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1972年、ヨセミテでクライミングに革命が起きた。それは自然の岩にできるだけダメージを与えない「クリーンクライミング」というスタイル。パタゴニアの創業者であるイヴォン・シュイナードを始め、多くのクライマーが賛同したこの理念は、50年たった今も様々なクライマーに受け継がれている。パタゴニア・クライミングアンバサダーである横山“ジャンボ”勝丘さんもその1人だ。そんな横山さんが長年実践してきたのが、トラッドクライミング。クリーンなだけではなく、かつてない自由度を内包するこの登り方に、屋久島というフィールドが結びつくことで、さらなる可能性が見えてきた。

道具が介在することでより創造的になる

「子供の頃から30年間変わっていないんですが、自分の知らない世界を見てみたい、誰も行ったことがないところに行ってみたい、という思いが常に行動の根底にあります」

未知のラインを求め、世界中を巡っているクライマーの横山“ジャンボ”勝丘さん。これまでの経歴にはパキスタン・K7西峰西稜初登攀、カナダ・ローガン南東壁初登など、冒頭の言葉通り誰も見たことのない世界を体感してきている。ただし、そういった高所でのアルパインクライミングだけではなく、家の近所の河原に足繁く通い、新規のボルダリングエリアの開拓も続けているのが横山さんのスタイルだ。

「近所の岩にさえ未知のラインがある。ちょっと掃除してみただけで美しいラインが見えたり。そういう風に、誰も知らない道を探すという行為が自分にとっては登るという行為と同等の意味を持つんです。それは高所の壁でも近所に転がってる岩でも一緒です」

一貫して未知を求め続ける横山さんが、長年注目してきたのがトラッドクライミングだ。

あらかじめ中間支点にボルトが打たれたラインを登るスポーツクライミングがいまの日本の主流だが、トラッドクライミングではボルトの代わりにナッツやカムといった特殊な道具を使う。これをクラック(岩の割れ目)に効かせることで支点を取っていく登り方だ。リムーバブルプロテクション。文字通り脱着できる確保方法だから、ギアをすべて回収していくのも特徴。これまで日本でトラッドクライミングをやる人間は多くなかったが、近年はギアの発達もあって、注目されつつあるスタイルだ。

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「パタゴニアが提唱しているクリーンクライミングにも通じるんですが、ボルトを打つことで岩や壁を破壊していってしまうスポーツクライミングと違って、トラッドクライミングはそういったインパクトを残さない。でも僕の場合はそれだけではなくて、トラッドクライミングの持つ自由度とか、未知性というものに惹かれます」

トラッドクライミングには、横山さんが幼い頃から求め続けている、自分だけのルートを見いだしやすいという側面もあるのだ。すでにボルトが打ってある壁を登る際には、どうしてもそれをなぞるという行為になってしまうが、トラッドクライミングの場合はそれとは段違いに自由度が高い。

「どこに支点を取るか、というところから自分で決める。そして自然の壁を見て、ナッツを使うのか、それともカムを使うのかなど使う道具も判断します。人によって、技量によって、登り方にもバリエーションが出てくる。だからクライマーごとの独自の感性を、壁を登ることで表現しやすいんです」

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トラッドクライミングにとって、ギアとは行動を規定するものではなく、自由度をより高めるものなのだ。地球上に未踏のピークがほとんどなくなったいま、横山さんは登るという過程を楽しむことを大切にしている。そういう意味でもトラッドクライミングの自由さは横山さんを引き付けた。

「トラッドクライミングには可能性がたくさんあります。例えば登り尽くされたボルトルートだとしても、それをもう一度“トラッドクライミングで登る”という目線で見てみるとまったく別のものになります。たとえその壁を、自分が過去にボルトで登っていたことがあったとしても、トラッドクライミングでは未踏の場所になる。手法や目線を変えることでたくさんの発見を得ることができる。そしてそれは、クライミングに限ったことではないとも思います」

横山さんにとってクライミングとは、ただ体を動かすだけのスポーツではない。自分の登るラインで自分自身を表現するという創造的な行為でもある。

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屋久島開拓トリップで見つけた様々な繋がり

トラッドクライミングの舞台として横山さんがいま注目しているのが屋久島だ。コロナ禍によって海外遠征に行きにくいこともあり、2019年から通い始め、クライマー仲間の倉上慶大さんと共に島に残る手つかずの壁を探している。

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©︎MASAZUMI SATO

すべては子供の頃から続く、未知なるものを見たいという欲求の延長上にある。屋久島に見いだしたのも、そんな未知の可能性だった。なかでも花崗岩に目が奪われがちな屋久島の中にあって、砂岩や泥岩のいたるところに走るクラック(割れ目)に魅せられた。

「ボルダリングに関していえば、行く前から良いエリアがたくさんあるだろうな、とは思っていたんですが、壁(ルート)に関してはそこまで期待はしていなかった。でも行ってみて驚きました。壁のスケール自体はそんなに大きくないんですが、クラックがまるであみだくじのように走っているんです。だから登る側はどこにどのギアが効くのか、どういうルートで登るのか、自由度が高い分、考えることも多い。壁を見た瞬間に『ここは絶対にトラッドクライミングだ』と思いました」

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©︎MASAZUMI SATO

屋久島にトラッドクライミングが良い理由はほかにもある。今回横山さんと倉上さんが巡ったのはおもに海岸線の岩場。仮にここにボルトを打ったとしてもすぐに錆びてしまう環境下だった。

「たとえ屋久島で良いボルトルートを見つけたとしても、定期的にボルトを打ち替えなければならないし、ともすれば登っている最中にボルトが破断してしまう恐れもあります。そういう環境的なことを考えても、屋久島にはやはりトラッドクライミングが向いていると思います」

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©︎MASAZUMI SATO

ただ、それまで屋久島のローカルクライマーの間ではトラッドクライミングというものは、まったくといって良いほど認知されていなかった。最初は戸惑いもあったローカルたちだが、横山さんとの交流を通じて、トラッドクライミングに対する理解を深めてきている。

「ここにボルトルートを作るのはもったいないと思います。30年後、50年後の未来のことを考えると、間違いなくギアも発達しますし、トラッドクライミングの波は大きくなっていると思います。だからこそいま、ここにボルトを打ってしまうのではなく、トラッドクライミングの場所として残していく。そうすれば将来的には世界中からクライマーが訪れるようなトラッドの聖地、オンリーワンの場所になるポテンシャルを屋久島は秘めていると思います」

これまでトラッドクライミングに接してこなかった屋久島のローカルクライマーたちも横山さんの開拓によってトラッドの魅力に気がついた。

「屋久島で見つけたルートのひとつに、ものすごく簡単な壁があるんです。それこそ慣れた人だったら手も使わずに登れてしまうような緩い傾斜。でも高さは20mくらいあるのでノーロープではちょっと怖い。従来のボルトを打つ方法だったら見向きもされないような壁なんですが、ここをトラッドクライミングで登るとすごく面白い」

緩い壁でも自分でルートを見つけ、自らの手でプロテクションを取っていくと、まったく別の表情を見せてくれるのだ。トラッドクライミングに触れたことがなかったローカルたちが、その魅力に気付くのにうってつけの壁だった。その後、横山さんが見つけたそのルートはローカルによって「繋ぐ壁」という名前が付けられた。

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©︎MASAZUMI SATO

「このネーミングを聞いたときには胸が熱くなりました。今回屋久島に行ったことで、トラッドクライミングというものが、ローカルの人たちの手によってもっと定着してほしいし、島の子供たちにもクライミングというものに興味を持ってもらいたい。トラッドクライミングは岩に痕跡を残さない。ということは子供たちが大きくなった時にも、いまとまったく同じように楽しむことができるんです」

屋久島のローカルと横山さんを繋ぎ、屋久島が秘めているトラッドエリアとしての可能性を未来に繋ぐ。「繋ぐ壁」というネーミングは、横山さんの屋久島開拓トリップに対する、ローカルからの最高のアンサーだ。

『繋ぐ壁』 YOUTUBEにて公開中
2020年春、コロナ禍で海外への挑戦が閉ざされた横山勝丘は新たなクライミングエリアの開拓を求めて、初めて屋久島を訪れた。想像以上の岩場の豊かさにワールドクラスのエリアになる可能性を確信したが、ローカルクライマーとの間に小さなしこりを残してしまった。翌年、改めてローカルクライマーとともにエリア開拓することを決意し、倉上慶大とともに再び屋久島へと向かった。人、スタイル、時間がつながり、クライミングコミュニティはより深みを増す。開拓というプロセスをローカルクライマーと共有し、ともにエリアを作り上げることで、2人はクライミングの奥深さを再発見した。
横山勝丘

横山勝丘

1979年生まれ。パタゴニア・アルパインクライミング・アンバサダー。日本を代表するアルパインクライマーで、2010年のカナダのローガン南東壁初登では、登山のアカデミー賞と言われるピオレドール賞を受賞。2013年からパタゴニアのフィッツ・トラバースに挑戦を続けている。今年はパキスタン・K7の未踏峰に挑む予定。