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先日、約2年半振りに外国を旅した。米国ワイオミング州で行われる100マイルレース〈Bighorn100〉に参加するためだ。目的地であるワイオミング州はカウボーイステートという異名を持つ保守的な地域。小さな町シェリダンでは、誰ひとりとしてマスクを着用していない。それはアフターコロナの世界というよりは、まるでコロナが無かったパラレルワールドに紛れ混んだような体験だった。

シェリダンの人々は、これまで訪ねたサンフランシスコやポートランド、NYといったアメリカの所謂リベラルな街の人々とは違っているように見えた。寡黙で余所者を寄せ付けず、自らのライフスタイルに誇りを持ち、変化を求めない人たち。アジア人ヘイトの話も耳にしていて、少しばかりの緊張を感じながら町を歩く。こちらにもレッドステート(主に共和党を支持する保守的な州)に対する偏見があったかもしれない。だが、実際に走り去るピックアップトラックから中指を立てられることもあった。

一方でコーヒーショップではレース参加者ということでドーナツをサービスしてもらったり、レース中のエイドステーションでは地元のボランティアが、欲しいものはないか?とか脚の具合はどうだ?とか、あれやこれやと世話を焼いてくれた。ゴールエリアでは、多くの選手や家族がそこに留まり、最後のランナーがゴールするまで温かい拍手で出迎えていた。コミュニティの中に入り込み、体験を共有することで得られる信頼を大事にしていること、それを通してはじめて認められるということが伝わってきた。

帰国後、そんなワイオミング州のことをもっと知りたくなり、この地を舞台にした小説『ブロークバックマウンテン』を取り寄せた。『シッピングニュース』でピューリッツァ賞を受賞したE・アニー・プルーの『Close Range: Wyoming Stories』という連作短編のひとつだが、映画化されたためにこの一編のみが日本語訳されている。同性愛のカウボーイの物語の舞台を60年代のワイオミングに設定した作者の意図は明白だ。多様性を認めない閉鎖的な社会の中で、彼らに試練を与えるために選ばれたのがこの土地だった。

主人公のひとりであるジャック・ツイストは、ブロークバック・マウンテンでの夜営で心を通わせたイニス・デルマーに、ふたりで牧場経営をしながら一緒に暮らすことを提案する。しかし、イニスはこう返す。

“「俺たちには無理だよ。俺には今のしがらみがある。輪の中に閉じ込められていて、抜け出せないんだよ。それにジャック、俺は時々見かけるような連中と同じにはなりたくない。死ぬのはごめんだ」”

そんな彼らが自分らしく居られる場所が、ワイオミングの自然の中だ。そこで描写される山の風景は、まさしく〈Bighorn 100〉で実際に目にした景色そのものだった。同時に自分が走ったトレイルの起伏が緩やかだったのは、こうしたカウボーイたちが馬で移動するための道がその始まりだったからだということも理解できた。

“イニス、ジャック、犬たち、馬たち、ラバたち、何千もの牡羊と仔羊たちはまるで汚水が逆流するように登山道を登り、木々のあいだを抜け、やがて樹林限界線を越えて、一面みごとに花の咲く牧草地に足を踏み入れた。花畑を、風が絶え間なく吹き抜けていた。”

そしてこの小説を読んでいるうちに、彼の地の人々が熱狂するロデオとトレイルランニングに類似性があることに気づいた。

“「相棒(フレンド)」とジャックは言った。「俺はテキサスでロデオをやってたんだ。ラリーンと知り合ったのもその大会でだ。あそこの椅子を見てくれ」
 染みのついたオレンジ色の椅子の背にバックル(チャンピオン大会で、トロフィーの代わりに与えられる)が光っていた。「ブルライディングか」”

米国のトレイルランニングレースでは完走するとベルトのバックルをもらえる大会がある。その発想は、ロデオの文脈からきていることに気づかされた。先日アカデミー賞を受賞した監督クロエ・ジャオの初期の作品にもロデオを取り巻く文化を描いた『ライダー』という映画がある。ワイオミングの隣のサウスダコタ州を舞台にしていて、出演しているのはプロの俳優でなく地元の人々だ。中国人女性監督が、この地に入り込んで『ライダー』のような中西部の人々の心の底を描いた映画を撮ったということは驚異的だし(そういえば、『ブローク・バックマウンテン』の映画版の監督も台湾出身のアン・リーだった)、一方でこのエリアの人々が一度仲間と認めたら心底コミットしてくれることの現れでもあるように感じる。

『ブローク・バックマウンテン』は、同性愛者がそうしたコミュニティに受け入れられる可能性のない厳しい時代の物語だ。荒っぽいが不思議な魅力をまとったふたりの主人公たちの結末も、決して生やさしいものではない。だが、隠れた主役であるワイオミングの厳しくも美しい自然と、その自然が育むタフな人々が、遠く離れた東洋の一読者にもアメリカ中西部の魅力の一端を伝えてくれる。