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世界のどこかで大きな災害が起きる。あるいは戦争が起きる。

そういう時期にSNSを開くと、その国の国旗の色を使ったプロフィール写真を目にすることになる。

気分を害してしまうと申し訳ないのだけど、私はそれがあまり好きになれない。私はそのようなことをしたことがないし、それを偽善的とすら感じてしまう。他者の善意からの行動をこのように感じてしまう自分に対してもいい思いはしない。しかし「Virture Signaling(美徳シグナリング)」と呼ばれる、こうした他者が表明する善意に対し、このような感情を抱くのはどうも私だけでないらしい。それどころか、こうした拒否反応は、遺伝子の奥深くに埋め込まれた衝動でもあるようだ。

シグナルとコストの関係性

最近読んだ進化生物学の研究者が書いた記事によると、私たちは進化の過程で、何があっても味方でいてくれる「真の味方」と、困った状況の時に自分を見捨てる「偽りの友」を見分けるセンサーを身につける必要があったという。そして、その二者を区別するために、私たちは無意識下でせっせとセンサーを働かせている。もちろん、現代に生きる私たちは、より複雑で、繊細なニュアンスの人間関係のスタイルに囲まれており、より解像度の高いセンサーを使う必要がある。そのセンサーは、人が発するさまざまな社会的シグナルをキャッチする。学歴、体型、服装、行動、発言のクセや態度。そうした一つ一つを通じ、私たちはその人の信頼性やポジショニングを必死に推し量る。

ここで重要なのは、私たちは「そうしたシグナルは、それ相応のコストと引き換えに手に入るべきもの」と考えるという点だ。スリムで筋肉質な見た目の裏には、ランニングや筋力トレーニングに割いた時間やお金が期待される。高学歴の裏には長時間の勉強や努力があることが期待される。こうしたシグナルとコストの関係性は、動物で見るともっとわかりやすい。子孫を残すに値する健康な身体であることをアピールするために、クジャクは、大きなコストを払って豪華な尾を伸ばす。病気のクジャクは、それだけのエネルギーを使って装飾を増やせば健康が脅かされる。しかし、SNSのプロフィール写真には、そうしたコストや払った犠牲、コミットメントを感じとることができない。わずか数クリックのコストなしの善行。そうしたコストなしの美徳シグナリングを私たち脳はどうしても咎めたくなるようだ。善人としての評価はそんな簡単には与えないぞ、という訳だ。

善人ぶる人への蔑視

このように、美徳シグナリングをポジティブに受け取ってもらうのは難しいが、ハードルは他にも存在する。

私たちは、常に他人の行動の理由を推察したがるが、その動機が不純だとわかった瞬間、その行為を厳しく罰する傾向にある。参加者に他人の利他性を評価してもらうという実験(+5はとても利他的、-5はとても利己的と評価)の結果が面白い。これによると、献血という利他的な行動に対しても、それがお金のためとわかった瞬間、スコアがプラスからマイナスに変化するのだという。これは「Do Gooder Derogation(善人ぶる人への蔑視)」と呼ばれる、よく知られた心理的メカニズムでもある。献血をしている人に対し、あいつは利己的だ、と思うなんてやっかいな心的現象だ。これも最近知ったことだが、オンライン募金のページを調査すると、匿名のままでいることを選択するのは、最高額の寄付者が多いという。これは嫉妬や「あいつは自慢している」という非難を回避するためだ。

適切なコストの支払い、動機に対する猜疑心、嫉妬。

自分がどれだけ社会にとって良いことをしても、こうしたネガティブな他者のリアクションを回避するのは綱渡りのように難しい。先日、著名なブランドの経営者たちが集まる会議で「社会のためになる活動で、世の中にまだ言っていないものについて教えてください」という会話をしたら、山ほどエピソードが出てきた。彼らは、慎みからそれを言わなかったのだろう。でももしかしたら、こうした危うさを感じ取っていたからかもしれない。最近はパーパスなどの名の下にブランドや企業が社会的メッセージを発することが増えている。しかし、他者の評価を自らの行動の成功の尺度にするのであれば、すぐに「黙っていた方がよい」という判断になってしまうのだろう。オスカー・ワイルドもこんなことを言っている。「この世で一番気持ちのいいことは、匿名で善い行いをして、それが誰かに見つかることだ(The nicest feeling in the world is to do a good deed anonymously – and have somebody find out.)」。

社会問題マーケットで勝つために

しかし、ここまで挙げた私たちの直感的な反応は、重要な点の見落としにつながる。

美徳シグナリングに対する私たちの反応は、それが社会全体に、そして長期的にどのような効果を与えるか、とはあまり関連しない。進化は私たちの脳を、目の前の危険の察知や敵味方の判断を得意とするように設計した。しかし、その行動が世界や社会に良い影響を与えるかどうかを評価することは得意ではない。

私たちが何らかのメッセージを社会に対して発信すると、それはさまざまな経路を取りながら社会にポジティブな影響を与えることが知られている。例えば「懸念はしているが、声を上げるには至らない」というレベルの問題があったとしよう。「会議の出席者が中年男性ばかりでいつも意見に偏りがある」という程度の話でもいい。こうしたケースにおいては、誰かの勇気ある「私はおかしいと思う」という一声こそが、連鎖反応のトリガーを引き、大きな運動に繋がったりする。そして、うまくいけば、それが社会全体の共通アジェンダになっていく。共通アジェンダ化は、変化のための行動が社会全体に広まるための基盤として機能する。

社会学者のジョエル・ベストは、ある問題が社会の中で認知され、重要視されるには、彼が「社会問題マーケット」と呼ぶ、株式市場のような人気ゲームで勝ち抜くことが必要だと唱える。ゴシップやパンデミックやスポーツの大会など玉石混交の人々の話題の「マーケット」の中を勝ち抜くためには、他者の批判を考慮してシグナルの発信を控えるべきではない、ということが示唆されている。深い洞察や思慮深さから発言を控えることもほどほどにした方が良い。そんなことをしていては、この市場の中における相対的序列が下がってしまう。マーケットで勝つためには、熟慮よりも行動が必要だ。社会への大きなインパクトは、他者による、直感に基づく不完全な評価の先にある。

冷笑主義を超えて

グリーンウォッシング批判のような、知的ファッションに対抗するのは簡単なことではない。

しかし、そうした批判、そしてそこから生まれる萎縮効果は社会の前進を阻むことにもつながったりする。冷笑主義への対応や他者の評価という手近な目標ではなく、真に社会を変えることを目的とするのであれば、批判も覚悟しながらも声を上げ続ける必要がありそうだ。それにそもそも、メッセージを発する企業の目的は、他社の評価を得ることではなく社会をポジティブなものに前進させていくことのはずだ。冷めた目で見る奴がいようと、SNSのプロフィール写真だって黄色と青に変えるべきなのだ。

佐々木康裕 Yasuhiro Sasaki
スローメディア「Lobsterr」を運営するLobsterr Publishing共同創業者。ニュースレターやPodcast、コマース、コミュニティなど多様なフォーマットを横断する新しいメディアの形を模索している。また、クリエイティブファームTakramに所属し、幅広い業界でコンサルティングプロジェクトを手がける。

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