通って勉強していました。ピザもそうですけど、コロナ期の在宅中に、この時間を利用して「究極的に理想のクッキーを作ろう!」と思って、パートナーと夜な夜なクッキーを作りながら、「これが違う」「あれを調整したい」って……。もしかしたら1年くらいかかったかも。クッキーってシンプルだからこそ難しいんですよね。時間がかかりましたけど、最終的に理想にたどり着いて、ピザもクッキーも二人の共同プロジェクトでした。お店で出しているクッキーは「チョコレートチャンク」が入っているのが特徴で、チョコチップよりもざっくりとカットしていて、食感や焼き上がりが違うのでぜひ食べてみてください。
未来の身体のために欠かさない習慣
― 一日のルーティンを教えてください。
営業日の3日間は朝6時からお店で作業しているので、ワークアウトはできていないんです。お店が休みの日は、朝7時に起きて、真っ先にトレーニングを1時間します。朝ごはんを食べて、シャワー浴びてから仕込みのためにお店に向かいます。クッキーなどの焼き菓子を他のお店に卸しているので丸一日ずっと仕込みをしていたり。今は基本ずっとお店に居て、夜に帰宅します。
― 自宅でのトレーニングはどんな内容ですか?
もともとアメリカでクロスフィットを8年くらいやってたんです。始めたのは28歳ごろだったかな。ニューヨークで会社員だったころは、朝5時に起きて、クロスフィットのジムで1時間やってから出社するのがルーティンでした。東京にもクロスフィットジムはいくつかあるけど、私たち身体のタトゥーの関係でジム行けないんですよ。隠さないとダメなんですが、長袖も暑いし着たくないので。じゃあ家でやるしかないね、って器具を買って自宅トレになったんです。家でやっているのは厳密にはクロスフィットではないですが、長年やっていたおかげで知識があるので、自分たちなりにやっています。
― つらくても続ける、そのモチベーションはどこから湧いてくるんですか?
クロスフィットをジムで始めたての頃は、つらかったですよ(笑)。身体へのインパクトも大きくて、手も震えてましたけど……。華奢な私の身体でも、「こんなに重いのが持てるんだ」っていう感動と、自分自身の成長が面白いなと思いました。あと、ジムでは少しでも休憩しようとしたらコーチがビシバシ言ってくるのが、私は結構ハマってて。モチベーションというより、今はもう生活の一部。やらないと逆に気持ちが落ち着かないし、続けて維持することのメリットをよく知ってるから。1日3食ヘルシーに食べるのと同じです。運動もサボると、身体に影響がすぐ出てきちゃう。運動直後はすごく疲れるけど、逆に”疲労感”が取れるんですよね。身体とメンタルを整えていくには必要なこと。今日はキツいなって思う日もあるけど、ちゃんとやり遂げた達成感はいつもある。
― ふだんの食事はどんなふうに気をつかっていますか?
私たちが提供しているのはピザやクッキー、ケーキとかちょっとジャンクなもの。だからこそヘルシーとのバランスが大事なんじゃないかなと思います。「ヘルシーじゃなきゃ」って思いすぎちゃうと苦しくなるし、美味しいと思ったものは食べたいっていうスタンス。私自身、甘いものが大好きです! ヴィーガンクッキーだから普通の卵やバターが大量に入っているものより身体に負担は少ないけど、それでもやっぱりお菓子なんですよね。油分と砂糖は含んでて、カロリーも多い。だからこそ、普段からしっかり野菜とタンパク質も摂って、その上で甘いものを食べる。一度きりの人生、食べたいものは食べないと。
― ヴィーガンだから、少しヘルシーでたくさん食べても大丈夫?
ヴィーガンだからというよりは、甘いものやジャンキーなものを食べすぎなければいいかなって。私たちにとっては、もうヴィーガンの食生活がスタンダードなので。私はもともと、ベジタリアンだったんです。アメリカでいろんな文化や人に触れて、そこで初めてヴィーガンの存在を知りました。ヴィーガン歴25年のフランシスと出会って、彼の食べ方を近くで見ていたら、全然苦しそうじゃないんです。私は乳製品が好きだし、お菓子作るのにも欠かせなから、きっとできないなって思ってたんですけど、アメリカの食材の代用品の種類の豊富さが背中を押してくれました。彼が「ヴィーガンになって」と言ったわけではなく、私自身が「やってみようかな」と思って試してみたら、そのまますんなりとヴィーガンが当たり前に。そういう意味で日本は選択肢が圧倒的に少なくて難しいです。
― 日本では代用品が少ないですよね。どうやって手に入れているんですか?
チーズみたいに自分で作ることが多いですね。乾燥品なんかはiHerbみたいな輸入系も利用します。特にお肉の代用品が、日本はとても遅れていて、あるとしても大豆ミート止まり。それがアメリカだとソーセージそっくりそのままのもの、バーガーとか、いろいろ豊富で見分けもつかないくらい。
「美味しい」が前提にあるヴィーガン
― 料理を始めたのは何歳くらいからですか?
15〜6歳くらいから1人暮らしを始めていたので、料理自体はその頃から。クッキーやケーキなんかのお菓子も、その頃から焼いていました。義務感ではなく、自由に楽しんでましたね。日本でモデルとして活動していて、23歳でアメリカに渡って服飾デザイナーとして会社勤めをしていました。料理はその間もずっと趣味で続けていました。
― 服飾と料理、また日々のトレーニングなど身体を動かすことに共通点は感じますか?
服飾と料理は共通点があると思います。運動はまた違うと思いますね。楽しい面もあるけど”楽しい”より”つらい”の方が割合が大きい。でも身体を動かすのは、未来のメリットを考えて。今現在はもちろんだけど、10年後、20年後、30年後の自分の身体が絶対喜ぶから。それに比べて服飾や料理はもっと瞬間的な喜び。作る喜びと、分ける喜び。誰かに食べてもらったり、服だって人に着てもらうものなので、私の中では違うかな。
― 運動効果は他人と共有できないものですからね。
そうですね、本当に自分だけのことだから。だから将来を考えてやり続ける。料理は、人に食べてもらうことがすごく私は好きなので、こうしてお店でお客さんに食べてもらえることが喜びです。自分のためだけに作るのは、ちょっと味気ない感じ。
― お客さんはヴィーガンの方が多いのですか?
実は驚くくらい、客層はヴィーガンではないんです。近所の方とか、常連さんとかも多くておそらく6〜7割はビーガンじゃないと思うんですよね。それがとてもびっくりで、同時に嬉しいことでした。「ヴィーガンなんです」って説明しても、「じゃあいやだ」ではなく、逆に「そうなんだ、じゃぁクッキーも食べてみよう」って。日本では反応悪いかなぁとも思ったんですけど、逆に興味をもってくれて。それが予想外に、いちばん嬉しいですね。「ヴィーガン」の文字もウィンドウに小さく一言あるくらいだし、ヴィーガンを前面に押し出してはいないんです。ただ「美味しいもの」があって、さらにプラスで「ヴィーガン」なんですよって。その前提の考え方をすごく大切にしています。