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2022年のUTMFは、直前の悪天候のため一部の山岳部分がカットされ高速レースの様相を見せた。その中で22時間14分15秒と2位に1時間以上の差をつけて女子優勝を果たし、男女総合でも19位という偉業を成し遂げた宮﨑喜美乃。自身5回目の100マイルレースで初めての優勝を味わった。だが、この勝利は昨年12月に参加したレース〈Thailand by UTMB®️〉で女子2位でゴールした経験や、100マイルを走るための食のアップデートといった彼女の試行錯誤が産んだ果実だった。

見えない相手を想像する100マイルレース

160kmという長い距離を何十時間もかけて走り切る100マイルレースには独特の駆け引きがある。長い時間並走しながら相手の表情を読み取ることができるのは稀なケースで、ほとんどの場合はライバルと数十分から数時間の距離が生まれ、レース中にお互いの姿を見ることはできない。宮﨑喜美乃が挑戦した2021年の〈Thailand by UTMB®️〉もそうしたレース展開だった。トップを走るシャン・フージャオ(中国)を1時間ほどの差で追いかける宮﨑は、フージャオの姿をレース中に捉えることはなかった。しかし、彼女は区間タイムとコースのサーフェスから相手の姿を想像し、走りながら戦略を組み立て、最後には見えないライバルを尊敬するまでに至る。

「100マイルはこの〈Thailand by UTMB®️〉で4回目の挑戦だったんです。初めての挑戦となった2018年の〈UTMF〉と2回目の〈OMAN by UTMB®️〉では潰れてしまった。100マイルをちゃんと走ったのが3回目の〈LAKE BIWA 100〉だった。このレースでは慎重に入って、最後の区間でしっかりプッシュすることができた。結果、その区間はトップの選手より私の方が速かったんです。結果は2位だったから優勝するためには勝負ポイントをもっと手前にしなくてはいけないことがわかりました。

コロナ禍でいち早く開催された海外レース〈Thailand by UTMB®️〉のスタートに臨む宮﨑喜美乃

〈Thailand by UTMB®️〉はUTMBを占うレースとなる

スタート直後から男子選手とともに飛び出した中国のシャン・フージャオ(右手前)

タイのレースでは、UTMF優勝経験を持つトップ選手のフージャオ選手は力があると考えて最初から無理をせず見送りました。自分自身は最初に設定した29時間でのゴールを見直して、27時間という攻めたタイムを目標に据えた。ほぼ一人で走っていて、自分の走りはいつもより少しプッシュしてるけどそれが設定タイム通りだったんですよ、27時間の巻いたタイム。これだったらいけるな、後半でもっと自分の設定タイムを縮められるなという確信もあった。

前との差が何分かというのは聞いてなかったけど、離れすぎたらサポートから声がかかるだろうと思っていました。〈LAKE BIWA 100〉では、最後に勝負したのが遅かったかなというのもあったから、どこで勝負するかがポイントでした。

試走ができていなくてコースは未知だから、相手の区間タイムをチェックしながら進みました。後ろにいるから、実際にそこのサーフェスに行った時に走りやすい走りにくいがある中で、自分はこれだけやって何分で到着していて、ではフージャオ選手はどうか?そうやって相手のどこが強いのかって想像するのが面白い。レース前に選手の筋肉を見ておいて、さっきのあれは行けるのにここは行けないんだなとか想像すると自分の頑張りになる。もしかしたら自分のほうが強いんじゃないかという部分では全力でプッシュした。

タイの暑さの中、自分の設定ペースを刻む

他の選手は苦手だろうと想像したロードセクションは頑張ってプッシュする

想像するのがすごく面白かったんですよ。想像なんだけど、私はすごく苦しかった区間をあんなスピードで走ってるなんて、この上りをプッシュできるのすごいなっていうのを感じながら走ってたんです。やっぱり世界はすごいなというのを感じられた。後からの情報ですけど下りはすごく綺麗な走り方をしてたし、ゴールのシーンものびのび走っていた。いままでは、あまり他の選手に興味がなかったんですけど、走ってみたらフージャオみたいな選手になりたいと思えた。やっぱそれは必要だよねとか、あの下りはいかないとねとか、でもせっかく一緒のレースに出たのに生で全部見てないんですよ走ってる姿を(笑)」

ある程度の余裕を持って進み、中盤の長いロードセクションを利用して果敢に勝負をかけた宮﨑喜美乃は、最終的に27時間20分でゴールした。トップのシャン・フージャオは26時間1分という結果で、そこに1時間以上の差がついたが、それはスタート時点で生まれた時間差。振り返ってみれば中盤以降は世界のトップと差を広げられることなくゴールできたことを示している。走りながら世界との距離(DISTANCE)を肌で感じた宮﨑は、その距離が詰まっていることを確信した。

循環を感じながら走る

〈LAKE BIWA 100〉、〈Thailand by UTMB®️〉と100マイルで勝負することができるようになった宮﨑喜美乃。では、それまでと何が違ったのか。大きく変えたのは食生活と補給だった。

「オマーンで潰れすぎたのが衝撃的だった。オマーンは一番練習できてたんですよ
。でも、いけると思ったペースでいけなくて、食べれなくて、でも筋肉はめっちゃ元気で。それで、そもそも消化できる体を作っていかないと良くないよねっていう考えになっていった。

まずお酒をやめてみました。あと整腸作用のある生姜を勧められて積極的に料理に取り入れるようになりました。外食でも自家製ジンジャーエールがあれば頼んだり(笑)。また、東京から逗子に引越してきて、〈サンシャイン・ジュース〉の代表NORIさんを紹介してもらって、定期的に一緒に走りながらいろいろ教えてもらっています。コールドプレス・ジュースを通じて野菜や栄養の知識を豊富に持つNORIさんから聞いた「結局、循環だよ」という言葉がすごくシンプルに入ってきた。野菜もいままでは値段で買っていた。安いほうがいいかなって。でも、お酒をやめたからその分こっちに回せばいいかなって感覚から有機野菜を選ぶようになったり、コンポストを始めたり、小規模だけど庭で野菜を作り始めたりと意識が変わるようになりました。逗子に引越してきて、みんながそんな感じ。周りは食べ物がどこで作られたか、どうやって作られたかを考える人たちだったから。

タイのマーケットでレース前にフルーツを物色。補給食も自然のものを中心に

お肉もいまは牛肉は避けています。牛の飼育による環境負荷の高さを知ってから肉を全部やめてみた。そしたら貧血になったんですよ(笑)。そんな時に〈The North Face〉のアスリートミーティングの機会があって、スキーヤーの佐々木明さんや小野塚彩那さんにヴィーガンってどうですかと尋ねてみた。日本でやるのは限界があるけど、ヴィーガンはやってみる価値はあると思うよって聞いたんです。それで、できる範囲でやってみようとしたら貧血になっちゃって、じゃあ牛肉だけはやめてみようということに。大会に出た後に焼肉を食べたら翌日すごくからだが怠いということがあって。自分が走るのを続ける上で朝は気持ちよく起きたい、朝から気持ちよく走りたいってなった時に、お酒と牛肉はやめようとなりました」

食生活に気を配るようになり、コロナ禍でレースがない中で挑戦した230kmに及ぶFKTでは灼熱の気象条件にも関わらず胃が壊れることはなかった。こうした経験が、レース中にもよりナチュラルな補給を取り入れるという考え方につながっていったという。

「タイでの補給は常に〈サンシャイン・ジュース〉のビーツを飲むのと固形物はフルーツが中心。ジェルは一本も摂っていません。ナッツ入りのバーを摂りましたが、それも10本も食べていない。レース中に摂取したカロリーはそれほど多くないと思いますよ。

特に前半は暑すぎて汗をすごくかくので、胃腸を壊す恐れがあるからお腹が空いたときだけバーを食べるようにしました。夜がきたら、しっかり動くために食べようと思ってスープなどを入れましたね。最初はジェルなどのケミカルなものがしっかり入るように体を作ろうという発想だったんですよ。でもそれは全然無理だった。結果、自分の場合はフルーツなどの固形物をベースにナチュラルな補給食を摂るやり方が合っていることがわかってきたんです」

これまでのエンデュランススポーツの補給のセオリーとは全く違うやり方に変えた宮﨑喜美乃だがそれは見事にハマり、UTMF優勝という結果がその正しさを証明した。だが、それで目標達成という訳ではない。視線は常に世界との距離を見据えている。

「次のレースは8月にあるUTMB。今年から、年間チャンピオンを決定するファイナルレースとして世界中からトップ選手が集まるため、この大会で本当の意味での世界との差を知ることになります。これまでは、その差を突きつけられるのが怖かったのですが、今は自分の可能性にワクワクしています。スカイランニングのレース経験が豊富な星野由香里さんとスカイランニング用の練習を一緒にしましょうと話しています。私は登りが得意で、登りを調整するためのギアチェンジは何段階にも細かくできるんです。でも下りは100かゼロかで中間がない(笑)。その下りの技術を習得したり、いつも楽しくて長居してしまうエイドの時間を削っていけば、世界との距離はもっと縮まると思っています」


THE NORTH FACE|DISTANCE – トレイルランナー宮﨑喜美乃

宮﨑喜美乃

宮﨑喜美乃

1988年山口県育ち。小学1年生から兄姉の影響でランニングをはじめ、高校・大学では駅伝部に所属し全国駅伝に出場する。鹿屋体育大学、同大学大学院では登山のための体力テストを考案し、高山でのカラダの反応を運動生理学的に研究する。その知識をもとに大学院卒業後は、プロスキーヤー・冒険家の三浦雄一郎が代表を務めるミウラ・ドルフィンズに就職。現在も低酸素トレーナーとして高山病予防のための指導を行っている。